この間の金曜日、新文芸坐にて。
「懺悔」は20年以上前のグルジアの作品。独裁者と市民のお話なんだけど、なんというかほのぼの?っていうか、イメージのコラージュがなかなか味わい深かった。
ゴダールとタルコフスキーとフェリー二を思い出してしまうような、不思議感満載で面白かった。光が明るい。ケーキが素敵だった。
一方の「この自由な世界で」は非常に重くって気持ちが悪くなってしまった。自分の状況と重ねたから?どうしようもなさに救いがないことが明らかだから?人材派遣=現代の奴隷制なんだな、と理解した。私はみずから奴隷になってしまったのだろうか?人々は他人からの搾取なしではもう生きていけないのかなあ。奴隷から這い上がるには他の奴隷の上に立つしかないのか。やるせない気持ちになった。
2009/06/22
2009/05/17
マイライフアズアドッグ
「パパはどこ?」
「知らない。赤道のどこかだ。」
「何してるの?」
「バナナの出荷だ」
「子供はほったらかし?父親だって責任あるのよ」
「だれかがバナナを出荷しなきゃ困るだろ?」
「他の人は?」
「パパ以外にいないんだよ」
-
イングマルはいくつかな。小2くらい?
ママは写真家で病気。イングマルはママと飼い犬のシッカンが好き。
ママもシッカンもいなくなって悲しい。すごくかなしい。けどイングマルは悲しみを誰かにを向けたり甘えたり不幸がったりしないんだ。自分で考えるんだ。距離をおくことが大事だって。瞬間瞬間があたらしいんだ。
それにしても私は運がいい。大切な映画をここっていうタイミングで私に勧めてくれる友人がいるんだから。映画をみたら、映画の中の世界とその友人の存在の仕方と運がいい私はつながってるように感じることができたんだから。私は運がいい。映画の時間がすぎてもわすれられない感じがある。あたたかくて明るいもの。
「知らない。赤道のどこかだ。」
「何してるの?」
「バナナの出荷だ」
「子供はほったらかし?父親だって責任あるのよ」
「だれかがバナナを出荷しなきゃ困るだろ?」
「他の人は?」
「パパ以外にいないんだよ」
-
イングマルはいくつかな。小2くらい?
ママは写真家で病気。イングマルはママと飼い犬のシッカンが好き。
ママもシッカンもいなくなって悲しい。すごくかなしい。けどイングマルは悲しみを誰かにを向けたり甘えたり不幸がったりしないんだ。自分で考えるんだ。距離をおくことが大事だって。瞬間瞬間があたらしいんだ。
それにしても私は運がいい。大切な映画をここっていうタイミングで私に勧めてくれる友人がいるんだから。映画をみたら、映画の中の世界とその友人の存在の仕方と運がいい私はつながってるように感じることができたんだから。私は運がいい。映画の時間がすぎてもわすれられない感じがある。あたたかくて明るいもの。
2009/05/13
スラムドッグミリオネラ
本当のことが知りたくて、ドキュメンタリーばかりを観ていた時期があった。大学のころ。
テレビでみるドキュメンタリーやニュースからは知り得ない、つまり、メジャーメディアでは存在できない現実の切り取りがオフシアターで上映されるドキュメンタリーにはあった。
フォリピンのキドラッド・タヒミック監督の「虹のアルバム」や「僕は怒れる黄色」、10時間耐久の「shore」、天安門首謀者のインタビュー「天安門」・・・。
「天安門」の中のインタビューで首謀者の今はNYに住んでいる女性が、「暴動になることはわかっていた。」と答えてたこと。政治的大義はもちろんあったろうが、実際に状況があのようになったのはもっと個人的なこと、ほんのまだ若者の少人数の人間関係からくるささいなことによって引き起こされたのだ、と理解した。実際の天安門事件当時まだ小学生でことの真相なんてもちろんしらなかったし、今も不勉強なのでよくしらない。けれど、そんな小学生の私にまで届いた新聞の一面をにぎわす感じ、世間が注目せずにはいられなかった感じ、あの時にそのまんなかにいた人が今はNYにいて、そのように語ることと、あの時自宅のキッチンで新聞とテーブルと思春期の始まりみたいなところにいた私と、両者を別の時空からみてまるでつながったように感じれること、そういうのがなんというか、むずがゆく興奮した。
それからしばらくしたある時、2002年くらいだったかな。突然、ドキュメンタリーはもういいや、と思った。何をみてた時だったかな。タイトルやストーリーは覚えてないけれど、ドキュメンタリーの言葉に心をうたれなくなった。
反比例して、つくりもののお話のリアルさをどんどん享受できるようになった。
「スラムドッグミリオネラ」はインドのスラムで育った男の子がミリオネラになる話だけれど、インドのスラムのドキュメンタリーをみるよりもずっとリアル感を生成される。
なぜなんだろう。
ヒントは最近よんだ佐藤優と手島龍一の対談本にのってた言葉(最近ずっとひっかかってる)にあるんじゃないかと思う。謀略、情報操作のやりかたの一つとして、相手方にヒントを上手に与え、相手自身に物語を作らせる。人は自分の作った物語は信じやすいし、大事にする。そこを利用して情報を操作する。
もう一つのヒントは、webマガジンにあったYOUのインタビュー。「自分のことは自分ではあまり話しません。人に話してもらうとだいたいちょっといい風に言ってくれれるし、その方が気持ちいいから」ということ。二つは違うレベルの話なのだけれど、私にはなにかつながっている。
ライフログを記録できる世の中になったとして、その記録は本当に私そのものであるか、と言えば、否、なのである。
私たちの生は客観的記録ではない。数量でも計量でもない。
私たちの生はドキュメンタリー的というよりもむしろ、夢のエンターテイメント的なのだと思う。だから、映画がリアルなんだと思う。
ずいぶんと乱暴なまとめだけど(続きをかきたいんだけど)、今日はこんな風にしかかけない。今この瞬間能力が全然たりない。こんなこと、私だけが考えてることではなくて、いろんな人がいろんな分野でちゃんとした言葉で考えているはずだけど、その人たちに「そんなんだよね」と共有してもらえるような、また、うっすらと感じてる人に「こうじゃない?そんな気するよね?」と話せるような言葉が獲得できてない。
でも、書いちゃいたい。
そんな、今夜。
テレビでみるドキュメンタリーやニュースからは知り得ない、つまり、メジャーメディアでは存在できない現実の切り取りがオフシアターで上映されるドキュメンタリーにはあった。
フォリピンのキドラッド・タヒミック監督の「虹のアルバム」や「僕は怒れる黄色」、10時間耐久の「shore」、天安門首謀者のインタビュー「天安門」・・・。
「天安門」の中のインタビューで首謀者の今はNYに住んでいる女性が、「暴動になることはわかっていた。」と答えてたこと。政治的大義はもちろんあったろうが、実際に状況があのようになったのはもっと個人的なこと、ほんのまだ若者の少人数の人間関係からくるささいなことによって引き起こされたのだ、と理解した。実際の天安門事件当時まだ小学生でことの真相なんてもちろんしらなかったし、今も不勉強なのでよくしらない。けれど、そんな小学生の私にまで届いた新聞の一面をにぎわす感じ、世間が注目せずにはいられなかった感じ、あの時にそのまんなかにいた人が今はNYにいて、そのように語ることと、あの時自宅のキッチンで新聞とテーブルと思春期の始まりみたいなところにいた私と、両者を別の時空からみてまるでつながったように感じれること、そういうのがなんというか、むずがゆく興奮した。
それからしばらくしたある時、2002年くらいだったかな。突然、ドキュメンタリーはもういいや、と思った。何をみてた時だったかな。タイトルやストーリーは覚えてないけれど、ドキュメンタリーの言葉に心をうたれなくなった。
反比例して、つくりもののお話のリアルさをどんどん享受できるようになった。
「スラムドッグミリオネラ」はインドのスラムで育った男の子がミリオネラになる話だけれど、インドのスラムのドキュメンタリーをみるよりもずっとリアル感を生成される。
なぜなんだろう。
ヒントは最近よんだ佐藤優と手島龍一の対談本にのってた言葉(最近ずっとひっかかってる)にあるんじゃないかと思う。謀略、情報操作のやりかたの一つとして、相手方にヒントを上手に与え、相手自身に物語を作らせる。人は自分の作った物語は信じやすいし、大事にする。そこを利用して情報を操作する。
もう一つのヒントは、webマガジンにあったYOUのインタビュー。「自分のことは自分ではあまり話しません。人に話してもらうとだいたいちょっといい風に言ってくれれるし、その方が気持ちいいから」ということ。二つは違うレベルの話なのだけれど、私にはなにかつながっている。
ライフログを記録できる世の中になったとして、その記録は本当に私そのものであるか、と言えば、否、なのである。
私たちの生は客観的記録ではない。数量でも計量でもない。
私たちの生はドキュメンタリー的というよりもむしろ、夢のエンターテイメント的なのだと思う。だから、映画がリアルなんだと思う。
ずいぶんと乱暴なまとめだけど(続きをかきたいんだけど)、今日はこんな風にしかかけない。今この瞬間能力が全然たりない。こんなこと、私だけが考えてることではなくて、いろんな人がいろんな分野でちゃんとした言葉で考えているはずだけど、その人たちに「そんなんだよね」と共有してもらえるような、また、うっすらと感じてる人に「こうじゃない?そんな気するよね?」と話せるような言葉が獲得できてない。
でも、書いちゃいたい。
そんな、今夜。
2009/03/25
ゼラチンシルバーLOVE
ゼラチンシルバーLOVEの中で、永瀬正敏が食べていたあまりおいしくなさそうなミートソースが食べたくなって、帰りにスーパーで105円のカゴメミートソースのカンズメを買って帰る。
トマトとニンニク、バターを足したところで大して味は変わらないし、ミートのかけらがみつからないけどミート味のスパゲッティ。あつあつって所だけポイント。ナポリタンぽい。
映画は久々に眠ってしまいそうだった。
本やによって、多和田葉子の新刊と三砂ちづるの本と買う。多和田さんはよみたかったもの、でも今すぐよまないかもしれないもの、で、三砂さんは帰りの電車の中でにやにや(にっこり?きもい・・)しながら読みはじめました。
トマトとニンニク、バターを足したところで大して味は変わらないし、ミートのかけらがみつからないけどミート味のスパゲッティ。あつあつって所だけポイント。ナポリタンぽい。
映画は久々に眠ってしまいそうだった。
本やによって、多和田葉子の新刊と三砂ちづるの本と買う。多和田さんはよみたかったもの、でも今すぐよまないかもしれないもの、で、三砂さんは帰りの電車の中でにやにや(にっこり?きもい・・)しながら読みはじめました。
2009/02/05
ミツバチのささやき
この手の映画はぜったいにビデオじゃDVDでみたくない。でもなかなか映画館で観られるチャンスもない。
だからようやく気分と時間と映画が同じ時にめぐりあわせた日。
いい映画だった。好きな映画。一つの旅をしたような、そんな気分。
大切な風景をみたような。
見せ方、演出、映像、俳優、よくできていて、丁寧ですてきだった。
フランケンシュタインが本当にでてくるのは、ありなのか?
あれは出てこなそうな展開なのにもかかわらずでてきちゃうのがいいよ。
だってちょっとよけいっぽいあの質感。
制作は73年で日本公開は85年。
1940年のカスティリーヤ地方のある村のお話。
時間。
エルスールは来週だから見に行ってみよう。
マルメロの陽光がどうしてもみたいけどこれは映画館でやってるの、観たことないなあ。アントニオロペス、10代のころすきだった画家。
だからようやく気分と時間と映画が同じ時にめぐりあわせた日。
いい映画だった。好きな映画。一つの旅をしたような、そんな気分。
大切な風景をみたような。
見せ方、演出、映像、俳優、よくできていて、丁寧ですてきだった。
フランケンシュタインが本当にでてくるのは、ありなのか?
あれは出てこなそうな展開なのにもかかわらずでてきちゃうのがいいよ。
だってちょっとよけいっぽいあの質感。
制作は73年で日本公開は85年。
1940年のカスティリーヤ地方のある村のお話。
時間。
エルスールは来週だから見に行ってみよう。
マルメロの陽光がどうしてもみたいけどこれは映画館でやってるの、観たことないなあ。アントニオロペス、10代のころすきだった画家。
ロシュフォールの恋人たち
某ゲーム会社でイラストレーターをしてた時、隣の席のデザイナーさんがこの映画のサントラを貸してくれてイヤホンからヘビロテでのりのりで絵を描いていました。ルグランさいこーとかって。
だから曲は全部覚えていて、今回初めて本家の映画を観て、やっと映像が付与されたという感じ。
デジタルリマスター版ということで、色があざやか、ポップですべてがかわいい。
ドヌーブはお人形のよう。
ミュージカル映画なので突然歌ったり踊ったりするんだけどそこに違和感のない全体的に現実離れしたような世界。フランスだからそうみえるのかな。なんていうか、観てると自然にわらいがこみ上げてくる。
フランス語だから何もわからず聴いてたけど訳を初めて知って、
「バラバラ殺人があったんだって、昨日赤毛のダンサーがころされたって、まあ怖い」とか
「男はなんですぐ寝たいっていうの?結婚してといってくれないの?」「それのどこが悪いんだ、キスさせておくれよ」とか
「ぼくの名前がダムなんてへんな名前だから彼女はいらだってメキシコ人と結婚してしまったのさ、ああ、10年間、ずっとわすれられない」「彼の名前がへんな名前で私はそれに耐えられなかった、マダム・ダムなんて絶対にイヤ!」とか
そんなんばっかで、笑えた。わたしはそんな可笑しな歌詞のフランス語をきいてたんだ…。
なんていうか、世界全体が経済成長期の頂点を極める前の、成功を目指す明るい感じが全体にみなぎっていて、こういう時代が確かにあったんだな、と思った。それに対して今がどうあるのか、時代の大きな流れみたいなのを俯瞰したような気分になった。
だから曲は全部覚えていて、今回初めて本家の映画を観て、やっと映像が付与されたという感じ。
デジタルリマスター版ということで、色があざやか、ポップですべてがかわいい。
ドヌーブはお人形のよう。
ミュージカル映画なので突然歌ったり踊ったりするんだけどそこに違和感のない全体的に現実離れしたような世界。フランスだからそうみえるのかな。なんていうか、観てると自然にわらいがこみ上げてくる。
フランス語だから何もわからず聴いてたけど訳を初めて知って、
「バラバラ殺人があったんだって、昨日赤毛のダンサーがころされたって、まあ怖い」とか
「男はなんですぐ寝たいっていうの?結婚してといってくれないの?」「それのどこが悪いんだ、キスさせておくれよ」とか
「ぼくの名前がダムなんてへんな名前だから彼女はいらだってメキシコ人と結婚してしまったのさ、ああ、10年間、ずっとわすれられない」「彼の名前がへんな名前で私はそれに耐えられなかった、マダム・ダムなんて絶対にイヤ!」とか
そんなんばっかで、笑えた。わたしはそんな可笑しな歌詞のフランス語をきいてたんだ…。
なんていうか、世界全体が経済成長期の頂点を極める前の、成功を目指す明るい感じが全体にみなぎっていて、こういう時代が確かにあったんだな、と思った。それに対して今がどうあるのか、時代の大きな流れみたいなのを俯瞰したような気分になった。
2009/02/04
キャラメル
ユーロスペースにてキャラメルを観る。
レバノンの若い女性監督の映画。
イスラム教と思ってたらマリア様にお祈りしてた。アラビア語?フランス語?レバノンの文化的ベースがどんなものなのか、私の想像の範囲を超えてる。
でも、西洋が入っていることは確かで、このカントクのまなざしは境界を見つめつつ西洋的だ。
話の構造が素朴だから物足りないと言えてしまう観点ではなく、中東の女性でしか得られない視線というものはどこに表れてるんだろうって思った。
かつてマフマルバフやジャリリやキアロスタミの映画が入って来た時に私たちが見せてもらったのは西洋ではない物事のありようや物事を見通すやり方だったような気がする。小津映画もそんな感じがある。この映画からは特別そんな感じは受けない。
ここはベイルート。都会の女子のかわいさとかけなげさとか強さとかがストーリーの軸にあって、それは世界共通の質感をもつかのように親しみ深い。それでも映画は細部に地域性をもっていて日本の片隅にいるわたしからみたら人間の豪快さやいい加減さ、部屋の乱雑さや景色の抜け感にほれぼれしたり。
そういえば去年みたやはり若いイラン人女性監督のアニメペルセポリスも本当に秀逸だった。
レバノンの若い女性監督の映画。
イスラム教と思ってたらマリア様にお祈りしてた。アラビア語?フランス語?レバノンの文化的ベースがどんなものなのか、私の想像の範囲を超えてる。
でも、西洋が入っていることは確かで、このカントクのまなざしは境界を見つめつつ西洋的だ。
話の構造が素朴だから物足りないと言えてしまう観点ではなく、中東の女性でしか得られない視線というものはどこに表れてるんだろうって思った。
かつてマフマルバフやジャリリやキアロスタミの映画が入って来た時に私たちが見せてもらったのは西洋ではない物事のありようや物事を見通すやり方だったような気がする。小津映画もそんな感じがある。この映画からは特別そんな感じは受けない。
ここはベイルート。都会の女子のかわいさとかけなげさとか強さとかがストーリーの軸にあって、それは世界共通の質感をもつかのように親しみ深い。それでも映画は細部に地域性をもっていて日本の片隅にいるわたしからみたら人間の豪快さやいい加減さ、部屋の乱雑さや景色の抜け感にほれぼれしたり。
そういえば去年みたやはり若いイラン人女性監督のアニメペルセポリスも本当に秀逸だった。
2009/02/02
ザ・マジックアワー
昨日は公演の打ち上げ。今回もたくさんの素敵な人と友達になった。たくさんワインをのんでおしゃべりも楽しい。でも、どことなくここにはいない浮遊感があり。
映画をどうしても欲していて、まずは今日の仕事帰りに三谷幸喜の「ザ・マジックアワー」を早稲田松竹で。
愛を感じる映画だった。おもしろかった。ラスト最高。(なんてつまらない感想しかいえないんだろう)
マジックアワーって夕暮れの一瞬の時間のことをいうんだって。大好きな時間。4月の7時ぐらいの空、桜が一番きれいな時間。オレンジと紫と藍の時間。
すべてが終わったようで、不安。でもたくさん眠れるし、食欲もあるし、笑っていられるし、ビールもおいしい。
笑う角には福がくるんだっていうから。
映画をどうしても欲していて、まずは今日の仕事帰りに三谷幸喜の「ザ・マジックアワー」を早稲田松竹で。
愛を感じる映画だった。おもしろかった。ラスト最高。(なんてつまらない感想しかいえないんだろう)
マジックアワーって夕暮れの一瞬の時間のことをいうんだって。大好きな時間。4月の7時ぐらいの空、桜が一番きれいな時間。オレンジと紫と藍の時間。
すべてが終わったようで、不安。でもたくさん眠れるし、食欲もあるし、笑っていられるし、ビールもおいしい。
笑う角には福がくるんだっていうから。
2008/11/24
七夜待
少し前に河瀬直美の新作「七夜待」を見た。
河瀬直美の映画を見る前はいつでも少し身構える。
重いんじゃないか、どろっとしてるんじゃないか、女の人って感じがすごいして苦手かもしんない..等々。
確か、前にみたのは双子の神隠しのやつ。
一個前のやつは、みてない。
今回はハセキョーが好きなので、河瀬直美の撮ったハセキョーみたさに公開早々にいってきた。
ハセキョーはきれいであった。
そして、今回も思った。
この人の映画は見る前にあんなにも偏見をもって身構えるのに、見終わったあとはいつでもすっとした印象がのこる。絶対にある女の人らしさみたいなものをおさえておさえてコントロールして作品を丁寧につくっている、演出している。その力は見事で今回のものは神隠しのよりそれを強烈に感じた。
うまい、とうなる。
興味深かったのは作り方のせいもある。
出演者には状況と行動を記したメモだけがわたされるだけ。
タイ人、日本人、フランス人がそれぞれ言語の通じないまま、わからないまま、おそるおそるコミュニケーションをとる。その場の反応がそのまま、台詞である。
役者は役を演じるがそこに予定調和はひとつもない。その役自身はその場で生成される。感情も、台詞も。
ただ、手法にたよりきって放り出してしまってる訳ではい。手法は実験しつつも、彼女の作品として、彼女だけにしかつくれない作品としてある。手法に凝ってそれクリアに見せるのは男性的、手法は試しつつもちろんそれだけに満足できないのは女性的、、そんな風に単純に分けられる訳ではないけれど、手法だけで十分成り立ちそうなものに矛盾をあえて入れてしまったりするところが少なからず女性の作品にはあるように思う。というか、そういう作品を女性らしいと私たちは呼ぶのでは。
映画の宣伝にはストーリーとかキャッチフレーズがかかれているけれど、この映画には本当はそれは必要ないと思う。商業的に必要なだけ。30歳になった女性が自分をみつけるという映画ではないと思う。もちろんそれはひとつの要素としてなきにしもあらずだが、たとえそのようにキャッチフレーズ的にみたとしてもこの映画を見て何かそれ以外のものをたくさん私たちは感受するだろう。
河瀬直美の映画を見る前はいつでも少し身構える。
重いんじゃないか、どろっとしてるんじゃないか、女の人って感じがすごいして苦手かもしんない..等々。
確か、前にみたのは双子の神隠しのやつ。
一個前のやつは、みてない。
今回はハセキョーが好きなので、河瀬直美の撮ったハセキョーみたさに公開早々にいってきた。
ハセキョーはきれいであった。
そして、今回も思った。
この人の映画は見る前にあんなにも偏見をもって身構えるのに、見終わったあとはいつでもすっとした印象がのこる。絶対にある女の人らしさみたいなものをおさえておさえてコントロールして作品を丁寧につくっている、演出している。その力は見事で今回のものは神隠しのよりそれを強烈に感じた。
うまい、とうなる。
興味深かったのは作り方のせいもある。
出演者には状況と行動を記したメモだけがわたされるだけ。
タイ人、日本人、フランス人がそれぞれ言語の通じないまま、わからないまま、おそるおそるコミュニケーションをとる。その場の反応がそのまま、台詞である。
役者は役を演じるがそこに予定調和はひとつもない。その役自身はその場で生成される。感情も、台詞も。
ただ、手法にたよりきって放り出してしまってる訳ではい。手法は実験しつつも、彼女の作品として、彼女だけにしかつくれない作品としてある。手法に凝ってそれクリアに見せるのは男性的、手法は試しつつもちろんそれだけに満足できないのは女性的、、そんな風に単純に分けられる訳ではないけれど、手法だけで十分成り立ちそうなものに矛盾をあえて入れてしまったりするところが少なからず女性の作品にはあるように思う。というか、そういう作品を女性らしいと私たちは呼ぶのでは。
映画の宣伝にはストーリーとかキャッチフレーズがかかれているけれど、この映画には本当はそれは必要ないと思う。商業的に必要なだけ。30歳になった女性が自分をみつけるという映画ではないと思う。もちろんそれはひとつの要素としてなきにしもあらずだが、たとえそのようにキャッチフレーズ的にみたとしてもこの映画を見て何かそれ以外のものをたくさん私たちは感受するだろう。
2008/10/23
都会のアリス
ヴィム・ヴェンダースの1974年の映画
アリスはいくつなんだろう、子供で、女だった。
こわがらない、かっこいい女。
外国の映画でときどき、あるいはいつもなのかもしれないが、目にする人々のあの態度――行き当たりばったり感というか、困難に対して「無理じゃん」とならずに、かといってなんとしても解決を図ろうというのでもなく、途中でなんとなく楽しいことを間にはさみながら全体的には鬱とした感じと落胆があるのにも関わらずそちらに引っ張られることなくゆるやかに諦めない態度――には本当に感心すると同時に笑っちゃうし、楽になっちゃうのはなんでなんだろ。それは、余裕のあるなしってお金じゃなくって、優しさとかでもなくって、こういう行動のことなんだなーって思う。
都会のアリスでも、やっぱりそういう態度でアリスのおばあちゃんの家を探すのだ。
ロードムーヴィーの道は作品を超えてつながっていく。
アリスを観ながら今までみたロードムーヴィーの風景の断片が何度も何度も去来した。
アリスはいくつなんだろう、子供で、女だった。
こわがらない、かっこいい女。
外国の映画でときどき、あるいはいつもなのかもしれないが、目にする人々のあの態度――行き当たりばったり感というか、困難に対して「無理じゃん」とならずに、かといってなんとしても解決を図ろうというのでもなく、途中でなんとなく楽しいことを間にはさみながら全体的には鬱とした感じと落胆があるのにも関わらずそちらに引っ張られることなくゆるやかに諦めない態度――には本当に感心すると同時に笑っちゃうし、楽になっちゃうのはなんでなんだろ。それは、余裕のあるなしってお金じゃなくって、優しさとかでもなくって、こういう行動のことなんだなーって思う。
都会のアリスでも、やっぱりそういう態度でアリスのおばあちゃんの家を探すのだ。
ロードムーヴィーの道は作品を超えてつながっていく。
アリスを観ながら今までみたロードムーヴィーの風景の断片が何度も何度も去来した。
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