2013/11/19

いろんなこと

今日は初めてあーてぃすととーくなるものをした。
英語で。
昨夜一生懸命作文したけどほとんど読まなかった。やっぱり読むというのは難しい。書き言葉と話し言葉は違う。でも作文したからそれがはなせるというのはある。
自分の履歴とターニングポイントになってる作品と最新の作品、そして今日のために用意した話などをして、ちょうど終わったら一時間だった。なるほど、これが一時間。

ちょうどおわるときに5人くらいきた。そして、第2ラウンドをやった。
英語で2回しゃべるってなんだかどきどきした。さっきいってたこととちゃんと同じように言えるかな、とか。

夕方クバオについてまゆみさんとビールをのんだ。夕方はすずしいとはいえ昼間はさすような日差し。目の前にたいそう立派なクリスマスツリーがある。国中がクリスマスでうきうきしている。台風があったところはどうしてるだろ。想像もできない。

ビールのあと、風邪気味のマークがかえってきて場所を移して食事した。マリネの生魚の上にステーキがのっているという、肉も魚もたべたいけどどっちにしよう?っていう時に最適の一品。

こういうのも、忘れちゃう。忘れないように書いておくのかな。ビールは40ペソでカラマリは100ペソ、とか。レストランで600ペソだったとか。

インドでの物価をもう忘れそうなのを自覚してる。空港からバサントビハールCブロックマーケットまではプリベイドタクシーで160ルピー。逆にマーケットから空港だと200ルピーくらい。Cブロックマーケットからプリヤマーケットまでリキシャで30でも高いけどそれならまだよくて夕方のラッシュアワーは40とかふっかけてくる。プリヤマーケットからバサントクンジのモールまではいい人だと40、ケチな人だと60とか。モールから家に帰るときは60で妥当、70は高いかな。Cブロックからハウスカスまでは100だとラッキー、120くらいとられるときもある。GK1Nブロックマーケットだとタクシーで300、リキシャでは150ってとこだったかな。ツボルグは500mlの缶が60ルピー。

フィリピンに戻ると、ローカルのお店で買うサンミゲル・ペールは26ペソで2ペソは瓶を返すと戻ってくるらしい。お水は300mlくらいがコンビニで15ペソくらい。パンデサルっていうバターロールみたいなのはスーパーで40ペソくらいだった。バナナは一房30ペソくらい?オーガニックのお店で黒砂糖が100g15ペソ、ココナッツシュガーが100g50ペソ。オーガニックのすごくおいしいチョコレートは一粒15ペソ。今4300ペソ=10000円くらい
クリスマスの飾りは直径10センチくらいの銀のボールが6つ入って230ペソだった。
今日のお昼のエスコルタの近くのアイスクリームやさんで食べたチキンアドボセット(アイスクリーム、アイスティー付)は150ペソ。マックのソフトクリームチョコレートがけは15ペソ。マックのただのバーガーは50ペソで、レタスとかがはさんであるバーガーにポテトと飲み物のセットは120ペソくらい。メトロは一回12ペソ。トライシクルも12ペソかな?タクシーは今日家からエスコルタまで215ペソだった。一時間以上かかってた。


2013/11/14

カルマヨガ

ヨガのTTCではカルマヨガといって、自分たちの宿泊施設の清掃などを当番でやる日を決めていた。ルームメイトのサムと私は同じ日で、サムはとってもきれい好きだしせっかちな人だから清掃の日はさっさとプラクティスを終わらせて私が家につくころには「わたしたちのエリアはもうおわったから!」とかいうのだった。それだと申し訳ないのでそのうち外回りをサムが、フロアと階段を私がってことで落ち着いた。

インドの家屋の床は特に高級な作りの家ではなくとも大理石てつるつるなのだけれど、サムの住むバンコクでもそういうことは珍しくないらしく、「私はやり方をわかってるわ、こうするの」といって洗剤を少しいれた水にモップを浸して床を水浸しにするのだ。少なくとも、私にはそれは水浸しに見えた。でも、その水浸しが乾くとたしかにピカピカになるのだ。しかしぞうきんは固くしぼるもの、からぶき仕上げがなおよい、など、私の掃除の固定概念はサムのやり方を拒否した。かたくなに自分の方法できれいになることを示したかった。傍目にはモップをかけるよりも何倍も「ザ・そうじしてます」という姿が人々の目にやきつく方法で「君は本当に偉いね」とよく言われた。自分のやり方は確かにきれいになるけど、比べてみるとサムのやり方の方がきれいだった。でも、私は水浸しがどうしてもできなかった。乾くまでの間に誰かが通ったら台無しになるし、誰も来ない間にそれをすませられる自信もなかったし、なにより彼女のやり方より自分のやり方の方がまだスマートだと思ってた。なんということ(!)。ちなみに、同じ水浸しでもイギリス人の子がやると洗剤も入れ過ぎ、水浸し加減もひどくモップを当てた上を自分であるくものだから足あとがべたべたでまったく美しい仕上がりにはならないのだ。

今日、滞在先のスタジオの掃除をしてみた。タイルの床で掃除道具としてぞうきんはないけどモップがある。そこで試しにサム方式でやったらなんと、とても美しく仕上がった。簡単できれい。どういう仕組みなのかわからない。多めの水が床に触れて可の細かい砂がモップの繊維に吸い取られるのだろうか。とにかく乾燥したあとはピカピカだ。おもわずうっとりするほどだ。

私の掃除方法はおそらく木の床、畳などに適した方法である。幸田文が幸田露伴に掃除の仕方を教わる話があるのだけれど、私はそれを自分もまた露伴に教わったかのように心の奥底に刻んでいて水の扱いやら埃のとり方やらはそれを理想としてるところがある。(もちろんできてないが。)なにより、ぞうきんですみずみまでふくということは隅々まで手で触れるということで隅々まで至近距離で見つめて慈しむということでそれによってすべてを同等に大切に扱うという気持ちがあったのだと思う。モップで荒っぽく水浸しなんて愛情がないんじゃないか、と。しかし材質や気候が違えば知恵もまた違う。なにが愛情かってものその都度ちがう。愛情が最大限に発揮される方法ってのもその状況に応じて違う。愛情ってのはつまりある環境や状況において一番気持ちよい状態を的確な方法でつくるってことだ。


2013/11/11

母の夢

そういえば、と思い出す。
今朝方見た夢はおばが死にゆく夢、そして、母が死にゆく夢だった。

悲しい感じは両方ともなくて、夢から覚めたあとも、わるいゆめをみた、などとは思わなかった。

おばの方は先にみていたのでちょっと詳細が思い出せない。
母の方は、不思議だった。死にゆく母を私はずっと抱きしめている。息をひきとるまでずっとこの腕に抱いている。母は少女のような、ピンクの光に包まれているみたいだ。すこやかにすやすやと眠っている。重さは感じない。死にゆくとわかっていて、私はその瞬間まで抱いていたいと思っている。夢の中で息をひきとった感覚を味わったかどうか定かではない。映画の結末がどうだったかあまり執着できないように、息をひきとった感覚がどうだったかということを覚えている回路が私には用意されていないのかもしれない。それよりも死くるまでずっとふんわりと抱きしめているという行為を味わっていた。
目が覚めて思った。死にゆく人は布団の上に一人で横たわっているのと、だれかに抱きかかえられているのとどっちが幸福に死にゆけるのだろう。
私はだれかに抱きかかえられたいのだろうか。どうだろう。

2013/11/10

ビビンカ

今日は日曜日でタクシーにのってオーガニックマーケットに連れて行ってもらった。
地元密着の古くからのマーケットというよりも都会の中ですこしいいものがまとまって手に入る国連大学の前のファーマーズマーケットのような感じ。値段はお手頃で生鮮食品から総菜、主食、洋服、ペット、植物など立ち並ぶ。

それで今日はビビンカってのに出会った。
これはほんとうにすてきな食べ物だった。
つくるところからしてすてきで、素焼きの器にバナナの葉を引いてそこに卵とココナッツの入った生地を流し込む。その上に炭火をおいて蒸し焼きに!出来上がったビビンカはほかほかのふんわりもちもちの蒸しパンですこし塩をふる。しあわせの味。






ビビンカ

それから、古着のお店で花柄のとってもラブリーなワンピースとちょっとおばさんぽいワンピースを買った。一枚180ペソ。