2009/06/28

空気の流れ着いた場所


梅干用の梅を購入した。
今年は早かったみたいで6月の終わりですっかりはけていて、デパートにも八百屋にもスーパーにもなかったので焦ったが、駅前のなんでも屋さんにあった。
こつぶだけれど、それもいい。大粒は食べるのに気合がいる。

買って、キッチンの床に置いた。
朝、おきて風呂場へ行くと、梅の香りがふわあとした。キッチンではしないのに。
風呂場のドアの下部にある隙間からにおいがそちらに流れたようだ。
空気はあちらに流れていたのか。

6年すんで、ひとつ、あたらしくこの部屋のことを知った。

2009/06/27

クレマチス


2ヶ月限りの派遣先会社の目の前のお宅。

2009/06/22

懺悔/この自由な世界で

この間の金曜日、新文芸坐にて。

「懺悔」は20年以上前のグルジアの作品。独裁者と市民のお話なんだけど、なんというかほのぼの?っていうか、イメージのコラージュがなかなか味わい深かった。
ゴダールとタルコフスキーとフェリー二を思い出してしまうような、不思議感満載で面白かった。光が明るい。ケーキが素敵だった。

一方の「この自由な世界で」は非常に重くって気持ちが悪くなってしまった。自分の状況と重ねたから?どうしようもなさに救いがないことが明らかだから?人材派遣=現代の奴隷制なんだな、と理解した。私はみずから奴隷になってしまったのだろうか?人々は他人からの搾取なしではもう生きていけないのかなあ。奴隷から這い上がるには他の奴隷の上に立つしかないのか。やるせない気持ちになった。

2009/06/21

梅 2009 ①



いつも行く八百屋で1kg500円の青梅を2kg購入。
梅シロップと梅黒糖シロップにする。

■梅シロップ
材料:梅、梅と同量の氷砂糖/酢(1kgあたり100~200cc。適当)
梅を洗って水気を拭き、へたを楊枝でとる。
梅、氷砂糖、梅、氷砂糖、・・・と容器に入れて最後に酢をまわしかける。
毎日振る。2~3週間置く。

<一日置いたもの>

■梅黒糖シロップ
材料:梅、梅と同量の黒砂糖(粉状のもの)
梅を洗って水気を拭き、へたを楊枝でとる。
ビニール袋に入れて一晩冷凍庫へ。凍らせて組織を破壊するとエキスがでやすくなるらしいです。
梅、黒砂糖、梅、黒砂糖、・・・と容器に入れる。
毎日振る。2~3週間置く。

<冷凍庫から出して黒砂糖と重ねたところ>

梅干しは来週か再来週かな。お店の様子を見つつ。

2009/06/19

今日(正確には昨日)はできごとから1年がたった日だった。
何もできないけれど、心の中で想った。
悲しいでもなく、つらいでもなく、想った。
一年前と今でも感触はかわらなくて、それは人の生が出来事になった瞬間だったんじゃないかな、と思うけれど、正しい描写じゃないな。なんといえばいいんだろう。


そんな今日。大学時代の友人が名古屋から出張できていて、帰る前に品川で食事をした。
さっと手帳のあいだから取り出されたのはエコー写真だった。8ミリの大きさの人の写真。
なんだかとにかく感動してうれしくてうれしくてたまらなかった。3人でそれぞれの思いがありつつ、心の底からおめでたいね、っていうのを共有した。共有できたのもうれしくてたまらなかった。私は来年の今日、またできごとを思い出すけれど、それには今日のことも一緒に思い出すことができる。彼女の死と、彼女の中の新しい生命。よくできた話すぎるけれど私はすくわれた。ほっとした。肩の力が本当にぬけた。


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年長の人というのは、それだけで偉いという風に考えている。
どんなに賢い人だって、経験による感触は時間の中でしか得られない。時間によるものごとの変容も。長く生きてるだけでどの人にも分け隔てなくいろんなことが起こり、それに対処しなけらばならない。知恵というのは対処したり、やりすごしたり、ということでしかつけられないんじゃないかと思う。

だから、ずっと年上の人と対等にしゃべっているつもりでも、やっぱりその人の言葉の背後にある経験に自分は達していないんだと思う。わかってくれない、と思うこともあるけどそれは間違ってて、わかってないのはこちらだ。知らないから知らないなりの理想しか見えずかたくなだったりもする。

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人を所有することはできない。

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プロフェッショナルと爆笑学問の間の番組で、永平寺の老師がでてた。
「死ぬのが恐くなくなるのが悟りではなく、平気で生きるのが悟りなんだ」と言っていた。
なんだか、すごいな。

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温度をじっくり感じる間もなくあせって今を未来の為に使ってしまうのは本当にもったいない。感覚の貯金はできないから、未来の為に使っているように見えるのは錯覚でなんにも感じてないのと一緒。

2009/06/07

そのことを

中心になるそのものズバリを見せることなく、受けとる人の中で想起されることでふわっと浮かびあがったら、それは本当に素敵だと思う。
高木正勝のインタビューをよんで。

感謝してます。
頑張ってください。
大変だね。
応援してるよ。
信じてます。
不快だなあ。
あなたの意見に同意しかねます。
悲しい。
うれしい。
好き。

そのようなこと。

別の話。
一晩中友人と飲みながら、死に向かう人に対して自分だったらどうしたいか、という議論をして疲れ果てて、自分の主張なんてすべきじゃない、伝えることと主張はちがう、と思った。

主張の癖はぬけづらい。教育されているため、そして自分へのプライドがあるため。
意見がかみあわない時、自分の話を頭ごなしに否定された時、相手に対して「人を見下す人」だ、と批判するには人を見下す人を見下す自分になるということだ。それでは問題が別のものになってしまう。かといって、相手の主張は明らかにずれているのだからそれをどう伝えたらいいのか、ということ。弁のたつ人ならきちんと理路整然と伝えられるのだろうけど、そうでないなら別の方法を考えるべき。

2009/06/01

いやはや

あまりにもおいしいトマトソースをつくちまった。
普通のなにも工夫のない作りかただけど、メモとして。

タマネギは新玉を4〜5個。
薄切りにして、フライパンにタマネギの3分の1くらいの高さの水(ひたひたにはいかない)を入れて、蓋をして中と弱の間くらいの火で蒸し煮。そういえば、途中でニンニクをいれたのだった。たぶんはじめから入れるべき。タマネギから水分がでて、水が飛ぶまでに時間がかかる。くったくたになって水分もようやくとんできたなーっておもったらオリーブオイルをまわしかけ、さらに水分を飛ばしつつ炒める。このときはもう蓋はとって、火はかなり弱火。
さらにさらにかけて狐色になってきたらどこでやめるか、見極めが肝心。飴色目指してこげたらだいなし。たぶん飴色って思う直前でやめるのがいい。味見したらすっごい甘い。ジャムのよう。
さて。そこに、湯むきして角切りにしたトマト5個分くらいを入れる。ローリエとか、オレガノとかハーブも入れたりしみる。トマトがタマネギと一体化して、トマトのすっぱさとタマネギの甘さが一体化したら出来上がり。見た目でいうとトマトの水分がそれ以外のものと別れてない感じ。全体に一体感がある。で、味見。すっごい甘い。
このまんまでいいじゃん、って思うけど、大目につくってあるし、パスタソースなんだし、塩を思い切っていれる。ここでは塩っからくならない程度、でも遠慮はいらない。
味がきまったら、できあがり。

これをざっと濾して舌ざわりをよくしたら上等な感じになる。
今回はぶちぶち感(種の)もあじわいたかったからそのまま。

パスタをゆでて、ソースはソースであたためて、もりつけたら最後に香りのオリーブオイル。
幸せになります。

※鷹の爪があったら入れるべき。