2010/02/20

けいこ

稽古に行くと、演出家にいつも待たされる。
けど、わたしよりもはやくいってもっと待たされている人がいる。たっちー。
今日彼女がしぼりだした、この何もできずにまってるという状態が繰り返されることに対して自分はどういう気持ちでいたらいいのかわからないよ、という言葉、をきいたのだった。
彼女の演じる場面がよきものでありますように。そうであると確信し、想像し、稽古がんばろうと思う。彼女のこころの存在を知る。

2010/02/18

ゆきのひ



2010/02/08

お誕生。

大学時代の友人、ヤマザキさんが7日、無事出産したそうです。
うれしい!!

実は、昨夜の夢(7日夜から8日朝にかけて)にヤマザキさんとヨネちゃんという大学時代の友人がでてきたのです。ドライブだったような。ヤマザキさんが運転してた。それでへんなレストランで食事したような。見るとヤマザキさんは妊婦で、お腹がとがってるよーと言ってる。その顔はうつくしいヤマザキさんにしてはやけに汗ばんでいた。しかし変なレストランだった。その変なレストランでわたしはもちろんビールを飲んだが、妊婦のヤマザキさんも小さいコップで一杯やっていて、わたしはおおらかだなあ、ビール飲んでいいんだ〜などと思っていた。ビールはアサヒスーパードライの一番ちっちゃい缶で、ビールの入ったグラスが曇っておいしそうだった。


朝になって、はっとしたのは起きてからしばらくたってのことで、最近ヤマザキさんのことなど思い出してなかったのに、よく考えたら、予定日付近じゃないか!もしかして生まれた??この夢ってそういう感じのもの?と気がついて興奮してしまった。
メールしようと思ったけど、出産てもしものこともあるから控えていた。


そして、、、!
さっきメールがきたのだった。

おめでとう。
うーん。きっとかわいいし、ヤマザキさんのおかあさんぷりもすごく楽しみ。
わたしは自分にはない自然なところを持っているヤマザキさんが大好きで、会うと心が洗われるのだけど、あまりにも違うので真似することや学ぶことすら無理で、とおい憧れ、みたいな存在。今でもなんでこの人とお友達になれたんだろ、って不思議になることがある。そこで鍵になってくるのはヨネちゃんという存在なのだと思う。

不思議な三人組だったな。

2010/01/07

年賀状

新年。

年賀状が届いてうれしい。
年賀状はすごく一方通行な感じがする。こっちが書いてる時、あっちも書いてるから、同時発話みたくなって、会話にはなってない。往復書簡ではないし、メールとかでなれきったレスポンス、でもない。

こちらが書いたことと同じようなことを相手が書いてくれてる場合もあるし、全然ちがったトーンで書かれている場合もある。年賀状を見て思わずお返事したくなるのだが、私の書いたものは別の言葉でもう投げ出されている。

それぞれが、相手の言葉に反応しているんじゃない言葉。絵。写真。

返事をする、ということに慣れすぎて、相手の言葉を読みすぎて、心を読みすぎて、タイミングを読みすぎて、それが身体に染み付いてしまったところへ、新鮮な風のようでありました。

2009/12/20

寒波


大陸は澄み切っている。
海の上に水蒸気がたまって流れる。

2009/12/13

遠くの定まった一点について

友人は私にとってはとても大切で、私は本当のところ、恋愛というものがそれと比べてどうなのかというのがよくわからない。
いや、友人だから大切、恋人だから大切、家族だから大切、という線引きの意味はよくわからないと言った方がいいかもしれない。つきあうとか結婚とかそういうものにすっと入り込めないのはわからないという気持ちが強いからなんだけど、そして、人と話すとそれがあまりにも自然に行われてることに不安になるのだけれど、きっとそれはどちらでもいい事で、その人たちにとっても私にとっても同じに言えるのは、人が他人と関係を持つということはなんて尊いことだろうか、ということだ。

先ほど友人のブログを読んで、私は、書いてある内容に近いことを彼女とメールをかわしたのにもかかわらず、涙が流れてしまった。
言葉について、そして、遠くの友人について。

今年の五月に私は里親というものになった。
チベットの少年ロサン・ティンズィン君。
中学校に通うためのお金を振り込んで、一度だけ手紙を書いた。日食が見られるね、という話と、日食眼鏡を送った。言葉は中国語のできる友人に訳してもらった。
10月に、彼の写真と、里親活動のNPO団体からの手紙がきた。ロサンくんは写真を撮ったあとすぐに、カミナリに打たれて亡くなったという。

知らせを受けた時から今まで、彼が生きている事と、亡くなってしまったこと、その違いについて私はあまりうまくイメージすることができなかった。
ただ、チベットという名の知っているようで知らない、風景も位置も正確に思い浮かべる事もできない抽象的な距離の遠くの向こうに、自分が関わりをもった一点がある。それが、場所も時間も、カミナリという空と地上の間に電気が走るイベントによって固定されたような、そんな一点のイメージだけがある。そしてその抽象的な一点に私はロサンくんの死という名前をつけているかもしれない。

なぜ涙がでたのかは本当にわからない。
悲しい、というのでもない。
けれど、彼女の言葉が時空を超えて、遠くの誰かに届くことをとリアルに思った瞬間、私が彼に向けて差し出した、ものすごく曖昧で自分でもなにをしたかったのかわからないことも届いたと思ってもいいのかもしれない、と思った。

2009/12/12

現象

今日もまったくはじめて見る雲と太陽の光だった。ぼやけて太陽が二つあるような潤んだ空とくっきりした空が全体では融合していた。
あの、空と雲と太陽のすばらしい映像をみるといつでも思う。

太陽はいつも通り動いてるだけ。雲もいつも通りうごいているだけ。なのに、私たちはそこに平凡も特別も見いだしてしまう。日食もそうだ。

私はそのことが本当に不思議な感じがして、そういうような、いつも通りの動きがこころを動かしたり動かさなかったりするという当たり前の仕組みみたいなものをなんか、やってみたいなあと思うのだ。