2012/12/19

なけてくる。今日は昼休みからずっとセンチメンタルだ。冬っぽいから。人と一対一で話すと、感情がきざまれる。Kさん、Oさん、それぞれにありがたい声援をいただきました。
なける。

(センチメンタルでこのエントリ、あとでけすかも。でもいまだけかいたい、どこかに)
会社の人と両国のポパイというクラフトビールのお店にいきました。
ご馳走になりました。
わたしは、お昼ご飯はいつも、この三年、ひとりでたべるようにしていて、それはみなさんわかっていてら声をかけられることもなく、気ままにさせてもらってます。
だから、仕事以外でたくさん話すこともないのですが、ほんとうにたまにこうして飲み会のときにすこしだけ、いつもより話します。
来月末で会社をやめる。
それでお誘いしてくださったのだとおもいます。とてもとても暖かい。わたしはこれを、おぼえていたいです。このあたたかさを。
日本という国のなりたち、経済のなりたち、社会のなりたち、わたしはわたしの人生しかいきられないけれど、見る場所がかわれば体験もかわる。それでたくさんの現場をみたようにおもいます。
現場というのは事件のおこっている現場ではなくて事件のおこっていない現場です。
たくさんのことを学びました。
人々がどのようにして生きているか、どのようにして経済をたちゆかせているか、その感じは、やはり本で読んだりテレビでみたりするのとはちがう繊細さだった。
ありがとうごさいました。

2012/12/15

今日はいろんな人から連絡がくる。

昨夜からおんぞうさんとメールしてたし、

iMacを修理に見送ったあと体調整える為にお風呂にはいってるあいだいろんなメールが届いてた。
普段はさっぱりなのにね。

こないだお手伝いさせてもらった本の編集者、
ともこちゃん、
まみ(小一のときからのともだち)
若い子(とわたしが呼んでる子)、
かずやん(これは私が問い合わせたから)

などなど、

なんだか一堂にかいして、という感がある。

そういえば明け方の夢は、ずーっとまえに亡くなった父方のおばあちゃんがでてきて、タッチパネルでなにやらiPadみたいなものを操作しているのだった。
父方の祖母の夢はあまりみたことがないので、なんだろう、今日みたいな特異日にぴったりだ。

体調がよくなかったので昼間は動かず、夜はこれまた何年かぶりに会うが明日には日本をたつ、外国人の友人とディナー。

どんな一日になるかな。

2012/11/16

迂回ルート

おはようございます。
朝から布団の中でiPhone手にして夏からの禁じ手のひとつをやぶりました。
ここで告白しておく。

でも目的地Aはちゃんととってある。

破った禁じ手のほうは、自分をためしたというようなところもある。
どんな気持ちがするかって。

古い友人が表す言葉の自分への影響に、三ヶ月前のある日やっとそれを完全に避けることを決意し、その人の書く言葉を読むのをやめていた。ということです。
これは中毒とか依存とか、そういうことにまつわる心理的な実験観察に使えると自分では思っています。

2012/10/30

おばあちゃん

おばあちゃん、元気ですか。
今どうしてますか。

さっきふと、「どこへいくんだからわからない」といって不安そうにしていたおばあちゃんの、本当に多分ちょうど一年前のおばあちゃんの様子を思い出して、わたし自分の今の状態がまさにそんな感じだなあ、って思ったよ。
おばあちゃんはどこかにいくのは知ってて、それがどこなのかどうやっていくのかまったく手がかりがなくてこわくて不安でどうしよう、っていう感じにはわたしには見えたの。でもここにとどまるわけにはいかないっていうこと、前にももどれないってこと。先にすすむしかない。お休みしててもいつかはね。
それで、11月にはいって、よしいこう、って決めたんだよね。すごくすごくつよくてえらくてわたしは感動したよ。少女のおばあちゃん。
今日ね、思い出したのは、わたしも今そうなの。会社やめてこの愛する家をでなきゃならないの。いつかはね。どこへいくんだか、どうやっていくんだかわからないの。でも、いくことは知ってるの。おばあちゃんどうやってその一歩をふみだしたの?
その先はどうだった?

死と生きる事がどれだけちがうんだろう。
生きる事の中にも死に似たものはたくさんあって、それは決していまわしいものではないように思ったよ。

わたしもおばあちゃんの決心でここをでるよ。
冒険だよ。
死は冒険のひとつのようにみせてくれたおばあちゃん。
生きてるあいだにその決心の練習してみるよ、わたし。

あと数時間でおばあちゃんの誕生日だよ。
おめでとう。98さい。


2012/10/28

おじょうさん

鼻に花びらがくっつくくらい、抱きかかえるように香ってみる。
この花の香りをなんとたとえたらよいのだろうか。
わたしはこの香りを覚えていられるだろうか。

わたしのとても大切な人がわたしのとても尊敬する人のところまでてくてく歩いてわたしの為に花を選んでくださいと言いにいったのだそうだ。尊敬する人の尊敬する仕事ぶりによって選ばれつつまれて、大切な人によってわたしの元に運ばれてきたその花の姿に、とてもおそるおそるではあるが自分の姿を重ねてみようと思いついたのは、そうやって大切な人がわたしを思ってくれることで起きたことやもたらされたものを十分にあじわい受け取るにはわたし自身がわたし自身についてもっとよい風に思ってあげないとなのかもしれない、という考えがかすかに発生したのを発見したからだ。

うぬぼれではなくって、自分を誇りに思うということはとてもとてもむずかしくてわたしはいい歳してそれが全然できない。でも、人から自分に向けられた祝福をうけとるときにその祝福が存分に作用するためには自分自身による祝福もまた必要なのかもしれない。自分で自分のことを祝福されるべきものと思っていなかったら相手の投げてくれた祝福は存分には発揮されないのかもしれない。そしてそれはやっぱり受け取りということに関してずさんで失礼である。そのことにようやく気がついたのである。なにごともちょっとずつである。

こくもうすくもないきみどり色にブルーの入ったところをむらさきの入ったところのある、全体としは一つのまとまりのある色調で、そして一つで森のようにこんもりしている。かたまりには厚みがあってゆたかだ。しおれているところもあれば瑞々しいところもある。ドライのように見えるけど今は水分も含んでいる。ドライになってももしかしたら色は保たれるかもしれない。花びらはとてもうすくて、紙のようだけれども触るとひんやりしっとりしており、香るとさわやかに甘い。

どんな自分になりたいか、

くだらないかもしれないけれども今の時代の私たちは(もしかしたらいつの時代のわたしたちも)考えるし、あこがれの像を頭においてそのようにすてきになりたいなどと考えるものである。はずかしながらわたしだって少女漫画的にそのようにかんがえる。

そのあこがれの位置ににこの花の姿を置いてみようと思う。
そんな風になりたいな、と思う事を許可してみようと思う。


2012/09/09

三週間

三週間たった

2012/08/30

ともこちゃんのみそ汁セット

あなたに足りないのはみそ汁な気がする。

とメールにあって、

だからみそ汁セット送ったから。


って。

そのメールは

わたしまたよけいな事しちゃった(>_<)

と始まってて、みそ汁セット(野菜を含む)と梨を送ったけど次の日届いてないならだめになってるから野菜はすててね!というところから、みそ汁が足りないという指摘に至るメールであった。


結局私が荷物を受け取ったのはそのメールをもらってから二日後で、たしかに葉物、枝豆、ぶどうはだめになってたので、ともこちゃんのいうとおりに捨てる事にする。ともこちゃんならこれは躊躇なく捨てるだろう、と思って、心をいためずに捨てるという行為を実践した。心をいためてすてたらともこちゃんに悪いから。それはともこちゃんの心情に反するから。

いりこだしと昆布だし、それから多分ともこちゃんがこないだ旅行にいってかったのではないか?と思われる三河の赤出し、そしてオクラとトマト一個、梨が手元に残った。
それから隙間をうめるため?のストールとボーダーのタンクトップ。

メールでは、いりこと昆布を水にいれて冷蔵庫にいれとくだけでだしがとれるし、簡単だからやりなさい、と書いてあった。

そこで、いりこを水に入れて冷蔵庫に置いたのが日曜。今日は木曜。
やっとこさみそ汁セットがみそ汁に。

オクラの味がすごくて、あー、みそ汁って具からもだしがでるんだった、とか、
このねばり、ジュンサイ並みじゃない??とか、感動しきりである。

トマトも切ってたべみたら本当にあまくって、なんじゃこりゃ?というかんじである。

野菜がおいしいってすごいなあ。
力を感じる。

赤出しもとてもとてもおいしい。

なんというか、がんばってみそ汁をつづけよう、そしたら私の身体はよくなるかも、と思った次第である。


2012/08/26

人のやっていること、自分と関係のない事象については見えているように思ってしまう。自分のこともこうやって見えないと、人のことを見えているように思うその思考力はなんにも役立ってないことになる。

2012/08/22

目的地A

今日で四日目だ。
8月19日に私は目的地Aを定めた。

目的地Aのネーミングは恩蔵さん。
名付けられたことで、これは形をもった。

目的地Aの正体はなんだかわからない。
今のところどういう風にめざせばいいのかだけはわかる。
毎日一歩ずつ歩く。

目的地Aを目指していても、Cにたどり着いてしまうこともあるという。
けれど、初めからCを目指さないし、Cなんて知らない。BだってDだってしらない。
Cなんてない。
あるのは今は、目的地Aだけ。Aが見えているわけではないのに、それはある。

この「目的地A」について考える。
できるんだろうか、そんなこと。
人生と作品。その習作のようでもある。

2012/08/13

かるくて大切なもの

部屋を吹き抜ける強風にまかせて眠りについていたらまた
青紫色のあじさいがいつのまにか窓からとんでいった
花瓶がもぬけの殻だった
2月15日の為に自分に買ったもの

こないだともこちゃんがうちにきて、とんでったスカートの話をした
 「この風の通りみちにかるくて大切なものをおいちゃいけないの」



かるくて大切なもの


って
 
なんかいーね

と、ともこちゃんがいった

2012/07/18

となりのおじさん

今朝、母からメールがきた。
実家のお隣のおじさんが7月16日に亡くなったのだという。
私はおじさんがだいすきだった。とはいえお隣の方だし、私が大学生になるころにはほとんどお会いすることもなかったので、だいすきだったというのは小学生のころの記憶だ。
私は千代の富士が好きだったのは、おじさんが少し千代の富士ににてたから、どちらを先にすきになったかはわからないけど、千代の富士を好きなようにおじさんもすきだった。(おじさんは太ってたわけではない。)
そのころプリンという名前の雑種の犬をお隣では飼っていて、うちの目の前にある用水路の土手もまだ舗装されておらず、プリンはいつもそこにいた。プリンのこともだいだいだいすきだった。プリンはやがて死んでしまって、それもその付近に毒餌がまかれたといううわさがたち、それ以降おとなりでは室内犬を飼い始めたのでわたしたちはお隣の犬との交流もなくなった。おじさんやおばさんとの交流もへっていって私たちは思春期を迎えておとなになり、お隣ではお孫さんが生まれていった。
おじさんは名のしれた動物園の園長だった。パンダの飼育をしてた。本も書いていた。いつだったか、昨年だったとおもうけれども、神保町の古書市でおじさんの書いた本をみつけて買おうか迷ったのだけど、断捨離中だったので買うのはやめてその場でよんだ。タツノオトシゴは受精後、オスが妊娠するような形になるということとか、キリンやカバの出産の話がかいてあった。パンダのあかちゃんでにぎわった事、おじさんの耳には入ってただろうか。
私がおじさんに最後にあったのは、もう、きっと何年も前。10年以上前かもしれない。人が生きてる事と、死ぬ事、その人の存在を知るのは、私の身体ではなくて頭なのだ。私はここのところ、おじさんの死とはべつに、おんぞうさんのいう「肉」問題を考えていた。「肉」の強さといったらなくて、私はそちらに引きずられるようにして生きている。こわいけど真実のような、なんというんだろう、それはいつでも「肉」を感じるということでもなく、でも少しでも「肉」を知るということが及ぼす影響。これって本当に無視できない。演劇やダンスの人たちの関わり方、身体のありかたが私とまったくちがうということも、そういう「肉」の秘密に関わる所がああるかもしれない。私は頭だけで考えがちなのだとそこでわかるのだ。「肉」をつかって考えることが私にもできるのだろうか。
そもそもここでいう「肉」が何をさすかを考えるとこからはじめないとならない。

2012/07/08

あなたさまへ

今日でお仕事が終わるあなたさま。
またしても、やりとげたあなたさま。
3か月でやるっていって、一人で計画たてて、その間の万障をやり繰りしながら、やってのけてしまうあなたさま。
書斎となった喫茶店に最後にてみやげをもっていくあなたさま。

目に浮かびます。

出来上がるものの形ではなくって、そのものが出来るまでに誰がどう動いたかってこと、例えば本なら木が育ってパルプになって製紙会社を通過して、印刷のインクがのってっていう道筋の中で、製版印刷技術や製紙技術や輸送システムの作られるっていうそれぞれの道筋の中で、遠い国で本を書く人がいてそれをこの国でも売りたいっていう道筋の中で、誰がどう動いたかってこと。だれもその全部は見る事ができないものだけど、実際にあったのだ。出来上がる形が出来上がっても出来上がらなくてもそれはあった。神様がみてるってのはそういうことなんだろう。

2012/07/01

秦野梅子さんたち


梅仕事2012-2

この週末に、と思っていたので好都合に買えたものや、好意で送っていただいたもの、先週冷凍したものなど、いくつもの種類で梅仕事をした。

【梅干し】
1.友人が木の上で完熟したものをとっておくってくれたもの 
1.25kg を 塩20% で つける

2.池袋東武の地下で購入した南高梅(1280円/kg !!)
2kg を 塩18% で つける

【梅酒】
1.ガイアで購入した有機青梅の黄色くなりかけのもの
1.5kg を ホワイトリカー1.8L 氷砂糖二つかみくらい で つける

2.ガイアで購入した有機青梅の黄色くなりかけのもの
1.25kg を ブランデー1L ホワイトリカー0.7L 氷砂糖約500g で つける

【梅シロップ】
1.先週凍らせておいた西武でかった青梅とサミットでかった小梅
計2kg を 氷砂糖2kg で つける



すごく完熟でいますぐにでも漬けられる梅、ちょっとだけいたんでて定価で買うにはちょっと、、というのをじい〜〜っと見る事10分、ものは試しと思って店員さんに、「これ少し痛んでるから安くなりませんか?」と聞いてみたら半額のシールはってくれた。
2キロで2000円以下になったから、ラッキー。
梅のこと毎年みてるとこういうこともできるようになってくる。大胆、というかようはおばちゃん。。

2012/06/24

梅仕事2012-1

今年は梅不足のようです。
ここのところスーパーやデパ地下へチェック入れてるけれど、先週青梅が780円くらいで出てたのが最安だったと思う。
本日を逃すと梅ジュースは難しそうなのでまずはサミットへ。サミットでチェックした後で西友へ。

[サミット]
 群馬産青梅 980円/kg
 和歌山産南高梅 1280円/kg
 小梅(産地不明) 398円/0.5kg

[西友]
 和歌山産南高梅 880円/kg のみ

西友で 和歌山産南高梅を1kgと氷砂糖を購入し、
サミットで小梅を1kg買う事に。

梅ジュースは青梅、という頭があったけど、値段を考えるとちょっと安い南高梅でもいいと思う。そもそも南高梅は青梅より高いのだからお得感がある。
出来上がりにどんな違いがでるのだろうか。発酵しちゃったりするのか微妙に心配。味は青梅の方がすっきりしてそうな気がする。
小梅は迷ったが、最近購入した「魔法のびん詰め」という本には小梅でつくるレシピがでていたので、ちょっとトライしてみる。
あとは、明日会社のそばのスーパーもチェックしてみよう。
梅干し用はもう少し様子をみてもいい気がする。ただ、本当に不作のようなので、のがさないように用心しなければ。
今年はなんといっても10年目である。
梅狩りもできたらうれしいし、お店でもいいのに出会えたらいいなとは思うけれど、梅との出会いは運命まかせで決まるっていうのは知ってます。




2012/05/02

だから

今日は清志郎の命日だったらしい、とツイッターで知る。
眠る前の0時過ぎにyoutubeで清志郎見てたのはその為か。

 その為。

 良子さんが理由文というのを研究していた。
「秋だから、風が吹く」

この間塩谷さんに会った時に、 ヘルツォークは青年時代洞窟の本と運命的な出会いをしていてそれ以来洞窟に対して情熱があったから洞窟の撮影ができたらしいです(新潮5月号石川直樹とヘルツォークの対談を読んで)、 と話したら、「それは違うけどね、そうだからって本人も思ってしまうけど、本当はちがうよね、」とおっしゃった。
意志、意図、意味、動機、のことだ。(これらを同意味に使用してよいかは別)

なんとなく、わかるような、どこかで思い当たるふしがあるような、

 というのは、

私が何かをするときの理由「本当にそうであるから」、というのの「本当」も、「そう」もそれぞれがそれぞれの度合いで疑えると思うところがあるからだ。

2012/03/24

動く

私は外国に行くと決めた。
海外に行ったからってなにになるわけではない。と、長いこと考えていたけれど、行くことにした。だまっていようとおもったけど、ついに人にそのことを伝え始めた。

私はいま東京で暮らしている。特別なことはなにもない、ただの暮らし。私はそれを愛しているといえる。
一人で日曜にゆっくりおきて、お風呂に入り、部屋からの景色は素晴らしく、とても心が穏やかになる。長いことこうして暮らしてきた。幸せだった。

だから、海外に行こうと思った。
海外でただ暮らすことをしたい。
何かになりたいわけではなくって、なにものかとして成功したいわけじゃなくって、刺激を得たいわけじゃなくって、暮らす場所を変えて暮らしてみたい。生きていかなきゃならないから、必要なものが変わるだろう。

がくちゃんが、こないだいってたこと、

アートを人生の犠牲にしてはいけないんだよ、人生があってそのなかにアートもあるの。

私は聞いたときなるほどとおもったし、がくちゃんらしいなとはおもったけど素直に素晴らしいなあ!とはおもわなかったんだ。同じ思いに至ったというのとは多分ちがうんだろうけど、わたしがこうしてただ暮らしたいという考えに自覚的になったら、この言葉が近寄ってきた気がする。

それから、友達がくれたオスカーの文章にあった、何かになりたいと願ってる人はもれなくそれになれるけど、そうでない人はその人自身になれるという言葉。

世の中のことをわかった、と思えなくてうろうろしているなりに、やってみよう。この世にたくさんいるいろんな人のうちのひとりだから、これで多分いいのだとおもう。

手放し難いのは窓からの風、風景、光の移り変わり、あれらはこの十年間わたしの財産だった。

2012/03/08

a hamburg

2012/02/13

やきいもサラダ

100円ローソンの焼き芋にはまっている。
けど、こないだのはあんまりおいしくなかった。
ので、冷蔵庫でしばらく放置してた。

今日はそれを1センチほどの輪切りにして、フライパンに少しの水といっしょにいれて蒸し戻し、水分と温度が芋の中に入ったとこでお皿にもり、内田真美さんの本をみてつくって(から久しくたっている)レモンオイルをたらりたらりとかけ、粗塩をぱらりぱらり、してみた。

レモンオイルがむかーしお菓子をつくるときにつかったレモンエッセンスみたいな、うそみたいなレモンのかおりで、おやつみたいなつまみみたいのができた。おいしい。

2012/02/05

ルドンからの形

1.
私にとってルドンはもわもわっとした雰囲気の画家であった。しっとりとした黒の版画はシャープで冷たいもわもわというイメージを抱かせたし、色彩のある絵画もやはりもわもわした空気が立ちこめていて、薄暗い中に仄かな光がもれてくるような、例えるなら女性が化粧をするとき、目元や頬にのせた色を周囲となじむようにぼかすような、そんな質感の画家であった。おそらくこの印象は17、18歳の美術予備校に通っていた頃、絵画のことなど全くわからず、理解しようともせず、ただなんとなく常識として知ってて当たり前だよね、という周囲の雰囲気の中で様々な画家の画集をぱらりぱらりとめくっては背景の読解も執着もせず、質感のインプットだけはできたというその頃のもので、以来更新されていない。

2.
展示の順番、つまり、見てゆく順番によって受ける印象は違うかもしれないのだけど、と前置きした上で彼女は口をひらいた。
あるものを観賞した経験について語る時、その対象に好感をもっているという共通認識が会話の両者にあるのならば、「あれ見た?」「見た見た」「え、どーだった?」「ん、よかったよ」で、大抵のことは終わってしまう。いや、共通認識がなくとも、たいがいの会話はそのようにすむことが多い。
私と彼女は共通のなにかをルドンについて持っていないことは確かだった。ルドンについてなど、一度も話したことがない。私は展示を見てきたという彼女が何を言うのか興味津々であった。この人が何かを見た後に何かを語ろうとするときはいつでも決してどこかでみたようなことはいわない。どこかでみたようなことを言うのが悪いと言う訳ではないけれど、なにを言い出すかわからないから、自分では思いつかないことを必ずいうから、期待度が増すのだ。聞き手としての私はそれをどう受け止めたかを毎回試されているようで、緊張と集中を伴って耳を傾けることに、会話の充実感を覚えてしまうのだ。

始めに黒の絵がならんでいて、神話がモチーフなのだけれど、神話という感じがしなかった。と、まず彼女は言った。
彼と友達になれるとは思わなかった。うまくいかずにもがいている姿にみえた‥。
私の不確かな記憶なので言い回しは違うかもしれないけれども彼女はそのようなことを言った。なにか、葛藤しつつも得られない本物のたましい、人間の滑稽さ、みたいなものを感じたのだと。
なるほど。私は話を聞きながら展示室の様子を想像した。自分だったら神話であることやそのあり方などにきっと注視できないだろう、美術教育を受けたにもかかわらず質や雰囲気や時代くらいしか読み取れない自分の性質と、彼女がそこで読み取ったものの差異を感じながら、また、彼女の読み取ったであろう世界の中に身をおくようにして聞いていた。

「順番に見ていって、最後の部屋のグランブーケをみたとき、この人のすべてがここにある、と思って、感動したの。ああ、よくやったね、あなたの全てがそこにあるよ、あなたの姿が私には見えたよ、と思ったの。」

ここのところ、彼女がみる「全体」の感じを私も聞き知っていた。それが今のところの彼女が世界をみてゆく方法なのだと感じていた。私は、おそらく私がその場に立ったとしても得ることができないであろう感動を彼女の世界の中で追体験しているような気持ちで、このようにひとりの全体を得るという見方、方法があるのか、と思いながら、そして、私ならばそこで何を見るのだろうか、とぼんやり考えながら聞いていた。それから彼女はこう付け足した。

「それが感じられた時に、自分がちゃんとここにいる、あ、私、大丈夫って思えたの。」


3.
神保町すずらん通りに面した小さなギャラリーで年に一度、丸木位里・俊展をやっている。昨年の同じ時期に偶然見つけて入り、今年も看板を見つけたのでまたふらりと入った。昨年とは違う絵が展示されている。私は昨年はじめて原爆の図以外のお二人の絵を見て俊さんの絵がとても好きになった。今年も俊さんやはり素敵、と思いながら位里さんのスケールの大きい風景も見ると、うなるようなうまさ、完結なのにすごく広い空間がある感じにやはりこちらもいいなと思いながら見る。画家として昭和を生きた方々であり、椎名町のアトリエ村での写真なども展示されていた。原爆の図や丸木美術館で知られるお二人だけれども、そこのギャラリーにある絵は日常のもの、ふと目にしたもの、外国の風景や動物などで、色彩もはなやかである。見ているととても愛おしい気持ちになる。原爆の図を描いた人の別の絵。両方あるのだというのが私にとっては嬉しい気持ちになるのだった。その日、ひと回りしてギャラリーを出ようとしたときにふと目に入れたモンゴルの平原の絵が、広大なひろがりを一瞬にして私にもたらした。位里さんによる絵で柔らかい線と緑色の色面で構成されている。その一瞬に私は後ろ髪を引かれて立ち止まった。
俊さんの線のすてきさ、色のにじみ、印刷物ではわからない画家がたった今かいたような質感、また、位里さんの風景の雄大さ、緑一色のようでありながら本当にこれがモンゴルなのだと納得してしまうような空気感、それらをみて動いた心が今ここにあるということが実感された。その感動とほとんど同時にわき上がるのは、感動とは別の思い、私は確実にこれを忘れるだろうということだ。
そう、私はいつだって忘れてしまう。感動したときほど、これを忘れるのだろうという思いもまた強くわき上がる。忘れてしまう、忘れてしまう、じゃあ何なのだろう、どうしたいいのだろう、これは、と心の中で反芻しながらもう一度モンゴルの草原を見、全体をぐるりとみまわし、ギャラリーを後にした。
すずらん通りをぷらぷら歩きながら、そのときの苦し紛れか、忘れてしまうことを肯定できるような考えが咄嗟にうかんできたのだった。

ああ、私は今ここでしたようにいつでも歩きながら、あるいは少しだけ立ち止まってこれから何度でも絵を作品をみるだろう。大事なことは過ぎ去りながら(歩きながら)私は今これを見ているというという事なのだ、と。
その咄嗟の考えは経験と共に経過する時間をひしひしと感じさせた。まるで今現在の中で今現在がビデオテープ再生されているような、今の中に今がまさにあるような感じを見つめて、ああ、覚えていられないのなら、この今を慈しむのみだ、と思った。
その思いつきに少しだけ安心してギャラリーを後にした。

4.
ある時彼女は盲目の人たちが月について語っているのを聞いたそうだ。「お前、月ってどんなだと思う?」「えー、おれはね、月ってのはね、、」といって、見た事のない月について楽しそうに語っていたという。私は彼女と割と頻繁にメールのやりとりをしているので、そのときもすぐに今日あった素敵なことの報告、として教えてもらった。友達でいるということはおそらく、素敵に思う事の種類が似ているというか、すてきでしょ?って言われたときの同期率が高いことなのではないかと思うのだが、そのときも、まるで自分が得た素敵出来事のように、おお、それはとっても何か気になるすてきなことではないか!と思ったのだった。その後何度か彼女がその盲目の人たちの月のことを話したのを聞いた気がする。そのことは彼女にとっては深く感じ入る出来事だったのだと私はそうやってどこかで知っていた。
その日、ルドンについてひとしきり話した後、帰路につく間にも彼女自身がルドンを見た体験を書く事やそれを世界に投げ出す事などについて考えていたのだと思う。電車でメールをやりとりしていて、この盲目の人たちの月の話が久しぶりに彼女からでてきたのだった。もっとも、私にとっては久しぶりだけれども彼女にとってはいつも脇に持っていたことかもしれない。
「めのみえないひとがさ、おまえにとって月ってどんな?と語り合ってたそのことはわたしにとってすごく大事。みんな盲目。あなたにとってこれってどんな?っていつも聞きたい。何も確かなことがないから、確かな手触りが欲しくってあなたにとってどんな?」

5.
あああ、そうか。「それ」が繋がる先はそこであったか。
数年間持ち続けた盲目の人たちの話す月のことが、現在彼女が作品に対峙すること、またそれを文章として発表する時の大切な鍵として現れたのだ。メールでのたわいのない会話ではあったが、それはまるで繋がった形の側から知らせを受けたように思えた。私は電車の中で感動した。全体を見る目とそれが向かう先の形、彼女の形。
もちろんそれは彼女の前にも姿を現し、彼女に何かしらの確信を与えたはずだ。けれども彼女に見える形と私に見える形は少し違うかもしれないと思う。私に見える形は彼女の見た形と似ているのではなく、むしろ、彼女がルドンのグランブーケからルドンの全部を受け取って感動した、という時に見いだしたルドンの形というものにに似ているのではないかと思うのだ。

2012/01/11

バレエ体験

近所のバレエ教室に体験レッスンをうけにいった。
一年の計は一月にあるのだ、思い立ったが吉日だ。

とんで、伸びて、けって、伸びて、しゃっ、しゃっ、しゃ、、??
手と足とばらばら
自分はなにしてんだか、まとまらない、頭はなにしてるのか、
身体の実感を持つ前に次にいく、記憶ができない、見てまねてみてまねて、気づいたらまねられてなくて、よ、よろける。。

でもなんか楽しかった。
子供みたいに楽しかったし、子供みたいにも人見知りした。

先生はベランメエ調の江戸っ子、顔立ちはハーフみたいな細面の美人なのに、すごく口が悪くて、半分面白くて半分こわかった。
でも、前に一度いったことのある体験レッスンよりもたのしかった。

今日覚えられたこと、
一方の足の裏でもう一方の足首を掴む、みたいなやつ、名前は忘れた。
あと、
フォンデュっての。チーズフォンデュとかチョコレートフォンデュと同じ、とろけるって意味よ、とろけるようにね、といってた。
両足一回曲げてからいっしょにふわってのばすやつ。
あと、そうだ、
一回地面をふんでから飛ぶ、飛んでつま先のばしてから着地の形に戻るっていってた。
それから、
足のばしてつま先立ちしたあと戻ってくるときは太もも、ひざ、かかとの順にくっつけながらっていってた。

あとはいろいろ言ってたけど遠くにいってしまった。
あのこわい先生の元で楽しくできるかな。