2011/12/22

ゆめまくらの音

昨日、半年くらいぶりにホットヨガにいって、帰ってから真っ暗闇で着替えてすぐにベッドにはいって、でも、本をよみたかったから小さい電気をつけて読んでいたら眠ってしまった。

夢を見た。おばあちゃんの髪の毛をシャンプーしている。
おばあちゃんの髪は黒々としていた。顔は亡くなった時のきれいな顔。
お姉ちゃんが一緒にそこにいたように思う。

その夢を二回みたように思う。

ふと、目がさめた。
電気がついていることにはきづかなかった。
夢でみたおばあちゃんがありありとしていて、現実の方が現実感がなかった。
そして、耳元でひゅーひゅー音がした。ひゅーひゅーと書くとすきま風のようだが、風のような音ではなく、空気のゆらぎのような、音楽のような、ものだった。外の車の音だろうかと耳をすましたけれども、すこし違っているように思えた。それはまだ夢の中だったのかもしれない。けれども、私にはなにか霊的な現象というか、おばあちゃんがそこにきているような気がしてならないのだった。気がしてならないというものの、私は眠りと覚醒の間にいたと思う。
間でも人間いろんなことをそれなりに感じるものなのだ。

その記憶は朝になると定着した。

おばあちゃんが来たんだ。
あの音、あの甘い感じの空気を包むようなかすかな音。
おばあちゃん、きてくれたんでしょう。

ありがと。

2011/12/05

かくれる。かくす。みえないもの

月が高かった。空気がすんでいる。月と少し離れたやっぱりてっぺんに星もいる。

あともういくつねて、あの子はぐるぐるまわってるうちに私たち、ちょうど太陽君とあの子の間にぴったり入ってあの子が太陽君のひかりをピッカリ受けてるのを一瞬だけ塞いじゃうの。一瞬だけね。まあなんてゆうか、わたしたちだって雲に一瞬太陽君の光が遮られてくらくなったりするし、なんか、あの子にとってはそのときはきっと私たちが雲みたいな??ちょっと、光遮られてさむいんだけど、、?みたいな?でも私たち雲みたく風まかせじゃないから、あの子だってきっとちゃんとわかってるもんね。ああ、そろそろね、って。

かくれちゃうことがこんなにも注目されるなんて、ちょっとすごいなって思ったけど、いつだってあの子はみんなの視線にさらされてるからなんだ。
だからみえなくなることにもきっと「いみ」がでてくる。

いつも見えないものは見えなくなることの「いみ」はでてこない。
いつもみえないものは見えると「いみ」がでてくる。

どちらでも、きっといいと思うけれども、なんていうか、私たち人間というのは、そういう特徴をもっているのか、それは生命のとくちょうなのか。