2011/09/13

海の月

鎌倉の海でお月様を見ながら栗とキッシュとビールとおしゃべりをした。
お月様、すごく明るくてまわりに丸い光の環ができていた。
砂浜の幅がヨーロッパの映画にでてくる砂浜のように広く、波は遠く、音だけがする。
話している間、潮は引いていった。
砂はこまかくさらさらだった。

この、隣にすわる人は誇りということばがとても似合うのだった。
わたしにもそれが必要だということは、頭では理解している。
ごまかさないで、誇りだかく。

帰ってからおわらぬ会話の中で、
giftedという言葉を贈ってもらった。

おばあちゃん2

週末二度目の佐渡へ。
土曜日は曇天でとても寒く、日曜は泳ぎたくなるほどの日和。
まだ夏と秋が行き来してる。

先週行ったときより少し元気な気がしたのだけれど、首のバイパス手術をして、栄養をそこからいれてるのが良いみたい。熱も36.1℃、と安定、血圧128/68、酸素98%と数値はよい。
痰が詰まるみたいでぺこりぺこりとびいどろみたいな音がたまにする。息がとまってるんじゃないかって心配になる。息をするのは苦しそう。はあはあいってる。
口の中に痰がたまったり、乾燥して唇の周りがかぴかぴしたりしてて、口の掃除をして頻繁にしてあげる。舌をきれいにしようとすると、痰と一緒に舌の皮もめくれてしまっているような気がして躊躇した。きれいにしたらプロペトというワセリンのようなものをぬってあげる。

顔は化粧水でコットンパックして、熱いタオルで足を暖めて、マッサージ。
ひたすらマッサージ。頭蓋骨や、肩、首筋もやってみる。触れるところ、さすれるところはすべてさすってみる。女同士だもん、いいよね?という感じで結構だいたんにさする。

火星の人類学者を思い出す。
親に抱きしめられるのはつらいけど、抱きしめられる感覚は安心するから、牛をはさむ機械で自分をはさむ火星の人類学者。
おばあちゃんはもうすぐ死んじゃうし、ぼけてるし、しゃべれない。けど、抱きしめられることは彼女をあたたかく包むのではないかと、私は想像する。ベッドの上で寝返りも打てないおばあちゃんを抱きしめるのは難しいけれど、二の腕を肩を、首筋を、腰を、脇を、抱きしめる感覚でさすってみる。ぎゅっとする。「ぎゅーーーー」っていいながらやると少しだけ笑う。

日曜は11時半のジェットフォイルだからあまり時間がなくて、おばちゃんが迎えにくるまでずっとベッドにのって、足をマッサージした。途中からは、足の甲を両手で上下にはさんで、そのままにした。わたしはそのうちうつらうつら眠ってしまった。おばあちゃんも眠っていた。
その、まどろみはおばあちゃんの意識と私の意識が混じり合って溶け合っているような感じだった。眠りに入る前の独特な意識状態。沖縄のイシキ浜でインフルエンザ疑いの私が横になったとたん襲われたまどろみと同じだなって思い出した。
とてもとても、しあわせだった。その時間のしずけさ、その時間がわたしとおばあちゃんの間にあったことがしあわせだった。

次は二度目の三連休。
調子がそのまま続きますように。

2011/09/06

風のスカート

いつも履いてるスカートがない。
狭い部屋に、ないということが不可思議なくらい、探しても、ない。

記憶をたどる。最後に履いたのは、水曜、木曜?

金曜の夜飲んで帰ってそのままバタンキューして、全開の窓を抜ける強風に、窓際の大切なアクセサリーが飛んでいかないように眠気まなこに避難したりしたっけ。

そうか、スカート、飛んでったんだな。風にのって。

こうして持ち物が次第に入れ替わってゆく。

2011/09/04

おばあちゃん

おばあちゃんの足を揉んだ。
おばあちゃんの顔をマッサージして、頭をさわって、肩、腕、腰、足、を触って揺すってマッサージのまねごとかもしれないけれど、いろんなとこ触った。
おでことおでこをくっつけた。
胸に耳を当てて、心臓の音を聞いた。
手を揉んだ。

足も手も、末端からマッサージしていくと毛細血管から赤い色がでてきた。
太めの血管は末端から中心に圧を加えると、血液が流れる様が見れた。
クリームをぬって滑りを良くしたため、皮膚は湿ってうすいうすい透明の膜のようだった。

あしがむくんでゴム風船にふくれて鑞のような質感だったが、指先からすこしずつほぐしてあげると、暖かくなり、赤みを帯びた。骨に沿って水分を押し上げる。水分は手の全体に圧を抱えて上に押し上げると目に見えて皮膚の下を移動した。

夜にかけてまたむくみ、
朝がたからまた、マッサージをした。

5時過ぎだったか、
病室の窓の外の明るさで目覚めて、見ると、海から出たばかりのまんまるの太陽がそこにあった。びっくりした。
台風がまだ近くにいる為さまざまな雲があり、朝日に焼けていた。

おばあちゃん、すごいきれいだよ、みて、朝日!

というと、

少しわらった。

笑う表情も、かすかに出た声も、ずっと前から知ってるおばあちゃんのそれとかわらないものだった。かわいらしい声。

目をあわせておばあちゃんが少し目を開いて目配せ、みたいなのをした瞬間もあった。

かなでだよ、というと、少しわらったりした。

絶対に来週も会えると信じて過剰なお別れはしなかった。
でも帰って来て、風呂に入りながら、私は、おばあちゃんが息を引き取る瞬間を想像したら泣けてきた。思い出し泣きではなく、予想泣き。

覚悟するとかそういうのではない。
ただ、少しずつ現実になっていくのを、準備している。
おばちゃん、おじちゃんたちの介護の苦労、三人で頑張ってきて日々に感謝したいから、
なくなったらおばちゃんとおじちゃんとねぎらって旅行につれていってあげたいなとか、
そんなことすら考える。
でも、来週また会えると信じてる。

だって、おばあちゃん、いいにおいがして、まだ死ぬって感じじゃなかったもん。
身体もきれいにしてもらってて、大切にされてるなって思った。
みなさんが大切にしているところに少しだけわたしも混ぜてもらって、存分におばあちゃんに触れてうれしかった。
息の音も、皮膚の質感も、目の大きさも、目の見ている方向も、口の動きも、耳の形も、骨ばかりの腕か足の間接も、膝も、爪の先も、首の後ろも、唇の周りも、全部さわって、確かめた。

どこもいいにおいがして、あたたかくて、つやつやして、生きていた。
触ると脈動があった。
指先を揉むと反射で動いた。手を取ると指をこちらへ折り曲げたし、目やにをとろうとすると目をぎゅっとつむったし、マッサージ痛い時は眉間に皺がよった。


帰りがけ港への車中でにおばちゃんが
「どんなものにも魂があって、おばあちゃんの魂にはかなちゃんの気持ちが伝わったよ」といった。こちらに着いたよとさっき電話したらそのときも同じことをいった。

伝わったもの、こと、は、おばあちゃんが死んだらどうなるんだろう。そもそも生きてても死んでても、それははどうなってるんだろう。

せめて、それを考えようと思った。