2010/08/02

その日の天使

東京堂で中島らもの「その日の天使」を、ちらっと立ち読む。
The day's divinity, the day's angel

1000円くらいだろうと思ってレジに差し出した本が2000円したのだ けれど、この本はきっとわたしの、今日の天使だってしってる。
新刊コーナーの角っこにちょこっと置いてあった銀色の文庫サイズ、編集 グループSUREさん、あ、しってる、見たことある、面白そうな本を作ってる方々だ、、

鶴見俊輔、もうろく帖、

日記、だった。

言葉が引用されていたり、
ぽつりぽつりとあったり。



言葉そのものは、もちろんとても大切、でもその言葉がそのタイミングででてきたこ と、定着されたこと、どんな言葉にもある、きざまれた場所。みてみたい。
それをつないだり、重ねたり、すかしたりしてみたら、それをみてる今日が、遠くの今日とつながるきがする。
星座みたく。

2010/07/03

ひきつづきサッカーのこと

最近はサッカーから少し遠ざかっていて、熱中していたころの感動の仕方を忘れていたのだけれどそれを思い出した日本vsパラグアイ戦だった。

テレビで生放送されている。
私は居間でじっとしている。
彼らは、今の今、激しく動いている。顔が引きつり、声が枯れ、足の筋肉の疲労は幾ばくか。
それが今の今、私のじっとしているのと同時におこっていることに、いつでもなぜか感動した。
涙さえ流した。
感動の試合運びにではなく、今の今、彼らがあのようにして存在すること、それを自分はきわめて平静な呼吸で平穏な居間で観ている。
その不思議さがたまらない。今、ここ、あそこ、を強烈に感じる。それで涙がにじむ。もちろん、試合内容が劇的であればあるほど。(だからやはりそれは試合が劇的で泣いているということに含まれているのかもしれないのだけれど。)
今、体が激しくぶつかった、今、倒された、今とんだ、今、ボールをかすった、今、ボールを凝視した、今、今、
彼らの今を私たちは観ていて、激しくぶつかった衝撃が自分に起こったとしたらどれだけショッキングな衝撃なのか、今あのボールを観て、そのとき光がまぶしかったろうか、歓声はどれだけきこえただろうか、。かれらの見たものを自分の目でみたように、想像する、聞いている音を、心臓のばくばくを、あるいは努めて冷静であろうとする頭脳を。
そして、私は居間でじっとしている。

サッカーだけに起こることではない、生放送であればそのような想像は可能なのだけれど、例えば、NHKのニュースを読んでいるアナウンサーの緊張を想像することだって可能のように思えるけれど、それはおこらないのだ。サッカーにおいて私はつよくそれを感じてしまう。演じているのではないから?シナリオも予定調和もない生なものをみているからだろうか。他に似たものはあるのだろうか。(オリンピック?)単に趣味の、好みの問題なのだろうか。


それから、そのサッカーをたくさんの人が観ているということ。
その人たちが何かを念じながら観ているということ。

全部が同じ時間におこっているということ。集中。

それらが私がサッカーを観ていていつでも興奮する理由の一つだと思う。

2010/06/28

うめ。

ち。、、、、か,?...、、りーーーーーっぃ..た、、、.....,,,す

じゃなくて!!!!

しっかりしろおい。
今日は梅干しをつけたのだ。
今年の工夫は梅を縦に並べたこと。
けどそのおかげで背が高くなりふたがしまらないがきっと重しでそのうち背が低くなるから大丈夫。
金曜に池袋東武で780円のが200円引きになってるのを3袋買い、2晩おいたら黄色と赤だけになったので今日!だった。
3キロでは少々すくないので池袋東武の違うお店?もしくは同じお店だが別の梅980円を2袋買う。
780円のもあったけど青みがあったから。前の3袋と同じくらいの色じゃないと。

18%。

姉の子供の生まれ年の梅干しとして、生涯君臨することになるだろうはじめの一歩。
4L?5L?本当に大きな梅で、ことしもいい出会いがあって、よかった。

ところで、昨年は弱っていたため、初のカビが出てしまったけれど今になればとてもおいしくできている。
不思議だ。
どんな梅も、荒んだ気持ちでつくって途中になにがあっても、ちゃんとおいしくなるのがすごいなあと思う。
時間だけがやつらをおいしくさせる、のか。

2010/06/25

ゴールは入るものだったのだ

男ってすごい。
男のすがすがしいばかっぽさ、真剣にむかうところ、これが男らしさな気がする。
なんて楽しそうなんだ。

試合後、本田も中沢も遠藤も、自分の内側に向かって言葉も気持ちも集中してる感じの受け答えだった。
インタビュー中の視線の動き、人がものを集中してるときに斜め上をみてきょろきょろする感じがあった。
満足できないです、とか、別に大きく見せたり受けを狙ってる訳じゃないもん。
初めて知った場面での感情の動きを彼らはよく観察しているように見えて、それを見せてもらってるほうは見せてもらってるほうで初めてでうれしい。

今まで、フリーキックのシーンで、私は、私たちは、ゴールが入って欲しいと常に願ってはいたが、ゴールが入ると信じていたことはあっただろうか。もしくは、ゴールは入るものだと知っていただろうか。
今回、わたしは初めて「ゴールって入るものなんだ」って知った。そして、今まで願ってはいたけど、それは手にとどかないものを願うみたいな抽象的なものだったのかもしれない、と思った。入るってことを知らなかったから、どこかで入らないことが当然だった。本当の意味で入ることをイメージできないでいた。願いは同じでも本当に信じることができるのは今後なのかもしれない。信じるっていうことひとつとっても経験にはさまざまなものがあるんだっていうのがあのフリーキックが入ったときにわたしは知った。

ああ、それが知れたよ。それがうれしいよ。
サッカーの歴史が長い強豪国はそれを信じることができてたんだね。
そういうものだっていうこと。

歴史があった。
悔しい思い、ばかばかばかーってこともなんどもあった。
きーちゃんや城の解説を聞いていて、
この人たちがいて、今の選手がいるんだなって思った。
個人であるけれども、個人じゃなくつながってる部分。それは本当に目に見えないレベルでも。

みんなきれいな顔してた。

2010/06/16

花豆

花豆を三日ほど、十分に水に戻す。
戻した水はすてて新しい水でゆで始める。中弱火。
沸騰したら10〜15分あまりぐつぐつしない程度に煮立たせる。
同時に別鍋にお湯を沸騰させておく。
余裕があれば2回、なければ1回、煮こぼす。沸騰したお湯でふたたび煮る。これであくを抜く。
あく抜きがおわったら本番の煮込み。
セロリ、にんじん、タマネギ、ローリエ、ローズマリー、オリーブ油をいれて一緒に煮る。
このときも別鍋にお湯を沸騰させておいて。
15分くらい煮たらシャトルシェフにいれて適当な時間おく。2回湯でこぼしてたら3時間くらい、1回なら6時間くらい?かなり適当。シャトルシェフじゃない場合はごく弱火で様子をみながら1、2時間かなあ、(←たしかめてない。適当。鍋にもよると思う。)

皮がやぶれるか破れないかの絶妙にゆであがったら大成功。
煮汁につけたままさます。
ぷっくり、ふっくらたけているはず。
塩味もしてないのに、セロリの香りがはいってておいしい。

さて、これをサラダにしたり、煮込みにしたりする。

今日は帰宅後いそいで作った煮込みがとてもおいしかったのでメモ。

タマネギ1/4個くらいをみじん切り、オリーブ油でいため、そこにタプナード(高山なおみさんレシピ)を大さじ1か2くらい投入、ざっといためて、とまとの角切りも投入。
豆と煮汁をいれていい感じになるまで煮込む。味が足りなければコンソメなどで補う。

すごーくおいしかったのでまたつくってみよう。
やっぱりなんどもやらないと料理はカンがつかめない。

2010/05/27

お散歩は旅行だ

神保町〜丸の内〜有楽町〜日比谷〜新橋

2010/05/16

ひじき時間

ひじきを煮た。
何年ぶりだろう。

2009年、おおげざすぎると言われようが、わたしは毎日絶望していた。
ひじきには手をだしていない。豆はかろうじて煮たけれど、ひじきとあわせるところまでいってない。

2008年、正社員という雇用形態で働き始めてびっくりするほど非常識なことがまかり通るのが会社なのか?とおそれおののき、外食ばかりしていた。
やっぱりひじきに手をだした覚えはない。買ったかもしれない。いつだったか、しばらく使わなかったひじきを袋ごとすててしまった覚えはあるから。

2007年は?職業訓練校に行って、規則正しい生活が身に付いて激やせした年だ。お昼はコンビニのおにぎりだったな。うーん、ひじき??

2006年とか、2005年あたりまでさかのぼると、わたしはひじきを煮ていたかもしれない。と思い始める。

2004年、2003年は確実にやってた。一人暮らしを始めた頃はひじきも切り干し大根も常備菜としてつくっていたし、ご飯も炊いていたし、お弁当はそれらによって構成されていたはず。

2010年、5月にして、ひじき時間再び流れ始める。
これは祝うべきことのような気がする。
前回のひじきとの間にあったことの多さを考えるとなんだか旅をしてかえってきたような気持ちだ。