2012/02/13

やきいもサラダ

100円ローソンの焼き芋にはまっている。
けど、こないだのはあんまりおいしくなかった。
ので、冷蔵庫でしばらく放置してた。

今日はそれを1センチほどの輪切りにして、フライパンに少しの水といっしょにいれて蒸し戻し、水分と温度が芋の中に入ったとこでお皿にもり、内田真美さんの本をみてつくって(から久しくたっている)レモンオイルをたらりたらりとかけ、粗塩をぱらりぱらり、してみた。

レモンオイルがむかーしお菓子をつくるときにつかったレモンエッセンスみたいな、うそみたいなレモンのかおりで、おやつみたいなつまみみたいのができた。おいしい。

2012/02/05

ルドンからの形

1.
私にとってルドンはもわもわっとした雰囲気の画家であった。しっとりとした黒の版画はシャープで冷たいもわもわというイメージを抱かせたし、色彩のある絵画もやはりもわもわした空気が立ちこめていて、薄暗い中に仄かな光がもれてくるような、例えるなら女性が化粧をするとき、目元や頬にのせた色を周囲となじむようにぼかすような、そんな質感の画家であった。おそらくこの印象は17、18歳の美術予備校に通っていた頃、絵画のことなど全くわからず、理解しようともせず、ただなんとなく常識として知ってて当たり前だよね、という周囲の雰囲気の中で様々な画家の画集をぱらりぱらりとめくっては背景の読解も執着もせず、質感のインプットだけはできたというその頃のもので、以来更新されていない。

2.
展示の順番、つまり、見てゆく順番によって受ける印象は違うかもしれないのだけど、と前置きした上で彼女は口をひらいた。
あるものを観賞した経験について語る時、その対象に好感をもっているという共通認識が会話の両者にあるのならば、「あれ見た?」「見た見た」「え、どーだった?」「ん、よかったよ」で、大抵のことは終わってしまう。いや、共通認識がなくとも、たいがいの会話はそのようにすむことが多い。
私と彼女は共通のなにかをルドンについて持っていないことは確かだった。ルドンについてなど、一度も話したことがない。私は展示を見てきたという彼女が何を言うのか興味津々であった。この人が何かを見た後に何かを語ろうとするときはいつでも決してどこかでみたようなことはいわない。どこかでみたようなことを言うのが悪いと言う訳ではないけれど、なにを言い出すかわからないから、自分では思いつかないことを必ずいうから、期待度が増すのだ。聞き手としての私はそれをどう受け止めたかを毎回試されているようで、緊張と集中を伴って耳を傾けることに、会話の充実感を覚えてしまうのだ。

始めに黒の絵がならんでいて、神話がモチーフなのだけれど、神話という感じがしなかった。と、まず彼女は言った。
彼と友達になれるとは思わなかった。うまくいかずにもがいている姿にみえた‥。
私の不確かな記憶なので言い回しは違うかもしれないけれども彼女はそのようなことを言った。なにか、葛藤しつつも得られない本物のたましい、人間の滑稽さ、みたいなものを感じたのだと。
なるほど。私は話を聞きながら展示室の様子を想像した。自分だったら神話であることやそのあり方などにきっと注視できないだろう、美術教育を受けたにもかかわらず質や雰囲気や時代くらいしか読み取れない自分の性質と、彼女がそこで読み取ったものの差異を感じながら、また、彼女の読み取ったであろう世界の中に身をおくようにして聞いていた。

「順番に見ていって、最後の部屋のグランブーケをみたとき、この人のすべてがここにある、と思って、感動したの。ああ、よくやったね、あなたの全てがそこにあるよ、あなたの姿が私には見えたよ、と思ったの。」

ここのところ、彼女がみる「全体」の感じを私も聞き知っていた。それが今のところの彼女が世界をみてゆく方法なのだと感じていた。私は、おそらく私がその場に立ったとしても得ることができないであろう感動を彼女の世界の中で追体験しているような気持ちで、このようにひとりの全体を得るという見方、方法があるのか、と思いながら、そして、私ならばそこで何を見るのだろうか、とぼんやり考えながら聞いていた。それから彼女はこう付け足した。

「それが感じられた時に、自分がちゃんとここにいる、あ、私、大丈夫って思えたの。」


3.
神保町すずらん通りに面した小さなギャラリーで年に一度、丸木位里・俊展をやっている。昨年の同じ時期に偶然見つけて入り、今年も看板を見つけたのでまたふらりと入った。昨年とは違う絵が展示されている。私は昨年はじめて原爆の図以外のお二人の絵を見て俊さんの絵がとても好きになった。今年も俊さんやはり素敵、と思いながら位里さんのスケールの大きい風景も見ると、うなるようなうまさ、完結なのにすごく広い空間がある感じにやはりこちらもいいなと思いながら見る。画家として昭和を生きた方々であり、椎名町のアトリエ村での写真なども展示されていた。原爆の図や丸木美術館で知られるお二人だけれども、そこのギャラリーにある絵は日常のもの、ふと目にしたもの、外国の風景や動物などで、色彩もはなやかである。見ているととても愛おしい気持ちになる。原爆の図を描いた人の別の絵。両方あるのだというのが私にとっては嬉しい気持ちになるのだった。その日、ひと回りしてギャラリーを出ようとしたときにふと目に入れたモンゴルの平原の絵が、広大なひろがりを一瞬にして私にもたらした。位里さんによる絵で柔らかい線と緑色の色面で構成されている。その一瞬に私は後ろ髪を引かれて立ち止まった。
俊さんの線のすてきさ、色のにじみ、印刷物ではわからない画家がたった今かいたような質感、また、位里さんの風景の雄大さ、緑一色のようでありながら本当にこれがモンゴルなのだと納得してしまうような空気感、それらをみて動いた心が今ここにあるということが実感された。その感動とほとんど同時にわき上がるのは、感動とは別の思い、私は確実にこれを忘れるだろうということだ。
そう、私はいつだって忘れてしまう。感動したときほど、これを忘れるのだろうという思いもまた強くわき上がる。忘れてしまう、忘れてしまう、じゃあ何なのだろう、どうしたいいのだろう、これは、と心の中で反芻しながらもう一度モンゴルの草原を見、全体をぐるりとみまわし、ギャラリーを後にした。
すずらん通りをぷらぷら歩きながら、そのときの苦し紛れか、忘れてしまうことを肯定できるような考えが咄嗟にうかんできたのだった。

ああ、私は今ここでしたようにいつでも歩きながら、あるいは少しだけ立ち止まってこれから何度でも絵を作品をみるだろう。大事なことは過ぎ去りながら(歩きながら)私は今これを見ているというという事なのだ、と。
その咄嗟の考えは経験と共に経過する時間をひしひしと感じさせた。まるで今現在の中で今現在がビデオテープ再生されているような、今の中に今がまさにあるような感じを見つめて、ああ、覚えていられないのなら、この今を慈しむのみだ、と思った。
その思いつきに少しだけ安心してギャラリーを後にした。

4.
ある時彼女は盲目の人たちが月について語っているのを聞いたそうだ。「お前、月ってどんなだと思う?」「えー、おれはね、月ってのはね、、」といって、見た事のない月について楽しそうに語っていたという。私は彼女と割と頻繁にメールのやりとりをしているので、そのときもすぐに今日あった素敵なことの報告、として教えてもらった。友達でいるということはおそらく、素敵に思う事の種類が似ているというか、すてきでしょ?って言われたときの同期率が高いことなのではないかと思うのだが、そのときも、まるで自分が得た素敵出来事のように、おお、それはとっても何か気になるすてきなことではないか!と思ったのだった。その後何度か彼女がその盲目の人たちの月のことを話したのを聞いた気がする。そのことは彼女にとっては深く感じ入る出来事だったのだと私はそうやってどこかで知っていた。
その日、ルドンについてひとしきり話した後、帰路につく間にも彼女自身がルドンを見た体験を書く事やそれを世界に投げ出す事などについて考えていたのだと思う。電車でメールをやりとりしていて、この盲目の人たちの月の話が久しぶりに彼女からでてきたのだった。もっとも、私にとっては久しぶりだけれども彼女にとってはいつも脇に持っていたことかもしれない。
「めのみえないひとがさ、おまえにとって月ってどんな?と語り合ってたそのことはわたしにとってすごく大事。みんな盲目。あなたにとってこれってどんな?っていつも聞きたい。何も確かなことがないから、確かな手触りが欲しくってあなたにとってどんな?」

5.
あああ、そうか。「それ」が繋がる先はそこであったか。
数年間持ち続けた盲目の人たちの話す月のことが、現在彼女が作品に対峙すること、またそれを文章として発表する時の大切な鍵として現れたのだ。メールでのたわいのない会話ではあったが、それはまるで繋がった形の側から知らせを受けたように思えた。私は電車の中で感動した。全体を見る目とそれが向かう先の形、彼女の形。
もちろんそれは彼女の前にも姿を現し、彼女に何かしらの確信を与えたはずだ。けれども彼女に見える形と私に見える形は少し違うかもしれないと思う。私に見える形は彼女の見た形と似ているのではなく、むしろ、彼女がルドンのグランブーケからルドンの全部を受け取って感動した、という時に見いだしたルドンの形というものにに似ているのではないかと思うのだ。