2009/04/22

タケノコいっぽんちょーだいな

ま〜だ〜め〜が〜で〜ないよ


っていう遊び、あったよね?

今日は取手から昨日とったばかりのそれはそれはきれいなタケノコさんがうちに届きました。
毛がが生えた海老茶色の皮がつやつや、さきっちょの緑の芽は若々しくも力強くてこれぞ春色って感じの組み合わせ。渋くてつよくて柔らか。

同封してもらった糠でゆでて、さまして、夜にはいただく段取り。たくさんだからゆっくりいただくけど、まずは今夜。
はらへりなのでクリーム煮に決定。
タマネギのみじん切り、ベーコン、タケノコを炒めたら、生クリーム、ショートパスタに胡椒をごりごり、仕上げは生のオレガノをちぎって。ああ。。しあわせの味です。

2009/04/11

メモ

ボンガンドとバカピグミーの発話形式についての話を聞いた。

近代がない、と発言した人がいた。
乱暴なくくりではあるけれど、私たちのすむ世界との対比をしているのだから
言葉の好みの問題だったろう。
さて、私たちの世界はいったいなんなのか。
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分化、分節化した、ということ。
なぜ、アートや表現があるのか。なぜ?
サラリーマンをやっていると、映画はエンターテイメントハリウッドどたばたが欲しくなる。
スイーツ(笑)もちょっとそれににている。
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問いを発する人と問いを発せられる人(問いを受ける人)はもともと同一だった。
分化して、分かれた。
聞き手の膜が私たちの方が薄い。発話に対して無視することができない。
彼らは人の発話に対しての無視ができる。信用、ということも、真実、ということもない。
発話の価値が違う。
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私たちは分化したから、問いかけと答えを対で考えている。対には他者が必要だ。
問う人・問われる人、感じる人・感じない人、感じることを教える人・感じることを教えてもらう人。巫女のような人と巫女にお伺いをたてる人
アートを作る人とアートを見る人。
アートをやらない人がいるから、アートがある。
分化の末の必然として、私たちの世界全体のありよう(先生は共に在る感覚といった)
が形成されたからこそ、芸術、というものが今このように存在する。

洞窟画がなぜかかれたのか、というような芸術の起源とはまた別の話。
個の能力差を社会がどう位置づけていったのか、ということ。

そういうこと、の考えの片鱗のようなものを見たような日。
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このメモは備忘の為。
これもまたかなり乱暴な。

2009/04/01

無償ということ

相手の為だけを思って何かをすることは
相手に負担をかける。

相手の為に何かする場合、自分の為にもなるんだよ、という名目を勘定にいれてやると
相手は負担がなくなる。
相手の為というのを快く受けとってもらえる。

いままでこの仕組みを知らずに、
相手の為は単純に相手の為、であり、自分どうこうは含めないのが当たり前だった。
別に自分を押さえたり無理するという気持ちもなかった。

けど、なにかしてもらった時にその分のなにかを返せないことに人は耐えられない。
ただでやってもらったら人は心苦しく思うこともあるらしい。複雑な生き物だ。
だから、見返りの分まで考えてあげるのが人にやさしい。

おそらく無償が成り立つ、ということが私の一つの理想的ななにかであるのだが、しかし、それはもう少しつめて考えられるべきことなのだ。