2015/05/13

日本では亡くなったらその日の内に葬儀屋を呼んで遺体にはドライアイスを当てて夜にはお線香を枕元で挙げられるようにしつらえられる。早ければ翌日にお通夜、翌々日に告別式、その後火葬されてしまう。なんてスピーディー。

おばが突然亡くなって数日後、友人からインドネシアのトラジャの葬儀について話題になっているツイートがあるとメールが来た。

乳児の遺体は樹木の穴に安置されやがて樹木が遺体を取り込む方法や、自分にそっくりな木像を生前に用意して亡くなったらそれを村を見下ろす場に置く、なんていう方法。

葬儀には1年〜5年費やす場合もあるらしい。

亡くなったばかりのおばは本当に生きていないのが不思議なくらいだった。今まで見たことのある遺体は時間がたっていたからか、もう生きていない、物みたいな感じが強くしたけれど、息をひきとったばかりの遺体はまだ血色もよく皮膚もやわらかく生がそのまま続いていない方が不思議だった。葬儀場の関係で葬儀まで一週間あったのは不幸中の幸いだったかもしれない。突然すぎたので、お別れには時間がいる。次の日には灰になってしまうのではやりきれない。

葬儀業はなくてはならない職業だし、これからもっと必要になってくる。ビジネスライクにスムーズにすすめられることは大事なことではあるとおもうけれども、今後の日本で、意外とゆっくりとした送り方、伝統的なやりかた、というのも見直されてくるかもしれないとふと思った。エコ、有機農業、スローライフ的な生活に価値を見出す人々が死を迎えるとき、どのような送り方を選ぶだろうか?彼らは伝統的な方法を見直すか、そうでなくても葬儀産業によって送られることを拒むかもしれない、と。

私たちの親が子供だった頃はまだ昔の風習が残っていたようだからそれらはまだぎりぎりつなげるのではないだろうか。げんに、おばの出身の佐渡での風習をきくと、それはわたしにとってはめずらしいものであった。棺とともにお茶碗を地面に投げつけて割るとか銅鑼がなり続けるとか。そうはいってもそこで97年の人生を全うした祖母は極めて現代的で一般的な葬儀をあげたのだから、時代はわからない。けれども近い将来、今の一般的な方法の一方で、より伝統的な方法にを見直す人がでてくるような気がしている。