2010/10/21

2010/10/20

つぶやきんぐ

グレゴールシュナイダーを見た。
おしいれのぼうけんを思い出した。ねずみばあさんこわかった。
個人のオブセッションを真摯に極めていいこと、その対価として多額のお金が取引されること、ヨーロッパは不思議の国だ。そうやって、いろいろなアーティストがわたしたちの目の前に姿をみせてくれる。

ブーツをかった。40歳になってもはけるブーツ。

今日のサンドイッチはいもと卵。おいしかった。
りんごを丸かじりすると外人気分だ。

ツイッターをやめてみた。

毎日納豆を食べることにした。

美容院の予約をした。

なんでもツイッター用のつぶやきに心が変形してることにきづいた。
そのことがなんだかとてもおもしろい。

ひきかえ

金のネックレスなくした。
パレスチナのペアグラスの片方がこわれた。軽い、ぱりんという音だった。
不注意。

いのちのかわりになくしたりこわしたりする。
幾度かそういうことがあった。私は健康で大病しないかわりに
ものがなくなっていったりする。ひきかえなんじゃないかって思う。
怪我したりもする。けど、たいしたことじゃない。

なくしたりいなくなってしまった大切なものは
今でも大切だ。すきだ。

所有するってなんだろう。手が触れられることなのかな。
でも、すべてのものに手なんか触れてないよ。見ることすらしてない。

2010/08/02

その日の天使

東京堂で中島らもの「その日の天使」を、ちらっと立ち読む。
The day's divinity, the day's angel

1000円くらいだろうと思ってレジに差し出した本が2000円したのだ けれど、この本はきっとわたしの、今日の天使だってしってる。
新刊コーナーの角っこにちょこっと置いてあった銀色の文庫サイズ、編集 グループSUREさん、あ、しってる、見たことある、面白そうな本を作ってる方々だ、、

鶴見俊輔、もうろく帖、

日記、だった。

言葉が引用されていたり、
ぽつりぽつりとあったり。



言葉そのものは、もちろんとても大切、でもその言葉がそのタイミングででてきたこ と、定着されたこと、どんな言葉にもある、きざまれた場所。みてみたい。
それをつないだり、重ねたり、すかしたりしてみたら、それをみてる今日が、遠くの今日とつながるきがする。
星座みたく。

2010/07/03

ひきつづきサッカーのこと

最近はサッカーから少し遠ざかっていて、熱中していたころの感動の仕方を忘れていたのだけれどそれを思い出した日本vsパラグアイ戦だった。

テレビで生放送されている。
私は居間でじっとしている。
彼らは、今の今、激しく動いている。顔が引きつり、声が枯れ、足の筋肉の疲労は幾ばくか。
それが今の今、私のじっとしているのと同時におこっていることに、いつでもなぜか感動した。
涙さえ流した。
感動の試合運びにではなく、今の今、彼らがあのようにして存在すること、それを自分はきわめて平静な呼吸で平穏な居間で観ている。
その不思議さがたまらない。今、ここ、あそこ、を強烈に感じる。それで涙がにじむ。もちろん、試合内容が劇的であればあるほど。(だからやはりそれは試合が劇的で泣いているということに含まれているのかもしれないのだけれど。)
今、体が激しくぶつかった、今、倒された、今とんだ、今、ボールをかすった、今、ボールを凝視した、今、今、
彼らの今を私たちは観ていて、激しくぶつかった衝撃が自分に起こったとしたらどれだけショッキングな衝撃なのか、今あのボールを観て、そのとき光がまぶしかったろうか、歓声はどれだけきこえただろうか、。かれらの見たものを自分の目でみたように、想像する、聞いている音を、心臓のばくばくを、あるいは努めて冷静であろうとする頭脳を。
そして、私は居間でじっとしている。

サッカーだけに起こることではない、生放送であればそのような想像は可能なのだけれど、例えば、NHKのニュースを読んでいるアナウンサーの緊張を想像することだって可能のように思えるけれど、それはおこらないのだ。サッカーにおいて私はつよくそれを感じてしまう。演じているのではないから?シナリオも予定調和もない生なものをみているからだろうか。他に似たものはあるのだろうか。(オリンピック?)単に趣味の、好みの問題なのだろうか。


それから、そのサッカーをたくさんの人が観ているということ。
その人たちが何かを念じながら観ているということ。

全部が同じ時間におこっているということ。集中。

それらが私がサッカーを観ていていつでも興奮する理由の一つだと思う。

2010/06/28

うめ。

ち。、、、、か,?...、、りーーーーーっぃ..た、、、.....,,,す

じゃなくて!!!!

しっかりしろおい。
今日は梅干しをつけたのだ。
今年の工夫は梅を縦に並べたこと。
けどそのおかげで背が高くなりふたがしまらないがきっと重しでそのうち背が低くなるから大丈夫。
金曜に池袋東武で780円のが200円引きになってるのを3袋買い、2晩おいたら黄色と赤だけになったので今日!だった。
3キロでは少々すくないので池袋東武の違うお店?もしくは同じお店だが別の梅980円を2袋買う。
780円のもあったけど青みがあったから。前の3袋と同じくらいの色じゃないと。

18%。

姉の子供の生まれ年の梅干しとして、生涯君臨することになるだろうはじめの一歩。
4L?5L?本当に大きな梅で、ことしもいい出会いがあって、よかった。

ところで、昨年は弱っていたため、初のカビが出てしまったけれど今になればとてもおいしくできている。
不思議だ。
どんな梅も、荒んだ気持ちでつくって途中になにがあっても、ちゃんとおいしくなるのがすごいなあと思う。
時間だけがやつらをおいしくさせる、のか。

2010/06/25

ゴールは入るものだったのだ

男ってすごい。
男のすがすがしいばかっぽさ、真剣にむかうところ、これが男らしさな気がする。
なんて楽しそうなんだ。

試合後、本田も中沢も遠藤も、自分の内側に向かって言葉も気持ちも集中してる感じの受け答えだった。
インタビュー中の視線の動き、人がものを集中してるときに斜め上をみてきょろきょろする感じがあった。
満足できないです、とか、別に大きく見せたり受けを狙ってる訳じゃないもん。
初めて知った場面での感情の動きを彼らはよく観察しているように見えて、それを見せてもらってるほうは見せてもらってるほうで初めてでうれしい。

今まで、フリーキックのシーンで、私は、私たちは、ゴールが入って欲しいと常に願ってはいたが、ゴールが入ると信じていたことはあっただろうか。もしくは、ゴールは入るものだと知っていただろうか。
今回、わたしは初めて「ゴールって入るものなんだ」って知った。そして、今まで願ってはいたけど、それは手にとどかないものを願うみたいな抽象的なものだったのかもしれない、と思った。入るってことを知らなかったから、どこかで入らないことが当然だった。本当の意味で入ることをイメージできないでいた。願いは同じでも本当に信じることができるのは今後なのかもしれない。信じるっていうことひとつとっても経験にはさまざまなものがあるんだっていうのがあのフリーキックが入ったときにわたしは知った。

ああ、それが知れたよ。それがうれしいよ。
サッカーの歴史が長い強豪国はそれを信じることができてたんだね。
そういうものだっていうこと。

歴史があった。
悔しい思い、ばかばかばかーってこともなんどもあった。
きーちゃんや城の解説を聞いていて、
この人たちがいて、今の選手がいるんだなって思った。
個人であるけれども、個人じゃなくつながってる部分。それは本当に目に見えないレベルでも。

みんなきれいな顔してた。