ち。、、、、か,?...、、りーーーーーっぃ..た、、、.....,,,す
じゃなくて!!!!
しっかりしろおい。
今日は梅干しをつけたのだ。
今年の工夫は梅を縦に並べたこと。
けどそのおかげで背が高くなりふたがしまらないがきっと重しでそのうち背が低くなるから大丈夫。
金曜に池袋東武で780円のが200円引きになってるのを3袋買い、2晩おいたら黄色と赤だけになったので今日!だった。
3キロでは少々すくないので池袋東武の違うお店?もしくは同じお店だが別の梅980円を2袋買う。
780円のもあったけど青みがあったから。前の3袋と同じくらいの色じゃないと。
18%。
姉の子供の生まれ年の梅干しとして、生涯君臨することになるだろうはじめの一歩。
4L?5L?本当に大きな梅で、ことしもいい出会いがあって、よかった。
ところで、昨年は弱っていたため、初のカビが出てしまったけれど今になればとてもおいしくできている。
不思議だ。
どんな梅も、荒んだ気持ちでつくって途中になにがあっても、ちゃんとおいしくなるのがすごいなあと思う。
時間だけがやつらをおいしくさせる、のか。
2010/06/25
ゴールは入るものだったのだ
男ってすごい。
男のすがすがしいばかっぽさ、真剣にむかうところ、これが男らしさな気がする。
なんて楽しそうなんだ。
試合後、本田も中沢も遠藤も、自分の内側に向かって言葉も気持ちも集中してる感じの受け答えだった。
インタビュー中の視線の動き、人がものを集中してるときに斜め上をみてきょろきょろする感じがあった。
満足できないです、とか、別に大きく見せたり受けを狙ってる訳じゃないもん。
初めて知った場面での感情の動きを彼らはよく観察しているように見えて、それを見せてもらってるほうは見せてもらってるほうで初めてでうれしい。
今まで、フリーキックのシーンで、私は、私たちは、ゴールが入って欲しいと常に願ってはいたが、ゴールが入ると信じていたことはあっただろうか。もしくは、ゴールは入るものだと知っていただろうか。
今回、わたしは初めて「ゴールって入るものなんだ」って知った。そして、今まで願ってはいたけど、それは手にとどかないものを願うみたいな抽象的なものだったのかもしれない、と思った。入るってことを知らなかったから、どこかで入らないことが当然だった。本当の意味で入ることをイメージできないでいた。願いは同じでも本当に信じることができるのは今後なのかもしれない。信じるっていうことひとつとっても経験にはさまざまなものがあるんだっていうのがあのフリーキックが入ったときにわたしは知った。
ああ、それが知れたよ。それがうれしいよ。
サッカーの歴史が長い強豪国はそれを信じることができてたんだね。
そういうものだっていうこと。
歴史があった。
悔しい思い、ばかばかばかーってこともなんどもあった。
きーちゃんや城の解説を聞いていて、
この人たちがいて、今の選手がいるんだなって思った。
個人であるけれども、個人じゃなくつながってる部分。それは本当に目に見えないレベルでも。
みんなきれいな顔してた。
男のすがすがしいばかっぽさ、真剣にむかうところ、これが男らしさな気がする。
なんて楽しそうなんだ。
試合後、本田も中沢も遠藤も、自分の内側に向かって言葉も気持ちも集中してる感じの受け答えだった。
インタビュー中の視線の動き、人がものを集中してるときに斜め上をみてきょろきょろする感じがあった。
満足できないです、とか、別に大きく見せたり受けを狙ってる訳じゃないもん。
初めて知った場面での感情の動きを彼らはよく観察しているように見えて、それを見せてもらってるほうは見せてもらってるほうで初めてでうれしい。
今まで、フリーキックのシーンで、私は、私たちは、ゴールが入って欲しいと常に願ってはいたが、ゴールが入ると信じていたことはあっただろうか。もしくは、ゴールは入るものだと知っていただろうか。
今回、わたしは初めて「ゴールって入るものなんだ」って知った。そして、今まで願ってはいたけど、それは手にとどかないものを願うみたいな抽象的なものだったのかもしれない、と思った。入るってことを知らなかったから、どこかで入らないことが当然だった。本当の意味で入ることをイメージできないでいた。願いは同じでも本当に信じることができるのは今後なのかもしれない。信じるっていうことひとつとっても経験にはさまざまなものがあるんだっていうのがあのフリーキックが入ったときにわたしは知った。
ああ、それが知れたよ。それがうれしいよ。
サッカーの歴史が長い強豪国はそれを信じることができてたんだね。
そういうものだっていうこと。
歴史があった。
悔しい思い、ばかばかばかーってこともなんどもあった。
きーちゃんや城の解説を聞いていて、
この人たちがいて、今の選手がいるんだなって思った。
個人であるけれども、個人じゃなくつながってる部分。それは本当に目に見えないレベルでも。
みんなきれいな顔してた。
2010/06/16
花豆
花豆を三日ほど、十分に水に戻す。
戻した水はすてて新しい水でゆで始める。中弱火。
沸騰したら10〜15分あまりぐつぐつしない程度に煮立たせる。
同時に別鍋にお湯を沸騰させておく。
余裕があれば2回、なければ1回、煮こぼす。沸騰したお湯でふたたび煮る。これであくを抜く。
あく抜きがおわったら本番の煮込み。
セロリ、にんじん、タマネギ、ローリエ、ローズマリー、オリーブ油をいれて一緒に煮る。
このときも別鍋にお湯を沸騰させておいて。
15分くらい煮たらシャトルシェフにいれて適当な時間おく。2回湯でこぼしてたら3時間くらい、1回なら6時間くらい?かなり適当。シャトルシェフじゃない場合はごく弱火で様子をみながら1、2時間かなあ、(←たしかめてない。適当。鍋にもよると思う。)
皮がやぶれるか破れないかの絶妙にゆであがったら大成功。
煮汁につけたままさます。
ぷっくり、ふっくらたけているはず。
塩味もしてないのに、セロリの香りがはいってておいしい。
さて、これをサラダにしたり、煮込みにしたりする。
今日は帰宅後いそいで作った煮込みがとてもおいしかったのでメモ。
タマネギ1/4個くらいをみじん切り、オリーブ油でいため、そこにタプナード(高山なおみさんレシピ)を大さじ1か2くらい投入、ざっといためて、とまとの角切りも投入。
豆と煮汁をいれていい感じになるまで煮込む。味が足りなければコンソメなどで補う。
すごーくおいしかったのでまたつくってみよう。
やっぱりなんどもやらないと料理はカンがつかめない。
戻した水はすてて新しい水でゆで始める。中弱火。
沸騰したら10〜15分あまりぐつぐつしない程度に煮立たせる。
同時に別鍋にお湯を沸騰させておく。
余裕があれば2回、なければ1回、煮こぼす。沸騰したお湯でふたたび煮る。これであくを抜く。
あく抜きがおわったら本番の煮込み。
セロリ、にんじん、タマネギ、ローリエ、ローズマリー、オリーブ油をいれて一緒に煮る。
このときも別鍋にお湯を沸騰させておいて。
15分くらい煮たらシャトルシェフにいれて適当な時間おく。2回湯でこぼしてたら3時間くらい、1回なら6時間くらい?かなり適当。シャトルシェフじゃない場合はごく弱火で様子をみながら1、2時間かなあ、(←たしかめてない。適当。鍋にもよると思う。)
皮がやぶれるか破れないかの絶妙にゆであがったら大成功。
煮汁につけたままさます。
ぷっくり、ふっくらたけているはず。
塩味もしてないのに、セロリの香りがはいってておいしい。
さて、これをサラダにしたり、煮込みにしたりする。
今日は帰宅後いそいで作った煮込みがとてもおいしかったのでメモ。
タマネギ1/4個くらいをみじん切り、オリーブ油でいため、そこにタプナード(高山なおみさんレシピ)を大さじ1か2くらい投入、ざっといためて、とまとの角切りも投入。
豆と煮汁をいれていい感じになるまで煮込む。味が足りなければコンソメなどで補う。
すごーくおいしかったのでまたつくってみよう。
やっぱりなんどもやらないと料理はカンがつかめない。
2010/05/16
ひじき時間
ひじきを煮た。
何年ぶりだろう。
2009年、おおげざすぎると言われようが、わたしは毎日絶望していた。
ひじきには手をだしていない。豆はかろうじて煮たけれど、ひじきとあわせるところまでいってない。
2008年、正社員という雇用形態で働き始めてびっくりするほど非常識なことがまかり通るのが会社なのか?とおそれおののき、外食ばかりしていた。
やっぱりひじきに手をだした覚えはない。買ったかもしれない。いつだったか、しばらく使わなかったひじきを袋ごとすててしまった覚えはあるから。
2007年は?職業訓練校に行って、規則正しい生活が身に付いて激やせした年だ。お昼はコンビニのおにぎりだったな。うーん、ひじき??
2006年とか、2005年あたりまでさかのぼると、わたしはひじきを煮ていたかもしれない。と思い始める。
2004年、2003年は確実にやってた。一人暮らしを始めた頃はひじきも切り干し大根も常備菜としてつくっていたし、ご飯も炊いていたし、お弁当はそれらによって構成されていたはず。
2010年、5月にして、ひじき時間再び流れ始める。
これは祝うべきことのような気がする。
前回のひじきとの間にあったことの多さを考えるとなんだか旅をしてかえってきたような気持ちだ。
何年ぶりだろう。
2009年、おおげざすぎると言われようが、わたしは毎日絶望していた。
ひじきには手をだしていない。豆はかろうじて煮たけれど、ひじきとあわせるところまでいってない。
2008年、正社員という雇用形態で働き始めてびっくりするほど非常識なことがまかり通るのが会社なのか?とおそれおののき、外食ばかりしていた。
やっぱりひじきに手をだした覚えはない。買ったかもしれない。いつだったか、しばらく使わなかったひじきを袋ごとすててしまった覚えはあるから。
2007年は?職業訓練校に行って、規則正しい生活が身に付いて激やせした年だ。お昼はコンビニのおにぎりだったな。うーん、ひじき??
2006年とか、2005年あたりまでさかのぼると、わたしはひじきを煮ていたかもしれない。と思い始める。
2004年、2003年は確実にやってた。一人暮らしを始めた頃はひじきも切り干し大根も常備菜としてつくっていたし、ご飯も炊いていたし、お弁当はそれらによって構成されていたはず。
2010年、5月にして、ひじき時間再び流れ始める。
これは祝うべきことのような気がする。
前回のひじきとの間にあったことの多さを考えるとなんだか旅をしてかえってきたような気持ちだ。
2010/03/27
梅干しくらぶ
梅干し部をつくる。
部員は、たっちー、りのちん、おんぞーさん(あ、ごめん許可なく)
この人たちには梅干しがもれなくとどく仕組みです。まいとしです。
今日きめました。
今日の稽古でまた、ゼロにもどったかとおもった。三日前なのに。
後悔してもどうしようもない、やるせなさに襲われた。
自分のコミュニケーショん能力が問題なのか、と思った。
自分のやってみたかったことはみんなのやってるみたいな動きなのに、今つくっているのはそうではない方向にいっていて、しかも、行き詰まっていた。いや、本当は行き詰まっていなかったのかもしれない。すごく、行き違いがあって、もうなにもかもいやになった。
マジむかつく・・・という言葉が相手に対して思わずでた。
そんなつもりなかったのに、泣きながら抗議をしてしまった。でも、それをいったらおしまいよ、的なことは喉のところまででかかってえやめた。そんなの人を無駄にきづつけるだけの言葉でそれは私はつかってはいけない言葉だった。多分それは相手に対してあなたは卑怯だ、という意味の言葉、それを言葉をつくして傷つけるところだった。ネガティブなことに言葉をつくすとそれはそれは大変な傷になってしまう。むかついてもだめ、だ。本当に破壊したいわけではないのなら。そうおもってぐっと言葉がつまった。けど、悔しさはのこった。
もうほんとうにやるせなくってもういいよ、みたいなことをいった。とびらの向こうでは共演の役者さんたちがもちろん聞いていた、はず。
「もう七夜できない、、、」と私はそのとびらをあけていった。泣いた顔をみられるのがはずかしかった。私最年長なのに。
役者さんたちはみんなとってもやさしかった。
芝居も本当にいいし、みんな素敵すぎて、私はそれもきっとあせりのひとつだった。
私など、本当にレベルが低すぎて、みんなのお荷物みたいで、私がお客だったらぜんぜんこころにひっかからないだろうとおもうのだ。他の人の芝居はどれもその人らしくて楽しくて私はすきで、自分のは好きになれない。なぜなら、よくわからないことをしているから。自分でもわからないし、なぜ私がやりたいと思ってたことができないようになってしまったのか、今の芝居にいたる道がたんなるコミュニケーショん不足によるもの、時間がなかったから、に思えた。
見に来てくれる友人に対して申し訳がたたない。
こうして泣いたのが3時くらいだったかな。
それで、よるの練習で、彼の考えた方法をやりたいと言ってみた。だって、芝居に関しては彼の方がよくしっている。
なるたけ素直に従うようにした。
そしたら、少しだけ光がみえたような気がした。
あと二日。
私の見た光を、お客さんがすこしでも見いだしてくれますように。
弱音はかずにやるのみ。素直に人の言葉をきく。信じる。
それと、
自分は経験がないけれど、まわりの役者さんがすてきすぎるけど、
卑屈にならないように、比べないように、見に来た人ががっかりすることを考えないように、そういう考えは全部とりはらう。
私はこれで死んだりはしないんだから。
つい、いろいろ比べる指標があるものだから、比べてしまうけど、もうなにもないんだから。
たのしくやりたい。たのしい気持ちを伝えたい。
部員は、たっちー、りのちん、おんぞーさん(あ、ごめん許可なく)
この人たちには梅干しがもれなくとどく仕組みです。まいとしです。
今日きめました。
今日の稽古でまた、ゼロにもどったかとおもった。三日前なのに。
後悔してもどうしようもない、やるせなさに襲われた。
自分のコミュニケーショん能力が問題なのか、と思った。
自分のやってみたかったことはみんなのやってるみたいな動きなのに、今つくっているのはそうではない方向にいっていて、しかも、行き詰まっていた。いや、本当は行き詰まっていなかったのかもしれない。すごく、行き違いがあって、もうなにもかもいやになった。
マジむかつく・・・という言葉が相手に対して思わずでた。
そんなつもりなかったのに、泣きながら抗議をしてしまった。でも、それをいったらおしまいよ、的なことは喉のところまででかかってえやめた。そんなの人を無駄にきづつけるだけの言葉でそれは私はつかってはいけない言葉だった。多分それは相手に対してあなたは卑怯だ、という意味の言葉、それを言葉をつくして傷つけるところだった。ネガティブなことに言葉をつくすとそれはそれは大変な傷になってしまう。むかついてもだめ、だ。本当に破壊したいわけではないのなら。そうおもってぐっと言葉がつまった。けど、悔しさはのこった。
もうほんとうにやるせなくってもういいよ、みたいなことをいった。とびらの向こうでは共演の役者さんたちがもちろん聞いていた、はず。
「もう七夜できない、、、」と私はそのとびらをあけていった。泣いた顔をみられるのがはずかしかった。私最年長なのに。
役者さんたちはみんなとってもやさしかった。
芝居も本当にいいし、みんな素敵すぎて、私はそれもきっとあせりのひとつだった。
私など、本当にレベルが低すぎて、みんなのお荷物みたいで、私がお客だったらぜんぜんこころにひっかからないだろうとおもうのだ。他の人の芝居はどれもその人らしくて楽しくて私はすきで、自分のは好きになれない。なぜなら、よくわからないことをしているから。自分でもわからないし、なぜ私がやりたいと思ってたことができないようになってしまったのか、今の芝居にいたる道がたんなるコミュニケーショん不足によるもの、時間がなかったから、に思えた。
見に来てくれる友人に対して申し訳がたたない。
こうして泣いたのが3時くらいだったかな。
それで、よるの練習で、彼の考えた方法をやりたいと言ってみた。だって、芝居に関しては彼の方がよくしっている。
なるたけ素直に従うようにした。
そしたら、少しだけ光がみえたような気がした。
あと二日。
私の見た光を、お客さんがすこしでも見いだしてくれますように。
弱音はかずにやるのみ。素直に人の言葉をきく。信じる。
それと、
自分は経験がないけれど、まわりの役者さんがすてきすぎるけど、
卑屈にならないように、比べないように、見に来た人ががっかりすることを考えないように、そういう考えは全部とりはらう。
私はこれで死んだりはしないんだから。
つい、いろいろ比べる指標があるものだから、比べてしまうけど、もうなにもないんだから。
たのしくやりたい。たのしい気持ちを伝えたい。
2010/03/10
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