金曜がレディースデイのシネスイッチ銀座でターセルの「落下の王国」を立ち見(通路座り見)し映画の力をびしびし感じながら銀座のビルを見上げて帰る。
夕食には先日作って以来何度となく作っている切り干し大根サラダをつくって食べる。おいしい。
食べながらパンフレットを読む。ターセルは自主制作であの素晴らしい映像を撮ったらしい。
「僕は映画や本ができる前のストーリーテリングがどういうものか習いたくてね。」
聞き手によって語り方を変えていく、変わっていくことが物語のプリミティブな形だったはず、とターセルは言う。
それにしても風景と衣装デザイン(石岡瑛子)と俳優がよい。甘美だ。
乾いた肌寒さを感じながら眠りたいので窓を少しあけて、トレーナーをきて、布団をかぶって眠る。
ターセルの映画と夢が渾然一体。夢を見るというような主体的なものではなく映画を再現しているみたいな、私が出てこない夢を見る、たしか見た、と思う。
朝起きて、(昨日の朝のうちにお掃除をしておいたので部屋がきれい!)風呂に浸かりながら須賀敦子の本を読もうと本棚を漁るも、宇野千代のお惣菜の本を手にとって久しぶりに読む。力がわいてくる。春になったら新ジャガを紙のように薄く切ってさっと湯にくぐらせるだけのジャガイモのサラダを是非作ろうと心に決める。
シーツ等の大物をバンバン洗濯してから子宮がん検診に行く。これは自治体の無料検診。
昼時になったので近所のパン屋さんでナッツの入った茶色いパニーニにレモン蒸しチキンとトマトが入ったサンドイッチとイチジクパイを買い、家でコーヒーと一緒にいただく。少し塩気がありパリリと薄い層が重なる見た目の5倍くらい繊細なパイに、カスタードと生クリームがちょうど良い少なさで絞られていてその上にフレッシュな皮付きイチジクが一切れのったデザートはパン屋のつくったものとは思えない素晴らしいおいしさ。あまりにもおいしいのでみんなにお知らせしたくなるけれど実際お知らせできる人もいないし、いても買いにこられないし、買って持っていって食べさせてあげられるチャンスもきっとない。なので、ここに記す。
ああ、秋。
2008/09/27
2008/09/24
茗荷谷の猫
千石に住むようになってはや5年。
3月からは茗荷谷に勤めている。
先日生活圏にあまりにもマッチした小説を購入。
「茗荷谷の猫」木内昇
染井、巣鴨、本郷、菊坂、切支丹坂、四谷、茗荷谷…
時代がゆるりと移り変わる中に確かにいただろう人々、
確かにあっただろう感情、日常。今と変わんないな、と思う。
今朝、いつも歩いている道に小説にでてきた猫又橋跡の
看板をみつけ思わず立ち止まってしまう。
この街は偶然に移り住んだのにもかかわらず、私はすごく好きなのだ。
昨日は本牧の三渓園へ。
原三渓のつくった180万㎡の庭園。
霧やくもの糸のようなものがひんやりとした秋にピッタリであったが
どうしてもものいいを付けたくなる出来事があり、疲れてしまいました。
作品と観客がどう出会うかについて、作家を越えて、運営者のできること、
すべきことについて考えがいく。
○○だから、、といろいろ一つのことをあげて
不案内な理由を語る立場はわかる。でも、
そこは怠けてはいけない場所なのではないかと思うのだ。
それは美術だけではなく全てについていえるけれど、とりわけ
丁寧であるべきだろう美術において、丁寧さよりもさかしさが上回って
がっかりした気分になる。
出来るだけ作品の持つ情報を外からの情報によって壊さず
観客が作品と出会えるようにセッティングするのが運営者の役目で
それは「案内をひかえる=案内をしない」という単純なことではなく
いかに自然に観客が作品に到達できる導線が引かれてあるということ
ではないか。
決して特別に親切にしたり、仰々しい案内をすることなくそれをやってのけるのが
運営側の腕の見せ所ではないだろうか。
そんなことをつらつらと作品鑑賞中に考えさせてしまうだけであなた方の取った
この方法はすでに失敗だと、思う。
3月からは茗荷谷に勤めている。
先日生活圏にあまりにもマッチした小説を購入。
「茗荷谷の猫」木内昇
染井、巣鴨、本郷、菊坂、切支丹坂、四谷、茗荷谷…
時代がゆるりと移り変わる中に確かにいただろう人々、
確かにあっただろう感情、日常。今と変わんないな、と思う。
今朝、いつも歩いている道に小説にでてきた猫又橋跡の
看板をみつけ思わず立ち止まってしまう。
この街は偶然に移り住んだのにもかかわらず、私はすごく好きなのだ。
昨日は本牧の三渓園へ。
原三渓のつくった180万㎡の庭園。
霧やくもの糸のようなものがひんやりとした秋にピッタリであったが
どうしてもものいいを付けたくなる出来事があり、疲れてしまいました。
作品と観客がどう出会うかについて、作家を越えて、運営者のできること、
すべきことについて考えがいく。
○○だから、、といろいろ一つのことをあげて
不案内な理由を語る立場はわかる。でも、
そこは怠けてはいけない場所なのではないかと思うのだ。
それは美術だけではなく全てについていえるけれど、とりわけ
丁寧であるべきだろう美術において、丁寧さよりもさかしさが上回って
がっかりした気分になる。
出来るだけ作品の持つ情報を外からの情報によって壊さず
観客が作品と出会えるようにセッティングするのが運営者の役目で
それは「案内をひかえる=案内をしない」という単純なことではなく
いかに自然に観客が作品に到達できる導線が引かれてあるということ
ではないか。
決して特別に親切にしたり、仰々しい案内をすることなくそれをやってのけるのが
運営側の腕の見せ所ではないだろうか。
そんなことをつらつらと作品鑑賞中に考えさせてしまうだけであなた方の取った
この方法はすでに失敗だと、思う。
2008/09/15
2008/09/13
for maria
演奏者は演奏している時、音と対話しているのだというあたりまえの事を
初めて実感したように思った。
対話という言葉は後付けで、
絵描きが線を引くとき、色をのせるときに
絵全体に対して駆け引きしている時の感覚とも重なる。
演奏者のその対話する姿は、巫女のようにトランス状態にあるのではなく、
むやみに情動的なのでもなく、こちらの世界にいて、音も聞いていて、
亡き人に語りかけているようでもあり、かつ、演奏をよきものとして完遂させるべく細心の注意を払っている。
いずれにしても、さらりとやりのけていることの全てが、簡単にできることではない。
万葉集の長歌もバッハも、時代は違えど、今の私達からみれば、遠い時間を経て存在しているもの。
これまで幾人の人が亡くなった人を思い、気持ちを慰めるためにそれらを諳んじたか、演奏したか、と思うと
この日の演奏にはそれら別の時空間も付随しているような、
全く別の時代のどこかの誰かと空間を共有しているような気分にもなる。
芸術の役割というものはこのようなものなのだ、と思う。
時代を超えて存在する作品と、それらを今ここの条件の元に再び存在させることを選ぶアーティスト。
両方があり、それを受け取る我々がいる。
ATAKが用意してくれた空間は優しく、技術は高く、
私は観客として完全にリラックスした状態で
マリアさんと初めてあった時のことや、
その後何度か会ったときに感じていたマリアさんが持つ感触、
言葉にするとしたら、
毅然としているかと思えば、ふとした瞬間にひんやりときめ細かくはかなくふわりと笑って
そばにいるこちらにかすかに体が傾けられてくるような、
その感触を
何度も何度も思い出した。
思い出すことと演奏と映像と空間が全部一体になったところを私は体験させてもらった。
--
■川島皇子の殯宮の時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女に献れる歌一首、また短歌
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に
生ふる玉藻は 下つ瀬に
流れ触らふ 玉藻なす
か寄りかく寄り 靡かひし
つまの命の たたなづく
柔膚すらを 剣刀 身に添へ寝ねば
ぬば玉の 夜床も荒るらむ そこ故に
慰めかねて けだしくも
逢ふやと思ほして 玉垂の
越智の大野の 朝露に
玉藻はひづち 夕霧に
衣は濡れて 草枕
旅寝かもする 逢はぬ君故
■反歌
敷布の袖交へし君玉垂の 越智野に過ぎぬまたも逢はめやも
初めて実感したように思った。
対話という言葉は後付けで、
絵描きが線を引くとき、色をのせるときに
絵全体に対して駆け引きしている時の感覚とも重なる。
演奏者のその対話する姿は、巫女のようにトランス状態にあるのではなく、
むやみに情動的なのでもなく、こちらの世界にいて、音も聞いていて、
亡き人に語りかけているようでもあり、かつ、演奏をよきものとして完遂させるべく細心の注意を払っている。
いずれにしても、さらりとやりのけていることの全てが、簡単にできることではない。
万葉集の長歌もバッハも、時代は違えど、今の私達からみれば、遠い時間を経て存在しているもの。
これまで幾人の人が亡くなった人を思い、気持ちを慰めるためにそれらを諳んじたか、演奏したか、と思うと
この日の演奏にはそれら別の時空間も付随しているような、
全く別の時代のどこかの誰かと空間を共有しているような気分にもなる。
芸術の役割というものはこのようなものなのだ、と思う。
時代を超えて存在する作品と、それらを今ここの条件の元に再び存在させることを選ぶアーティスト。
両方があり、それを受け取る我々がいる。
ATAKが用意してくれた空間は優しく、技術は高く、
私は観客として完全にリラックスした状態で
マリアさんと初めてあった時のことや、
その後何度か会ったときに感じていたマリアさんが持つ感触、
言葉にするとしたら、
毅然としているかと思えば、ふとした瞬間にひんやりときめ細かくはかなくふわりと笑って
そばにいるこちらにかすかに体が傾けられてくるような、
その感触を
何度も何度も思い出した。
思い出すことと演奏と映像と空間が全部一体になったところを私は体験させてもらった。
--
■川島皇子の殯宮の時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女に献れる歌一首、また短歌
飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に
生ふる玉藻は 下つ瀬に
流れ触らふ 玉藻なす
か寄りかく寄り 靡かひし
つまの命の たたなづく
柔膚すらを 剣刀 身に添へ寝ねば
ぬば玉の 夜床も荒るらむ そこ故に
慰めかねて けだしくも
逢ふやと思ほして 玉垂の
越智の大野の 朝露に
玉藻はひづち 夕霧に
衣は濡れて 草枕
旅寝かもする 逢はぬ君故
■反歌
敷布の袖交へし君玉垂の 越智野に過ぎぬまたも逢はめやも
2008/09/10
2008/09/08
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