2012/11/16

迂回ルート

おはようございます。
朝から布団の中でiPhone手にして夏からの禁じ手のひとつをやぶりました。
ここで告白しておく。

でも目的地Aはちゃんととってある。

破った禁じ手のほうは、自分をためしたというようなところもある。
どんな気持ちがするかって。

古い友人が表す言葉の自分への影響に、三ヶ月前のある日やっとそれを完全に避けることを決意し、その人の書く言葉を読むのをやめていた。ということです。
これは中毒とか依存とか、そういうことにまつわる心理的な実験観察に使えると自分では思っています。

2012/10/30

おばあちゃん

おばあちゃん、元気ですか。
今どうしてますか。

さっきふと、「どこへいくんだからわからない」といって不安そうにしていたおばあちゃんの、本当に多分ちょうど一年前のおばあちゃんの様子を思い出して、わたし自分の今の状態がまさにそんな感じだなあ、って思ったよ。
おばあちゃんはどこかにいくのは知ってて、それがどこなのかどうやっていくのかまったく手がかりがなくてこわくて不安でどうしよう、っていう感じにはわたしには見えたの。でもここにとどまるわけにはいかないっていうこと、前にももどれないってこと。先にすすむしかない。お休みしててもいつかはね。
それで、11月にはいって、よしいこう、って決めたんだよね。すごくすごくつよくてえらくてわたしは感動したよ。少女のおばあちゃん。
今日ね、思い出したのは、わたしも今そうなの。会社やめてこの愛する家をでなきゃならないの。いつかはね。どこへいくんだか、どうやっていくんだかわからないの。でも、いくことは知ってるの。おばあちゃんどうやってその一歩をふみだしたの?
その先はどうだった?

死と生きる事がどれだけちがうんだろう。
生きる事の中にも死に似たものはたくさんあって、それは決していまわしいものではないように思ったよ。

わたしもおばあちゃんの決心でここをでるよ。
冒険だよ。
死は冒険のひとつのようにみせてくれたおばあちゃん。
生きてるあいだにその決心の練習してみるよ、わたし。

あと数時間でおばあちゃんの誕生日だよ。
おめでとう。98さい。


2012/10/28

おじょうさん

鼻に花びらがくっつくくらい、抱きかかえるように香ってみる。
この花の香りをなんとたとえたらよいのだろうか。
わたしはこの香りを覚えていられるだろうか。

わたしのとても大切な人がわたしのとても尊敬する人のところまでてくてく歩いてわたしの為に花を選んでくださいと言いにいったのだそうだ。尊敬する人の尊敬する仕事ぶりによって選ばれつつまれて、大切な人によってわたしの元に運ばれてきたその花の姿に、とてもおそるおそるではあるが自分の姿を重ねてみようと思いついたのは、そうやって大切な人がわたしを思ってくれることで起きたことやもたらされたものを十分にあじわい受け取るにはわたし自身がわたし自身についてもっとよい風に思ってあげないとなのかもしれない、という考えがかすかに発生したのを発見したからだ。

うぬぼれではなくって、自分を誇りに思うということはとてもとてもむずかしくてわたしはいい歳してそれが全然できない。でも、人から自分に向けられた祝福をうけとるときにその祝福が存分に作用するためには自分自身による祝福もまた必要なのかもしれない。自分で自分のことを祝福されるべきものと思っていなかったら相手の投げてくれた祝福は存分には発揮されないのかもしれない。そしてそれはやっぱり受け取りということに関してずさんで失礼である。そのことにようやく気がついたのである。なにごともちょっとずつである。

こくもうすくもないきみどり色にブルーの入ったところをむらさきの入ったところのある、全体としは一つのまとまりのある色調で、そして一つで森のようにこんもりしている。かたまりには厚みがあってゆたかだ。しおれているところもあれば瑞々しいところもある。ドライのように見えるけど今は水分も含んでいる。ドライになってももしかしたら色は保たれるかもしれない。花びらはとてもうすくて、紙のようだけれども触るとひんやりしっとりしており、香るとさわやかに甘い。

どんな自分になりたいか、

くだらないかもしれないけれども今の時代の私たちは(もしかしたらいつの時代のわたしたちも)考えるし、あこがれの像を頭においてそのようにすてきになりたいなどと考えるものである。はずかしながらわたしだって少女漫画的にそのようにかんがえる。

そのあこがれの位置ににこの花の姿を置いてみようと思う。
そんな風になりたいな、と思う事を許可してみようと思う。


2012/09/09

三週間

三週間たった

2012/08/30

ともこちゃんのみそ汁セット

あなたに足りないのはみそ汁な気がする。

とメールにあって、

だからみそ汁セット送ったから。


って。

そのメールは

わたしまたよけいな事しちゃった(>_<)

と始まってて、みそ汁セット(野菜を含む)と梨を送ったけど次の日届いてないならだめになってるから野菜はすててね!というところから、みそ汁が足りないという指摘に至るメールであった。


結局私が荷物を受け取ったのはそのメールをもらってから二日後で、たしかに葉物、枝豆、ぶどうはだめになってたので、ともこちゃんのいうとおりに捨てる事にする。ともこちゃんならこれは躊躇なく捨てるだろう、と思って、心をいためずに捨てるという行為を実践した。心をいためてすてたらともこちゃんに悪いから。それはともこちゃんの心情に反するから。

いりこだしと昆布だし、それから多分ともこちゃんがこないだ旅行にいってかったのではないか?と思われる三河の赤出し、そしてオクラとトマト一個、梨が手元に残った。
それから隙間をうめるため?のストールとボーダーのタンクトップ。

メールでは、いりこと昆布を水にいれて冷蔵庫にいれとくだけでだしがとれるし、簡単だからやりなさい、と書いてあった。

そこで、いりこを水に入れて冷蔵庫に置いたのが日曜。今日は木曜。
やっとこさみそ汁セットがみそ汁に。

オクラの味がすごくて、あー、みそ汁って具からもだしがでるんだった、とか、
このねばり、ジュンサイ並みじゃない??とか、感動しきりである。

トマトも切ってたべみたら本当にあまくって、なんじゃこりゃ?というかんじである。

野菜がおいしいってすごいなあ。
力を感じる。

赤出しもとてもとてもおいしい。

なんというか、がんばってみそ汁をつづけよう、そしたら私の身体はよくなるかも、と思った次第である。


2012/08/26

人のやっていること、自分と関係のない事象については見えているように思ってしまう。自分のこともこうやって見えないと、人のことを見えているように思うその思考力はなんにも役立ってないことになる。

2012/08/22

目的地A

今日で四日目だ。
8月19日に私は目的地Aを定めた。

目的地Aのネーミングは恩蔵さん。
名付けられたことで、これは形をもった。

目的地Aの正体はなんだかわからない。
今のところどういう風にめざせばいいのかだけはわかる。
毎日一歩ずつ歩く。

目的地Aを目指していても、Cにたどり着いてしまうこともあるという。
けれど、初めからCを目指さないし、Cなんて知らない。BだってDだってしらない。
Cなんてない。
あるのは今は、目的地Aだけ。Aが見えているわけではないのに、それはある。

この「目的地A」について考える。
できるんだろうか、そんなこと。
人生と作品。その習作のようでもある。