2010/12/26

サンタ2

昨日、大掃除に夢中になっていると宅急便が届いた。はて。
それは、わたしとよねちゃんがサンタとなってヤマザキさんの子供、けーたくんに贈ったプレゼントがおそらく届くであろう時間とほとんど同時だった。
ヤマザキさんからだった。ライオンとねずみの形のかわいいクッキーと紅茶のセット、それから便せんにメッセージ。

サンタならぬプレゼント交換が岡崎と横浜と巣鴨の間で大きくなされたのだった。

ああうれしい。

2010/12/25

サンタ

昨夜、突然に、
サンタを心から待って、心からその存在を信じ、けれどもそれが姿をあらわさない不思議も、そのようなものがこの世にあるということも、心の底から疑いもしなかった時の気持ちが思い出された。0時くらいだった。一瞬思い出されたけれどもすぐに過ぎ去った。あの、感じ。
出来事を思い出したんじゃなくて、そのときのその気持ちが胸で再生された、そういう種類の思い出し方だった。

2010/12/24

toi

クリスマスイブ。
ポストをあけると端の角まできれいな矩形を保ったポストカードが落ちていた。
MERRY CHRISTMAS WITH YOU
From toi
とある。
見覚えがあるような、ないような、何かにかする。
練馬区小竹町のCafeも町田市金井のお店も行った事もない。
はてさて。
階段をのぼりながらしばし思いめぐらす。






そして、記憶さんが一つの事柄を見つけ出した。
7月にみた柴幸男さんの「華麗なる招待」!!
クリスマスディナーの参加者の一員になった、あそこから、ぽーーんと届けられたメッセージ。シンプルに、とんでもなくきれいな弧を描いてポストにすとんと落ちてきた。

うん。
うけとった。
ありがとう。
そちらも、あちらも、こちらも、
MERRY CHRISTMAS !
THANK YOU VERY MUCH ! 

2010/12/16

フィードバックのはやい

写真を受け取りにいった。
10月に祖母を撮影したものと、約2年前に撮影したフィルム数本。
最近は現像のみでプリントはせず、DVDに焼いてもらうことにしてる。
DVDをパソコンに入れて、自分の撮影した写真をみると、好きだな思えるのはほんの数枚。
あとは許せない感じのするもの。。。

デジタルカメラ全盛の今も、まだ買っていない。
フィルムにこだわってるというのか。
でも、デジカメ便利だし、携帯カメラはすき。
デジカメの怖いのは、自分とカメラが両思いになる為だけの対話だけで写真が構成されてしまいそうだからかもしれない。
液晶画面を見ながら自分好みの設定をつくってから、それを切り取るシャッターを押すかどうかを決めることができてしまう。現実をフォトショップでいじって、いい感じのところで保存するように。
液晶をつかわずにファインダーを除いて撮影したとしても、撮った写真をすぐさまみて、修正点を見つけ出し次の撮影にいかせてしまう。
そのなにか、カメラと私の距離が近すぎる感じ、なにか自己愛に似たような、感覚を持つのではないだろうかと想像し、私は少し怖い。それは私の場合は、であって、デジカメを使う人すべてがそのような感覚を持つ訳ではないとは思う。私の場合はその中で充足して内へ内へといってしまわないかと、まだ手にしてもないのに恐れてる。
他の人々はどのような感覚をもっているのか、知りたい。
私はまだ、好きな写真が数枚しかとれないフィルムの不確定性の方が自分との距離があって安心する。


撮られた像がフォードバックされる時間が短いことにおいて、デジカメは、鏡をみているのに近かったりしないだろうか。

2010/11/14

虫も

こないだ思った。
虫とかもさ、日陰とか、日なたとか、好みの場所に移動するでしょう。
だからきっとやつらも太陽は東から上って西に沈むこととか、どのルートをとるかとか知ってるのではないか、と。
それは知性、とはまた違うのかしら。

おけさ柿

しあわせ!
これだよ。この堅さ。最高。
抜けきっていない渋の気配がかすかに感じられはしても、気のせいかなと済ませられるくらい、そしてさわるとへこまないくらいの堅さの柿。
本当においしいのです。
写真とろうと思って二個目をむきました。
おじちゃんのほうじ茶とあわせて佐渡三昧。
今年の秋は佐渡度(←いいにくい)が高い。

2010/10/21

2010/10/20

つぶやきんぐ

グレゴールシュナイダーを見た。
おしいれのぼうけんを思い出した。ねずみばあさんこわかった。
個人のオブセッションを真摯に極めていいこと、その対価として多額のお金が取引されること、ヨーロッパは不思議の国だ。そうやって、いろいろなアーティストがわたしたちの目の前に姿をみせてくれる。

ブーツをかった。40歳になってもはけるブーツ。

今日のサンドイッチはいもと卵。おいしかった。
りんごを丸かじりすると外人気分だ。

ツイッターをやめてみた。

毎日納豆を食べることにした。

美容院の予約をした。

なんでもツイッター用のつぶやきに心が変形してることにきづいた。
そのことがなんだかとてもおもしろい。

ひきかえ

金のネックレスなくした。
パレスチナのペアグラスの片方がこわれた。軽い、ぱりんという音だった。
不注意。

いのちのかわりになくしたりこわしたりする。
幾度かそういうことがあった。私は健康で大病しないかわりに
ものがなくなっていったりする。ひきかえなんじゃないかって思う。
怪我したりもする。けど、たいしたことじゃない。

なくしたりいなくなってしまった大切なものは
今でも大切だ。すきだ。

所有するってなんだろう。手が触れられることなのかな。
でも、すべてのものに手なんか触れてないよ。見ることすらしてない。

2010/08/02

その日の天使

東京堂で中島らもの「その日の天使」を、ちらっと立ち読む。
The day's divinity, the day's angel

1000円くらいだろうと思ってレジに差し出した本が2000円したのだ けれど、この本はきっとわたしの、今日の天使だってしってる。
新刊コーナーの角っこにちょこっと置いてあった銀色の文庫サイズ、編集 グループSUREさん、あ、しってる、見たことある、面白そうな本を作ってる方々だ、、

鶴見俊輔、もうろく帖、

日記、だった。

言葉が引用されていたり、
ぽつりぽつりとあったり。



言葉そのものは、もちろんとても大切、でもその言葉がそのタイミングででてきたこ と、定着されたこと、どんな言葉にもある、きざまれた場所。みてみたい。
それをつないだり、重ねたり、すかしたりしてみたら、それをみてる今日が、遠くの今日とつながるきがする。
星座みたく。

2010/07/03

ひきつづきサッカーのこと

最近はサッカーから少し遠ざかっていて、熱中していたころの感動の仕方を忘れていたのだけれどそれを思い出した日本vsパラグアイ戦だった。

テレビで生放送されている。
私は居間でじっとしている。
彼らは、今の今、激しく動いている。顔が引きつり、声が枯れ、足の筋肉の疲労は幾ばくか。
それが今の今、私のじっとしているのと同時におこっていることに、いつでもなぜか感動した。
涙さえ流した。
感動の試合運びにではなく、今の今、彼らがあのようにして存在すること、それを自分はきわめて平静な呼吸で平穏な居間で観ている。
その不思議さがたまらない。今、ここ、あそこ、を強烈に感じる。それで涙がにじむ。もちろん、試合内容が劇的であればあるほど。(だからやはりそれは試合が劇的で泣いているということに含まれているのかもしれないのだけれど。)
今、体が激しくぶつかった、今、倒された、今とんだ、今、ボールをかすった、今、ボールを凝視した、今、今、
彼らの今を私たちは観ていて、激しくぶつかった衝撃が自分に起こったとしたらどれだけショッキングな衝撃なのか、今あのボールを観て、そのとき光がまぶしかったろうか、歓声はどれだけきこえただろうか、。かれらの見たものを自分の目でみたように、想像する、聞いている音を、心臓のばくばくを、あるいは努めて冷静であろうとする頭脳を。
そして、私は居間でじっとしている。

サッカーだけに起こることではない、生放送であればそのような想像は可能なのだけれど、例えば、NHKのニュースを読んでいるアナウンサーの緊張を想像することだって可能のように思えるけれど、それはおこらないのだ。サッカーにおいて私はつよくそれを感じてしまう。演じているのではないから?シナリオも予定調和もない生なものをみているからだろうか。他に似たものはあるのだろうか。(オリンピック?)単に趣味の、好みの問題なのだろうか。


それから、そのサッカーをたくさんの人が観ているということ。
その人たちが何かを念じながら観ているということ。

全部が同じ時間におこっているということ。集中。

それらが私がサッカーを観ていていつでも興奮する理由の一つだと思う。

2010/06/28

うめ。

ち。、、、、か,?...、、りーーーーーっぃ..た、、、.....,,,す

じゃなくて!!!!

しっかりしろおい。
今日は梅干しをつけたのだ。
今年の工夫は梅を縦に並べたこと。
けどそのおかげで背が高くなりふたがしまらないがきっと重しでそのうち背が低くなるから大丈夫。
金曜に池袋東武で780円のが200円引きになってるのを3袋買い、2晩おいたら黄色と赤だけになったので今日!だった。
3キロでは少々すくないので池袋東武の違うお店?もしくは同じお店だが別の梅980円を2袋買う。
780円のもあったけど青みがあったから。前の3袋と同じくらいの色じゃないと。

18%。

姉の子供の生まれ年の梅干しとして、生涯君臨することになるだろうはじめの一歩。
4L?5L?本当に大きな梅で、ことしもいい出会いがあって、よかった。

ところで、昨年は弱っていたため、初のカビが出てしまったけれど今になればとてもおいしくできている。
不思議だ。
どんな梅も、荒んだ気持ちでつくって途中になにがあっても、ちゃんとおいしくなるのがすごいなあと思う。
時間だけがやつらをおいしくさせる、のか。

2010/06/25

ゴールは入るものだったのだ

男ってすごい。
男のすがすがしいばかっぽさ、真剣にむかうところ、これが男らしさな気がする。
なんて楽しそうなんだ。

試合後、本田も中沢も遠藤も、自分の内側に向かって言葉も気持ちも集中してる感じの受け答えだった。
インタビュー中の視線の動き、人がものを集中してるときに斜め上をみてきょろきょろする感じがあった。
満足できないです、とか、別に大きく見せたり受けを狙ってる訳じゃないもん。
初めて知った場面での感情の動きを彼らはよく観察しているように見えて、それを見せてもらってるほうは見せてもらってるほうで初めてでうれしい。

今まで、フリーキックのシーンで、私は、私たちは、ゴールが入って欲しいと常に願ってはいたが、ゴールが入ると信じていたことはあっただろうか。もしくは、ゴールは入るものだと知っていただろうか。
今回、わたしは初めて「ゴールって入るものなんだ」って知った。そして、今まで願ってはいたけど、それは手にとどかないものを願うみたいな抽象的なものだったのかもしれない、と思った。入るってことを知らなかったから、どこかで入らないことが当然だった。本当の意味で入ることをイメージできないでいた。願いは同じでも本当に信じることができるのは今後なのかもしれない。信じるっていうことひとつとっても経験にはさまざまなものがあるんだっていうのがあのフリーキックが入ったときにわたしは知った。

ああ、それが知れたよ。それがうれしいよ。
サッカーの歴史が長い強豪国はそれを信じることができてたんだね。
そういうものだっていうこと。

歴史があった。
悔しい思い、ばかばかばかーってこともなんどもあった。
きーちゃんや城の解説を聞いていて、
この人たちがいて、今の選手がいるんだなって思った。
個人であるけれども、個人じゃなくつながってる部分。それは本当に目に見えないレベルでも。

みんなきれいな顔してた。

2010/06/16

花豆

花豆を三日ほど、十分に水に戻す。
戻した水はすてて新しい水でゆで始める。中弱火。
沸騰したら10〜15分あまりぐつぐつしない程度に煮立たせる。
同時に別鍋にお湯を沸騰させておく。
余裕があれば2回、なければ1回、煮こぼす。沸騰したお湯でふたたび煮る。これであくを抜く。
あく抜きがおわったら本番の煮込み。
セロリ、にんじん、タマネギ、ローリエ、ローズマリー、オリーブ油をいれて一緒に煮る。
このときも別鍋にお湯を沸騰させておいて。
15分くらい煮たらシャトルシェフにいれて適当な時間おく。2回湯でこぼしてたら3時間くらい、1回なら6時間くらい?かなり適当。シャトルシェフじゃない場合はごく弱火で様子をみながら1、2時間かなあ、(←たしかめてない。適当。鍋にもよると思う。)

皮がやぶれるか破れないかの絶妙にゆであがったら大成功。
煮汁につけたままさます。
ぷっくり、ふっくらたけているはず。
塩味もしてないのに、セロリの香りがはいってておいしい。

さて、これをサラダにしたり、煮込みにしたりする。

今日は帰宅後いそいで作った煮込みがとてもおいしかったのでメモ。

タマネギ1/4個くらいをみじん切り、オリーブ油でいため、そこにタプナード(高山なおみさんレシピ)を大さじ1か2くらい投入、ざっといためて、とまとの角切りも投入。
豆と煮汁をいれていい感じになるまで煮込む。味が足りなければコンソメなどで補う。

すごーくおいしかったのでまたつくってみよう。
やっぱりなんどもやらないと料理はカンがつかめない。

2010/05/27

お散歩は旅行だ

神保町〜丸の内〜有楽町〜日比谷〜新橋

2010/05/16

ひじき時間

ひじきを煮た。
何年ぶりだろう。

2009年、おおげざすぎると言われようが、わたしは毎日絶望していた。
ひじきには手をだしていない。豆はかろうじて煮たけれど、ひじきとあわせるところまでいってない。

2008年、正社員という雇用形態で働き始めてびっくりするほど非常識なことがまかり通るのが会社なのか?とおそれおののき、外食ばかりしていた。
やっぱりひじきに手をだした覚えはない。買ったかもしれない。いつだったか、しばらく使わなかったひじきを袋ごとすててしまった覚えはあるから。

2007年は?職業訓練校に行って、規則正しい生活が身に付いて激やせした年だ。お昼はコンビニのおにぎりだったな。うーん、ひじき??

2006年とか、2005年あたりまでさかのぼると、わたしはひじきを煮ていたかもしれない。と思い始める。

2004年、2003年は確実にやってた。一人暮らしを始めた頃はひじきも切り干し大根も常備菜としてつくっていたし、ご飯も炊いていたし、お弁当はそれらによって構成されていたはず。

2010年、5月にして、ひじき時間再び流れ始める。
これは祝うべきことのような気がする。
前回のひじきとの間にあったことの多さを考えるとなんだか旅をしてかえってきたような気持ちだ。

2010/03/27

梅干しくらぶ

梅干し部をつくる。
部員は、たっちー、りのちん、おんぞーさん(あ、ごめん許可なく)
この人たちには梅干しがもれなくとどく仕組みです。まいとしです。
今日きめました。

今日の稽古でまた、ゼロにもどったかとおもった。三日前なのに。
後悔してもどうしようもない、やるせなさに襲われた。
自分のコミュニケーショん能力が問題なのか、と思った。
自分のやってみたかったことはみんなのやってるみたいな動きなのに、今つくっているのはそうではない方向にいっていて、しかも、行き詰まっていた。いや、本当は行き詰まっていなかったのかもしれない。すごく、行き違いがあって、もうなにもかもいやになった。
マジむかつく・・・という言葉が相手に対して思わずでた。
そんなつもりなかったのに、泣きながら抗議をしてしまった。でも、それをいったらおしまいよ、的なことは喉のところまででかかってえやめた。そんなの人を無駄にきづつけるだけの言葉でそれは私はつかってはいけない言葉だった。多分それは相手に対してあなたは卑怯だ、という意味の言葉、それを言葉をつくして傷つけるところだった。ネガティブなことに言葉をつくすとそれはそれは大変な傷になってしまう。むかついてもだめ、だ。本当に破壊したいわけではないのなら。そうおもってぐっと言葉がつまった。けど、悔しさはのこった。
もうほんとうにやるせなくってもういいよ、みたいなことをいった。とびらの向こうでは共演の役者さんたちがもちろん聞いていた、はず。
「もう七夜できない、、、」と私はそのとびらをあけていった。泣いた顔をみられるのがはずかしかった。私最年長なのに。
役者さんたちはみんなとってもやさしかった。

芝居も本当にいいし、みんな素敵すぎて、私はそれもきっとあせりのひとつだった。
私など、本当にレベルが低すぎて、みんなのお荷物みたいで、私がお客だったらぜんぜんこころにひっかからないだろうとおもうのだ。他の人の芝居はどれもその人らしくて楽しくて私はすきで、自分のは好きになれない。なぜなら、よくわからないことをしているから。自分でもわからないし、なぜ私がやりたいと思ってたことができないようになってしまったのか、今の芝居にいたる道がたんなるコミュニケーショん不足によるもの、時間がなかったから、に思えた。
見に来てくれる友人に対して申し訳がたたない。

こうして泣いたのが3時くらいだったかな。

それで、よるの練習で、彼の考えた方法をやりたいと言ってみた。だって、芝居に関しては彼の方がよくしっている。
なるたけ素直に従うようにした。
そしたら、少しだけ光がみえたような気がした。

あと二日。

私の見た光を、お客さんがすこしでも見いだしてくれますように。
弱音はかずにやるのみ。素直に人の言葉をきく。信じる。

それと、
自分は経験がないけれど、まわりの役者さんがすてきすぎるけど、
卑屈にならないように、比べないように、見に来た人ががっかりすることを考えないように、そういう考えは全部とりはらう。

私はこれで死んだりはしないんだから。
つい、いろいろ比べる指標があるものだから、比べてしまうけど、もうなにもないんだから。

たのしくやりたい。たのしい気持ちを伝えたい。

2010/03/10

2010/02/20

けいこ

稽古に行くと、演出家にいつも待たされる。
けど、わたしよりもはやくいってもっと待たされている人がいる。たっちー。
今日彼女がしぼりだした、この何もできずにまってるという状態が繰り返されることに対して自分はどういう気持ちでいたらいいのかわからないよ、という言葉、をきいたのだった。
彼女の演じる場面がよきものでありますように。そうであると確信し、想像し、稽古がんばろうと思う。彼女のこころの存在を知る。

2010/02/18

ゆきのひ



2010/02/08

お誕生。

大学時代の友人、ヤマザキさんが7日、無事出産したそうです。
うれしい!!

実は、昨夜の夢(7日夜から8日朝にかけて)にヤマザキさんとヨネちゃんという大学時代の友人がでてきたのです。ドライブだったような。ヤマザキさんが運転してた。それでへんなレストランで食事したような。見るとヤマザキさんは妊婦で、お腹がとがってるよーと言ってる。その顔はうつくしいヤマザキさんにしてはやけに汗ばんでいた。しかし変なレストランだった。その変なレストランでわたしはもちろんビールを飲んだが、妊婦のヤマザキさんも小さいコップで一杯やっていて、わたしはおおらかだなあ、ビール飲んでいいんだ〜などと思っていた。ビールはアサヒスーパードライの一番ちっちゃい缶で、ビールの入ったグラスが曇っておいしそうだった。


朝になって、はっとしたのは起きてからしばらくたってのことで、最近ヤマザキさんのことなど思い出してなかったのに、よく考えたら、予定日付近じゃないか!もしかして生まれた??この夢ってそういう感じのもの?と気がついて興奮してしまった。
メールしようと思ったけど、出産てもしものこともあるから控えていた。


そして、、、!
さっきメールがきたのだった。

おめでとう。
うーん。きっとかわいいし、ヤマザキさんのおかあさんぷりもすごく楽しみ。
わたしは自分にはない自然なところを持っているヤマザキさんが大好きで、会うと心が洗われるのだけど、あまりにも違うので真似することや学ぶことすら無理で、とおい憧れ、みたいな存在。今でもなんでこの人とお友達になれたんだろ、って不思議になることがある。そこで鍵になってくるのはヨネちゃんという存在なのだと思う。

不思議な三人組だったな。

2010/01/07

年賀状

新年。

年賀状が届いてうれしい。
年賀状はすごく一方通行な感じがする。こっちが書いてる時、あっちも書いてるから、同時発話みたくなって、会話にはなってない。往復書簡ではないし、メールとかでなれきったレスポンス、でもない。

こちらが書いたことと同じようなことを相手が書いてくれてる場合もあるし、全然ちがったトーンで書かれている場合もある。年賀状を見て思わずお返事したくなるのだが、私の書いたものは別の言葉でもう投げ出されている。

それぞれが、相手の言葉に反応しているんじゃない言葉。絵。写真。

返事をする、ということに慣れすぎて、相手の言葉を読みすぎて、心を読みすぎて、タイミングを読みすぎて、それが身体に染み付いてしまったところへ、新鮮な風のようでありました。