2008/12/23

薩摩へ

友人の結婚式の為、鹿児島へ。
とても心にのこる式、そして指宿、霧島。
一年以上ぶりに流れ星を見た。満天の星空。野生のシカ、薩摩富士、桜島。
流れ星は蛍がひょいと現れて消えるみたいな流れ方だった。
星雲みたいなの見たのも久々。
温泉三昧して体の中の水分を入れたり出したり、入れたり、出したり、
私はそんな風にしながらぼんやり空をみて風に吹かれているのが自分の人生でどんなに大切か、思い知った。

ぴりり

二日遅れのゆず湯。
調子にのって揉んでジュースもいっぱい出して香りを満喫してたら肌にぴりりときた。
柑橘系は気をつけよ、といわれてたのに、油断したな。

2008/12/19

あたたかな

丸ノ内線後楽園駅から東京ドーム方面に抜ける歩道橋を上って、東京ドームを半周してJRAと小石川植物園の間の道を抜け、住宅金融支援機構へ。

後楽園とは「天下の憂いに先んじて憂い、天下の楽しみの後に楽しむ」という中国の言葉からきているんだって。

賃貸住宅の借り入れ相談し、同じ道をかえる。

雨は夜更けすぎに雪へとかわるだろう。

懐メロクリスマスソングが流れていて、ドームのだれもいない脇道を一人であるいていたらとつぜんに、クリスマス気分になった。

もうすぐ冬至。お日様が優勢になります。

2008/12/13



ここんとこ2週間くらい、次から次に咲いて目を楽しませてくれるサボテンくん。
今日、香ってみたらあまくやわらかな香りがしておどろいた。なんていい香り。

こちらは日に日につぼみが膨らむ子。
しかし、このつぼみの量、すごくないですか。

2008/12/11

カリリ




2008/12/08

ロッタリー

今日は本当は大事な日だった。
大切な抽選の締め切り日
17時に締め切られました。

3回ある抽選全てに応募すると当たる確率はあがる?

わからない。
でも、なぜだか、、日本人だからへんに験をかつぐからか、
ケチのついた今日という日に時間間際に滑り込みではなにもうまくいかない、と思って
見送った。

いろいろ考えて考えて考え抜いて、さいごまであきらめずにやった結果を見たい。たとえうまくいかなくても。
昨日の茂木さんと池上さんのトークを聞いていてたらそれに応えたいよって思っちゃうじゃないか。

2008/12/03

じゆう

今私が生きてる日本の、東京の、社会の制度の中で、お金を稼ぐこととか仕事をして何かしらのものを成し遂げるのとか何者かになることがどれだけ推奨されてるかって思ったらもうそれはまるで空気や水のよう。
でもその基準では生きなくてもきっといい。その基準で生きてもいいし、その基準で生きなくてもきっといい。そういう自由はきっとある。本当のところ、自由があるかないかの議論をしたらどうなのかしらないけどそれはどうでもよくって、、人を肯定しながら自分も肯定できることに矛盾がありつつも矛盾を肯定できればいいのか。

なんてことをヨガ帰りの電車のなかで広告をみながら考えてたんだけど、
おなかいたいなあーとおもったのに家についたらけっこうご飯をたべれて、
こないだのカリフラワーのペーストを牛乳でのばしてスープにするってのやってみたらこれがまた本当においしくってしあわせになりました。

2008/12/01

テクニック

文句をいったり、異議をとなえたり、抗議したり、を
単に反発しているように見える以外の方法でもっと効果的に表現するバリエーションを体得したいと思う今日この頃。
コミュニケーションとしての技術もだけれど、自分の感情も、理不尽な罵倒に対して怒りを感じたりダメージを受けないように、すっと流せるようになりたい。だってあまりにもくだらないんだもの、怒られる理由が。

2008/11/30

伝言レシピ3:春菊とリンゴのラベンダードレッシングサラダ

先週仕込んだラベンダーを漬け込んだお酢、もうかなりの香りがうつっていました。
それにしても!ラベンダーの香りのつよいこと。たいがいのハーブ香りの強さ選手権で相手をばたばた倒すローズマリーくんが負けてます。
しかもほんのりピンクできれいに染まっています。ハイビスカスやローズヒップをつけたものは鮮やかな赤になりました。

ラベンダーの香りと春菊の香り、リンゴでとってもさわやかな葉っぱサラダですが、香りのつよいものって人によって大きく好みが分かれるところなので万人におすすめというわけではありません。が、私はすごく好きです。これは「軽い料理」にいれてもいいかな。

1)春菊は水につけてしゃきっとさせたあと、水気をきって、茎から葉っぱだけを切り取る。葉っぱをだいたい5センチくらいの長さにきる。根もとは少し短めに。
2)リンゴは皮つきのまま、くし切りをさらに薄切り。
3)ハーブ酢、オリーブオイル、塩、さとう、醤油を味をみながら調合。ごまを加える。
食べる前にさっとあえる。

写真はとれなかったのですが、見た目もきれいです。

伝言レシピ2:カリフラワーのペスト

今週の3兄弟。



これは私の料理好き仲間の智子ちゃんが内田真美さんの「洋食料理 私のルール」という本がおすすめだよ!というので図書館で借りてみてみたところ、本当にどれも作ってみたくなる私好みのレシピが満載で、早速図書館の帰りによった八百屋でなんとも立派なカリフラワー(東京産)を手に入れたのでやってみたものです。伝言の伝言の伝言、みたいなものですね。
カリフラワーの旬は冬で、ビタミンも豊富。今まさに食べ時。ぴっかぴかのカリフラワーは本当にきれいなお花のよう。
このカリフラワーを蒸してフードプロセッサーやミキサーでペースト状にするだけ。そのときに少しのオリーブオイルと塩とタイムをいれます。私は今回はタイムがなかったのでいれませんでした。
内田さんの本にも書いてあるけど、一つの野菜から出てるとは思えないほど複雑な味。茶色い酸味のあるパンやナッツ入りのパンにあいます。これをのばしてスープに、とも書いてありましたが、スープになる前に食べきってしまうでしょう。
こうしてヘルシー野菜料理も結局食べ過ぎでおなかはぱんぱん、ああねむい。。ということになります。

2008/11/28

ガリ版

来年の年賀状はガリ版にしよう!と思い立ったのだけど、世間ではガリ版刷り機は手に入らないらしい。
前のバイト先が引っ越しの時、ガリ版用ロウ紙と、鉄筆セットを見つけてもらったのだけど、利用する機会がない。
むかーし、むかし、ワープロもなかったころ、うちの父は教師だったのでガリ版でいろんなものを刷っていた。ガッキュウツウシン、テスト、オシラセ、その他諸々のちょっとしたプリント。母は同じく教師だったけどやらなかったし、コピー機もあるはずなので、なぜあのころ父はせっせとガリ版を刷っていたのかは聞いたことがないからわからないけれど、そういうこともあり私にとってガリ版=父である。

とにかく刷り機がネットでも売ってないとなると、どうしようもない。ちなみに父が使っていたものは数年前の実家の立て替え時の引っ越しで処分してしまったそうで。友達にもってないか聞いてみてくれるというけれど、どうかなあ。

もし手に入ったら、高級和紙か分厚いコットン紙に刷ってみたい。

2008/11/27

数ヶ月前

今年の5月か、6月ころは、帰り道に訳もなく涙が流れてきたりして、びっくりあせったのを思い出す。
理由なく涙がでて、これはまずいなあ、と思った。

今、私は耐えていないし、がまんしているんでもない。

それなのに「ほんとはつらいはずなのに話すときは楽しくしてるからつらさに気づいてないんじゃないかと思って。そういう人の方が心配」とのこと。

なんていうか、ただ、日々がすぎさってゆく。私はなんの解釈もいらない。

2008/11/24

七夜待

少し前に河瀬直美の新作「七夜待」を見た。
河瀬直美の映画を見る前はいつでも少し身構える。
重いんじゃないか、どろっとしてるんじゃないか、女の人って感じがすごいして苦手かもしんない..等々。

確か、前にみたのは双子の神隠しのやつ。
一個前のやつは、みてない。
今回はハセキョーが好きなので、河瀬直美の撮ったハセキョーみたさに公開早々にいってきた。
ハセキョーはきれいであった。

そして、今回も思った。
この人の映画は見る前にあんなにも偏見をもって身構えるのに、見終わったあとはいつでもすっとした印象がのこる。絶対にある女の人らしさみたいなものをおさえておさえてコントロールして作品を丁寧につくっている、演出している。その力は見事で今回のものは神隠しのよりそれを強烈に感じた。
うまい、とうなる。

興味深かったのは作り方のせいもある。
出演者には状況と行動を記したメモだけがわたされるだけ。
タイ人、日本人、フランス人がそれぞれ言語の通じないまま、わからないまま、おそるおそるコミュニケーションをとる。その場の反応がそのまま、台詞である。
役者は役を演じるがそこに予定調和はひとつもない。その役自身はその場で生成される。感情も、台詞も。
ただ、手法にたよりきって放り出してしまってる訳ではい。手法は実験しつつも、彼女の作品として、彼女だけにしかつくれない作品としてある。手法に凝ってそれクリアに見せるのは男性的、手法は試しつつもちろんそれだけに満足できないのは女性的、、そんな風に単純に分けられる訳ではないけれど、手法だけで十分成り立ちそうなものに矛盾をあえて入れてしまったりするところが少なからず女性の作品にはあるように思う。というか、そういう作品を女性らしいと私たちは呼ぶのでは。

映画の宣伝にはストーリーとかキャッチフレーズがかかれているけれど、この映画には本当はそれは必要ないと思う。商業的に必要なだけ。30歳になった女性が自分をみつけるという映画ではないと思う。もちろんそれはひとつの要素としてなきにしもあらずだが、たとえそのようにキャッチフレーズ的にみたとしてもこの映画を見て何かそれ以外のものをたくさん私たちは感受するだろう。

ハーブ酢

左から、
インゲンのオイル漬け
ローズマリー+ラベンダー+ローリエ+千鳥酢
ローズマリー+ラベンダー+ローズヒップ+ハイビスカス+千鳥酢
ローズマリー+ローリエ+ニンニク+千鳥酢


ローズマリー+ラベンダー+ローリエはこんな感じ
きれい〜♪


ローズヒップ、ハイビスカス入り
真っ赤っかです。


インゲンのオイル漬けは一ヶ月後から食べられるのでがまんがまん!これすごくおいしいのだ。ワインビネガーと白ワインと塩でインゲンを煮しめてオリーブオイルにつけるだけ。
ハーブ酢はローズマリー以外は古くなってしまったハーブを入れてみただけなんだけどどんな味がでてくるのか楽しみ。ドレッシングにきっと最高なんじゃないかと思う。

2008/11/20

iBook

突然壊れてから一週間、案外早くお帰り遊ばした。
生まれたての赤子のような姿で、なにも入っていない空っぽの状態でかえってきました。
軽い軽い。
とりあえずネットにだけつないでみたけどこんなに空っぽで、さて、何からしましょうかね。

2008/11/17

軽さと重さ

煮込みは重い。
漬物も重い。
パテも重い。

空気を抜き、圧をかけ、みっちりしたおいしさ、重さ。
例えていうならば辰巳芳子さんの、綿密で密度があり、どっしりと安心できるおいしさ。

それとは反対に、

フレッシュで、空気が混ざっていて、軽い料理がある。
私は孤野扶実子さんの料理を食べたことはないがとても憧れていて、
彼女の料理はとても軽いのだという。

数週間前、初めて入った目白のイタリアンが、驚くほど軽かった。
軽いはイコール薄い、シンプル、ということではない。
きっちり手も掛けているし、材料がシンプルというわけではない。
けれど、軽やかでフレッシュで体の中に空気が通るようだった。
次の日の朝にまったく体に残っていない。すがすがしい朝。私は、今、この軽さが欲しいんだ!と体で実感した。

軽い料理に強く惹かれたことはこれまでなかったように思う。
前述のように、私は軽い=薄い、物足りない、というイメージを持っていた。

今、強く強く、軽やかな料理を作りたいを思う。
家で1人で食べるのには、私のこれまでの料理は重すぎるのだ、と初めて感じたのだ。
だから、自炊をする気分になれなかったのか、と。
買ってきたものは軽い。これはいい意味での軽さでは決してないけれど、体はよくも悪くもとにかく軽いものを欲しているからこそ、私はコンビにやスーパーの惣菜、カップの春雨、スナック菓子にビール、という軽さですませているほうが気分も体調もよかった。
ここ数週間ちょいと自炊を再開して、その重さに体がびっくりした。

栄養とはなんだろう。
軽さと重さについて、やっとなにかの片鱗にふれはじめた。

(※この項は今後追記・編集をする予定です。)

決心をわすれる。

10月末に決心をしたことは覚えている。内容も覚えている。
しかしその決心を書き換えて別の決心をしたはずなのに、どんな決心をしたかわすれてしまった。
何か、決心したのだが。

2008/11/05

不思議の国

オバマさんの勝利に熱狂している同僚がいる。
午後は早退して祝杯をあげる、という。実際は終業時間まで勤務していたが、テレビで勝利宣言とジェシー・ジャクソンのコメントを見て涙したそだ。彼は20代のほとんどの時間をニューヨークですごし、ジャズの大好きな、オーディオ狂い。

私はアメリカには一度も行ったことがなく、勉強不足でもあるため今回のこともマケインよりオバマということはわかるけれど、具体的にどのようによかったのかはわからない。

だから、今夜思ったのは、アメリカというのはとても不思議な国だなあ、ということ。
不思議な楽観とエネルギッシュな感情(よきも悪しきも)が尋常じゃない。

イラクに駐留する黒人兵が「これからは人種や肌は関係なく好きなことができる。」と言っていた。
能力次第のアメリカでは実際にこの言葉通りに人種に関係なくチャンスが与えられるようになるのだろうか。
厳しい世の中であることには違いないし、いろいろ考えると難しい。

けど、今夜、初めて本気でアメリカに興味を持ちました。

2008/10/31

決心

今日、決心した。

おばあちゃんおめでとう

今日はおばあちゃんの誕生日。
10月の〆です。

わたしも一つ、歳を重ねました。
地球がきっかり32回まわったよ。

今年の目標は、歯と歯茎を健康に。

--

10月はえらく体が重い月だった。
9月の最終週からずっとで、「ここんとこ体がぼんやりしてるな~」と重いながら1ヵ月もたってしまった。人の感じる時間の長さと言葉はたいてい一致していない。「ここんとこ」はだいたい一週間くらいの感覚で、1ヵ月も続くとは思わない。
そうやって、1年、10年、とたって行くのかもしれない。時間のことは経験でしか体得できないから恐怖でもある。しかしその恐怖はとても空虚な恐怖。すぐに忘れる。

ぶくぶくぶく。バブルのように体がふくらんでいってる。


--

つづく。

2008/10/25

一幸庵

昨日会社の近くにある評判の和菓子屋さんで二つ、お菓子を購入しました。
以前も何度か買ったことはあるけれど、プレゼント用で食べたことはないです。
お給料日前日だったけど、コレくらいの出費なら大丈夫そうだったから。
二つでたしか700いくらか。

一つは栗きんとん、もう一つは銀杏ののったおモチ(?)
本当は当日中にいただくべきものだけど、翌日まではなんとかOKだそうなので
翌日、しかもぎりぎりの深夜にいただきました。

そして、すごく幸せになりました。
栗きんとんはまさにくり!
ぎんなんの方は名前がついていたと思うけど忘れてしまったので、構成を記すと、こしあんが道明寺にくるまれ、上にぎんなんが三つのっています。このこしあんの繊細なこと!!ぎんなんの香りと淡いこしあんと道明寺。ああ。もだえる。。
ふたつとも、砂糖の味がしない。
本当にえらい。素晴らしすぎる。尊敬する。

2008/10/24

ボート!

企業は
ハケンやアルバイト等の非セーキコヨウよりも、
セーキコヨウで
 - 残業つけない
 - 不景気になったら突然クビにする
というのが一番安く済む。

セーキコヨウ=安定

という幻想の元に少々の不満は押さえ込めるし、クビにするのは実際は簡単だ。
この幻想は特に私たちの両親の世代にとってはほとんど義務教育のように当たり前のことであって、その世代の子供である私たちがセーキコヨウになれば無条件によろこんでくれる。親にとってはセーキコヨウ印の船は絶対に難破しない、嵐の海も渡ってゆける大型客船なのだ。
でも、セーキコヨウに初めてなってわかったのは、非セーキコヨウと同じくらいグラグラしているってこと。

要は、どのボートにのっても乗組員個人が足元のバランスを取らなければいけない、ということだ。
船から船へ、海から海へ。渡っていくと思えば楽しいじゃないか。
それに本当は自分でボートを作ってみたりもできるのだろう。
筏や丸太をくりぬいたのから佐渡汽船おけさ丸やジェットフォイルみたいなの、タイタニック、、いろいろだ。
時速なんとかノットで進むもの、オランダの河に浮かぶ住居用ボートのようにただ浮かんでいるもの、井の頭公園の白鳥、、スピードだっていろいろ。

どんなボートを、自分だったら、つくりたいのか。
ボートについて勉強したりしてみようか。

2008/10/23

都会のアリス

ヴィム・ヴェンダースの1974年の映画

アリスはいくつなんだろう、子供で、女だった。
こわがらない、かっこいい女。

外国の映画でときどき、あるいはいつもなのかもしれないが、目にする人々のあの態度――行き当たりばったり感というか、困難に対して「無理じゃん」とならずに、かといってなんとしても解決を図ろうというのでもなく、途中でなんとなく楽しいことを間にはさみながら全体的には鬱とした感じと落胆があるのにも関わらずそちらに引っ張られることなくゆるやかに諦めない態度――には本当に感心すると同時に笑っちゃうし、楽になっちゃうのはなんでなんだろ。それは、余裕のあるなしってお金じゃなくって、優しさとかでもなくって、こういう行動のことなんだなーって思う。
都会のアリスでも、やっぱりそういう態度でアリスのおばあちゃんの家を探すのだ。

ロードムーヴィーの道は作品を超えてつながっていく。
アリスを観ながら今までみたロードムーヴィーの風景の断片が何度も何度も去来した。

2008/10/19

秋の空

ノーベル賞を取った科学者の方々の功績はなんだったのか、をカガクシャに教えてもらった。
まずは4つの力について。重力、電磁力、核力、弱い相互作用というのがある。
この弱い相互作用っていう名前が気に入りました。
そこから話は始まって、、、なんだったかな。
そうそう、宇宙のはじまりは力は一つの力だった、そこから重力ができて、電磁力ができて、、という風に別れていきましたとさ。
という対称性の破れのお話。
ちょっと神話っぽくてなんだかすっと腑に落ちる話だ。
それから鏡にうつった粒子(だっけ?)は同じ振る舞いをするか、とかビデオにとって逆回転にしたら同じ振る舞いをするか、とかじゃあボーズとフェルミをいれかえたら?などを実験して確かめましたとさ。というが次のお話。
+と−、どっちかに偏ってるからこの世は安定しているらしい。両方同じだけあるとうまく結びつく=爆発をしちゃうから世界はいつまでたっても安定しない。

物理をやっている人になんで憧れがあるかっていうと、世界のイメージを人間関係や社会関係や目に見える現象以外のものから作れる知識があるから。知識は豊かな妄想を助けるものだ。

ふわふわした一日だった。
スキップしながら秋の空を見上げたようなことが
あったような。

2008/10/13

伝言レシピ1:ミョウガ梅酢ソース

材料:
ミョウガ
タマネギ
鰹節パック
梅酢

作り方:
1.タマネギは限界に挑戦するくらい小さいみじん切りにして水にさらす。
2.ミョウガもみじん切り。
3.タマネギとミョウガと梅酢と鰹節を混ぜあわせる。

すぐにつかっても3,4日くらいおいてもよい。
レタスとトマト等のなんてことないサラダのドレッシングがわりに使うとなかなか新鮮な味のサラダに。とくにレタスの淡白さにマッチ。オリーブオイルを少し加えてもいいかも。


※クウネルの本の「伝言レシピ」は最高です。
※その精神にならって、思いついたものを書くことにしました。伝言じゃないけど。(誰かに伝言されることを祈って。)

2008/10/12

赤いハンダゴテ

実家の屋根裏で自分の荷物を探っていたら
「工具箱」という段ボールの中から赤い柄のハンダゴテがでてきた!

あああ、ここにあったの?!

少し前にハンダゴテがついに必要になって自宅の工具箱を探したのだがみつからなかったのだ。
おかしいな、絶対にあるはずなのに。使わないだろーなーでもいつか必要になりそうな気がするよと思って、九州にいたときもこっちに移って来てからもずっと工具箱に入れて持っていたのに。

それが今日、実は私はそいつを持ってなかった、という事実に直面したのだ。
実家を出てからの5年間、今日までずっと手元にあると思っていたし、あんなにもはっきり、工具箱周りの整理の度に目にしていた、気がするのに。ハンダゴテがワープスはずもきっとないから、架空のハンダゴテとの生活だったんだなあ。

2008/10/08

雰囲気とは。

住宅地図はゼンリンが人海戦術で一軒一軒の家の表札を見てつくっている地図だ。
ぐいーんとズームアップのその地図片手に歩き回ると
そのうち地図を見ただけで街並みや雰囲気を自由自在に引き出せるようになる。

4丁目の15街区と16街区では雰囲気がちがう。
15街区の中でも東側と西側では違うし、北側と南側でもちがう。

人々は分節化された街の雰囲気を全ての人がだいたい同じような具合で無意識に感じ取っている。
行く手の開け方なのか、道の広さなのか、見通しのよさなのか、建物のせり出し方や質感なのか。

一坪ン00万円とかいって。街区がちがうだけで坪当たりの値段が10万くらい違うもんね。
土地の値段って、その考え方、よくよく考えると不思議。
錬金術か?

2008/10/06

なんとなく

ビジネスの世界に入って半年たって、
最近は自分で営業先を開拓したりしなきゃいけないこともある。
完全に自分でっていうのは無理なので上司の言うとおりにする。

今日アポをとって訪問した会社の方に
「なんでうちの会社に連絡してきたの?」
って帰り際に聞かれまして、

「なんとなく」

と答えてしまった。

なんとなくって、アンタ。
正直にいったら、同行した上司がそこの会社にアポを取れって
言ったからなのだが、
「御社の評判を耳にしまして」
あるいはせめて、
「HPを見て興味を持ちまして」
などと言ったほうが
いいのかな、と考えてたら口が勝手に
「なんとなく」と発してしまった。

言ったそばから上司にも失笑され、
自分でも本当に恥ずかしい思いと、ばっかだなあと突っ込みをいれて
笑いたくなる気持ちと。

経済、ビジネス、この社会ってなんなんだろうって思う。
「なんとなく」
という発言が著しく不適切な摩訶不思議な世界。

2008/10/01

イマジネーション

三省堂本店にて「サイエンスイマジネーション」の出版記念鼎談。
kskくんと話してて、円城さんの黄色い本のおもしろいところを言い合う。
タタミの下からフロイトがいっぱいでてくるだの、
砂浜に立方体があるやつがさ、、とか。

で、さっきそのことを思い出していて、ふと、
でもあれは、そんな風に読者をおもしろがせる為に書かれてるのでは
ないんじゃないかな、と思った。細部のエピソードも、全体の構成も
言葉遣いも、おもしろがらせる為にあるのではないのではないか、と思った。
じゃあなんの為に、、というところまで考えた訳ではないのが。

それともうひとつ、kskくんと諸星大二郎は短編が面白い、黒田硫黄もね、と
話してて、楳図かずおはそれに比べて壮大というか、あの長さじゃなきゃ
表現できないものがあったんだろうねえ、(主に14歳をさして)
と自分が言い、kskくんが「ああ、そうだね」と、妙に納得してくれたので、
なにか、自分の言ったことに思いがけずハッとしてしまう。
自分が言った「その長さでしか表現できないもの」の、なんというか、
作品の体質ともいうべきものについて。

地続き

全ては地続きなんだ。

2008/09/27

昨日の晩から今日の昼までの出来事

金曜がレディースデイのシネスイッチ銀座でターセルの「落下の王国」を立ち見(通路座り見)し映画の力をびしびし感じながら銀座のビルを見上げて帰る。

夕食には先日作って以来何度となく作っている切り干し大根サラダをつくって食べる。おいしい。
食べながらパンフレットを読む。ターセルは自主制作であの素晴らしい映像を撮ったらしい。
「僕は映画や本ができる前のストーリーテリングがどういうものか習いたくてね。」
聞き手によって語り方を変えていく、変わっていくことが物語のプリミティブな形だったはず、とターセルは言う。
それにしても風景と衣装デザイン(石岡瑛子)と俳優がよい。甘美だ。

乾いた肌寒さを感じながら眠りたいので窓を少しあけて、トレーナーをきて、布団をかぶって眠る。
ターセルの映画と夢が渾然一体。夢を見るというような主体的なものではなく映画を再現しているみたいな、私が出てこない夢を見る、たしか見た、と思う。

朝起きて、(昨日の朝のうちにお掃除をしておいたので部屋がきれい!)風呂に浸かりながら須賀敦子の本を読もうと本棚を漁るも、宇野千代のお惣菜の本を手にとって久しぶりに読む。力がわいてくる。春になったら新ジャガを紙のように薄く切ってさっと湯にくぐらせるだけのジャガイモのサラダを是非作ろうと心に決める。
シーツ等の大物をバンバン洗濯してから子宮がん検診に行く。これは自治体の無料検診。

昼時になったので近所のパン屋さんでナッツの入った茶色いパニーニにレモン蒸しチキンとトマトが入ったサンドイッチとイチジクパイを買い、家でコーヒーと一緒にいただく。少し塩気がありパリリと薄い層が重なる見た目の5倍くらい繊細なパイに、カスタードと生クリームがちょうど良い少なさで絞られていてその上にフレッシュな皮付きイチジクが一切れのったデザートはパン屋のつくったものとは思えない素晴らしいおいしさ。あまりにもおいしいのでみんなにお知らせしたくなるけれど実際お知らせできる人もいないし、いても買いにこられないし、買って持っていって食べさせてあげられるチャンスもきっとない。なので、ここに記す。

ああ、秋。

2008/09/25

風の谷

東の窓を5センチばかりあける。
南の窓は20センチくらい。
管楽器のような重低音が部屋に響く。

2008/09/24

茗荷谷の猫

千石に住むようになってはや5年。
3月からは茗荷谷に勤めている。

先日生活圏にあまりにもマッチした小説を購入。
「茗荷谷の猫」木内昇
染井、巣鴨、本郷、菊坂、切支丹坂、四谷、茗荷谷…
時代がゆるりと移り変わる中に確かにいただろう人々、
確かにあっただろう感情、日常。今と変わんないな、と思う。

今朝、いつも歩いている道に小説にでてきた猫又橋跡の
看板をみつけ思わず立ち止まってしまう。

この街は偶然に移り住んだのにもかかわらず、私はすごく好きなのだ。


昨日は本牧の三渓園へ。
原三渓のつくった180万㎡の庭園。
霧やくもの糸のようなものがひんやりとした秋にピッタリであったが
どうしてもものいいを付けたくなる出来事があり、疲れてしまいました。
作品と観客がどう出会うかについて、作家を越えて、運営者のできること、
すべきことについて考えがいく。
○○だから、、といろいろ一つのことをあげて
不案内な理由を語る立場はわかる。でも、
そこは怠けてはいけない場所なのではないかと思うのだ。
それは美術だけではなく全てについていえるけれど、とりわけ
丁寧であるべきだろう美術において、丁寧さよりもさかしさが上回って
がっかりした気分になる。
出来るだけ作品の持つ情報を外からの情報によって壊さず
観客が作品と出会えるようにセッティングするのが運営者の役目で
それは「案内をひかえる=案内をしない」という単純なことではなく
いかに自然に観客が作品に到達できる導線が引かれてあるということ
ではないか。
決して特別に親切にしたり、仰々しい案内をすることなくそれをやってのけるのが
運営側の腕の見せ所ではないだろうか。
そんなことをつらつらと作品鑑賞中に考えさせてしまうだけであなた方の取った
この方法はすでに失敗だと、思う。

2008/09/15

中秋

中秋付近の月は中秋だという情報がなくても格別で目を引くのだからすごい。

今年のは、出たり入ったり、かすんだり、消え入る瞬間をみせたり
スリリングでドラマティックなお月さんでした。

食事はまとまりもテーマもないなんだか散漫なものになってしまったけれど
おしゃべりしながら準備したり、味見してもらったり、ゆるゆるなりの楽しみが。
今年も大切な友人達といいお月見ができたことに感謝。
そして、これが終わると一気に年末に向かってゆく感がある。

2008/09/13

for maria

演奏者は演奏している時、音と対話しているのだというあたりまえの事を
初めて実感したように思った。
対話という言葉は後付けで、
絵描きが線を引くとき、色をのせるときに
絵全体に対して駆け引きしている時の感覚とも重なる。
演奏者のその対話する姿は、巫女のようにトランス状態にあるのではなく、
むやみに情動的なのでもなく、こちらの世界にいて、音も聞いていて、
亡き人に語りかけているようでもあり、かつ、演奏をよきものとして完遂させるべく細心の注意を払っている。
いずれにしても、さらりとやりのけていることの全てが、簡単にできることではない。

万葉集の長歌もバッハも、時代は違えど、今の私達からみれば、遠い時間を経て存在しているもの。
これまで幾人の人が亡くなった人を思い、気持ちを慰めるためにそれらを諳んじたか、演奏したか、と思うと
この日の演奏にはそれら別の時空間も付随しているような、
全く別の時代のどこかの誰かと空間を共有しているような気分にもなる。
芸術の役割というものはこのようなものなのだ、と思う。
時代を超えて存在する作品と、それらを今ここの条件の元に再び存在させることを選ぶアーティスト。
両方があり、それを受け取る我々がいる。

ATAKが用意してくれた空間は優しく、技術は高く、
私は観客として完全にリラックスした状態で
マリアさんと初めてあった時のことや、
その後何度か会ったときに感じていたマリアさんが持つ感触、
言葉にするとしたら、
毅然としているかと思えば、ふとした瞬間にひんやりときめ細かくはかなくふわりと笑って
そばにいるこちらにかすかに体が傾けられてくるような、
その感触を
何度も何度も思い出した。
思い出すことと演奏と映像と空間が全部一体になったところを私は体験させてもらった。

--

■川島皇子の殯宮の時、柿本朝臣人麿が泊瀬部皇女に献れる歌一首、また短歌

飛ぶ鳥の 明日香の川の 上つ瀬に 
生ふる玉藻は 下つ瀬に 
流れ触らふ 玉藻なす 
か寄りかく寄り 靡かひし 
つまの命の たたなづく 
柔膚すらを 剣刀 身に添へ寝ねば 
ぬば玉の 夜床も荒るらむ そこ故に 
慰めかねて けだしくも 
逢ふやと思ほして 玉垂の 
越智の大野の 朝露に 
玉藻はひづち 夕霧に 
衣は濡れて 草枕 
旅寝かもする 逢はぬ君故

■反歌
敷布の袖交へし君玉垂の 越智野に過ぎぬまたも逢はめやも

2008/09/10

キュウキュウの日

申し訳ないけれど、やっぱり今回はやめるって。

と、メール。17:00。
衝撃の2日間である。

辞職シュミレーションをしすぎて継続シュミレーションを
スムーズに始められず、心が砕け散りそうになるも、

ジェラートと、
うすピンクのカーデガンに華奢なネックレスのリョーコさんに大声で話したので
砕け散らずにごろり、と粘度のように固まったことだよ。

2008/09/08

鈴木さんと鰈

それはホントウにひどい!

って一言、
言ってあげられなかった。

勝負は引き分け。
寸でのところで引き分けにされた。
くやしい。




鰈は自粛するといって去ってしまった。

そんなこんなな1日、
ポストをあけると底には、

カレイメールが届いていた。
それはそれは、心から救われた気分になり、
夕ご飯にはひたし黒豆に、ひじきに、アスパラときんぴらジェノベーゼまでつくり、

自粛の意味を自分で考える範囲よりずっと
大きく考えてみようか、と
思う。

鈴木さんと鰈を思って
あっちもこっちもせつない夜。

2008/09/07

今年の夏は

今年の夏は(秋は、冬は、春は)おかしい。
と皆が言うようになってからひさしい。

そんな中で、
空気が一瞬にして変化するそのスピードとか、
豪雨の降り始めの音とか、アスファルトに流れる濁流の荒々しさとか、
降ってくる雨粒と跳ね返る雨粒の角度のハチャメチャさとか、
初めて見る、映画に出てくるような見事な稲妻とか、紫の明るい閃光とか、

そういうものに思わず立ち止まって感動することの方が、
実は多い。

仕事の合間にそれを見られれば、なぜだか気持ちが浮くことの方が、
多い。