2011/10/26

62年前のおばあちゃんと私

真夜中に風呂で歯を磨きながら、おばあちゃんの少女時代を思ってみようとする。
像はむすばない。

おばあちゃんにもこんな時間があっただろうか。
真夜中に風呂で、34歳。

おばあちゃんが母を産んだのは34歳ではないか。
96歳のおばあちゃん、引く、62歳の母。
62年前のおばあちゃんは34歳で、あと一週間足らずで35歳になろうとしている。
子供は7人産んで、男の子ばかり2人なくなり、末の女の子が7月に産まれたところだ。
まだ3か月だ。
けれども、きっとせっせと働いている。今日も宴会があっただろうか。料理して、沢山刺身をさばいて酒を運んで笑顔でお客さんとしゃべっただろうか。

夜中に風呂に一人で入ることなんてあっただろうか。
そうして、遠くの誰かに想いを馳せたりすることもあっただろうか。

ないとは、言えないのではないか。

2011/10/22

おばあちゃん、熱がさがってにこやかだという。黄疸と敗血症はあるが、抗生剤を打つと熱がさがる。

母と相談して明日は行かないことにした。

抗生剤を打つと熱がさがって危機を脱する。
じゃあ、抗生剤を打っても効かない時が死んじゃうときなの?
それは、くるしいんじゃないの?
死ぬ時はくるしくないといいよね。
でも熱がでてくるしくなったら抗生剤の処置をしてまた少し楽になって、死から遠ざかって、、どうなるんだろうね、

と、母と話した。
母は電話を切る時にありがとね、という。こないだもだった。そっか母にとってはこれはありがとねってことなんだ、私にとってはおばあちゃんの死は自分のこと、自分にとって大事なこと、もっといえば、自分の興味である。

興味。

ずっと言葉にしていいか迷ったけどそうなんだ。
私は生から死へ人が移り変わる様をみたことがなくて、それをみたいとおもっている。大切な瞬間としてそれを目撃したいとおもっている。自然現象のひとつとして、誕生の瞬間を見たいのと同じ様に死の瞬間をみたいのだ。

「海獣の子供」中では、遠くの海から魚たちが好奇心をもって「何か」を見にくる。

子供のころ、おばあちゃんがいずれ死んでしまうことを知ってどうし様もなく悲しくてベッドでしくしく泣いた時からおばあちゃんの死は私のなかにずっと埋め込まれている。

私は、見たいんだ。

おばあちゃん、そんな私でもいいですか。

2011/10/21

この2、3日が山だという。

山?

山をこえればもう少し、という意味らしいです。
でもよくよくきくと敗血症と黄疸がでてるし、この2、3日が山で、、、という言い回しになる。

敗血症も黄疸も、初めてでるものです。
これらがでるとお迎えまでが近いみたい。

阿弥陀様、スタンバッてるの?

おばあちゃん、どんな山を登ってるの?
大変な山だねえ。山というからには頂上は晴れやかで気持ちいいといいなあ。

明日は用事があるので、あさっていってきます。
迷ってる母に、日曜に行こう、と言った。

明日、なぜ行かないのか?
今週もずっと考えてた。会社休んでずっとついてることだって、ほんとならできる。
なぜしないんだろうと。

答えはでてないんだ、なんか考えたんだけども。

明日は保坂和志さんと高橋悠治さんの対談に行ってきます。
夜はがくちゃんと私の誕生会をなっちゃんがやってくれます。

私は、本当はおばあちゃんはおばあちゃんのお誕生日までぜったいに生きていると信じてる。
私はおばあちゃんに届くように言ったから。私のお誕生日を祝ってね。おばあちゃんのお祝いしようね、って。

おばあちゃん、日曜日に会いにいくから、山のぼり、がんばって、応援するから。
会いたいよう。

2011/10/19

とびうおのすり身スープ

寒くなってきた。
遅くに帰宅しても暖かい汁物が食べたい。
ビールだけでは寒いから。

こんな風なのができた。

--

1.梅干しのたね(すこし肉がついた状態)を水に入れて火にかける。
  煮立って来たらしばらくことことにる。(だしをとるイメージ)
  この間にわかめ(乾燥なので)を戻しておく。
  卵をとく。 
 
2.解凍したとびうおのすり身を適当な大きさにして1にいれる。

3.2に酒を入れる。

4.水気を切って刻んだわかめを3にいれる。

5.味をみる。梅干しからでた塩気がちょうどよければそのまま仕上げに、
  濃ければ水をたして、うすければ少し醤油をたす。(今日はそのまま)

6.卵を5にほそく入れてかき卵にしてできあがり。

--

思いつきだったけど、梅干しでつくるスープはとてもおいしい。
梅干しとタンパク質は結構あう。
うどんのスープとしてもいけるかもしれない。その時は卵はおとすだけかな。
佐渡通いで叔母が持たせてくれるとびうおすりみ。ふわふわ。

--

追記:あたたかい飲み物でもうひとつ。夏につくったうめシロップにショウガ(チューブでもすりおりしても)をいれて濃いめでお湯割りにするとうめネードって感じ?になってお店でこういうのあったらな〜という飲み物になります。

2011/10/17

あちらにいくひとに

いい言葉を思い出した。

お迎えがくる

という言葉。
なんだかいい言葉だなあと思った。
あたたかい響きに、聞こえるじゃないか。

2011/10/15

三回目

火曜日に三回目のドクターとの面会があるという。
午前中にレントゲンをとって午後にお話がある。そうしたらあとどれくらいかというのがわかる。
三回目のお話があるのは、もうすぐだということなんだって、おばちゃんが近くの部屋の人かとかにそういわれたって。

母から電話があった。

おばあちゃんは今日も熱を出して注射でさげたんだって。
かなでみたくずっとマッサージしてあげられる訳じゃないからもう足は
パンパンだって、顔にもむくみがでてるって、

って。

2011/10/13

おばあちゃん4

うちのおばあちゃん、もうすぐしんじゃうの。

って、
何度も言った。
言う度に自分もどきっとするし、きっと聞いた相手もどきっとする。
いろんな言い方ができるけど、祖母が死に向かっている状態を「あぶない」とか「悪くなってる」とか「だめかもしれない」「終わる」とか、表現しようとすると、その前に口と頭がとまる。「あぶないってなにが?いのちがなくなることはあぶないことなのか?」「死はだめなことなのか?」ともやもやしてしまう。わからなくなってしまうから、一番そのままの表現をつかうことになる。

もうすぐ、しんじゃう。

自分にも言い聞かせるように、つかう。

---


10月の連休。
一日目は夜着いて、数日前から来ていた従姉とおじちゃんおばちゃんと外食する。
おばちゃんは私たちにおいしいものをたべさせてあげたいっていっつも考えてくれる。オムライスもピラフもクリームスパゲッティもキノコガーリックいためもとてもおいしかった。
オムライスなんて卵がとろっとろだった。
20:00に病院について、0:00までパンパンにむくんだ足の水を上に押しあげるマッサージをした。
おばあちゃん、高栄養の点滴に変えてからむくみもなくなって肺の水もなくなってよくなったのだけれど、早くも高栄養に身体がなれて、またむくみ始めたのだという。

一週間前に見舞った姉が父に話したところによると「あれは延命措置だね」ということだそうだ。姉は医療関係者なのでそういう風なこともみえるのだろう。

いつか、息をしなくなって、皮膚が変化して、血液がめぐらない状態になる時がくる。
そうして、死に移行していく。
でも、今は本当に生きている。暖かくて、血液が本当に末端まで流れていて、皮膚はつやつやしている。手を握るとはなさない力があって、背中がかゆいって感じる感覚があって、むずむずしてたり、不快はことはいや、恥ずかしいことはいや、それに、おばあちゃんだから私は彼女からみたら年少者なので、いたわりの対象として、「ありがとう」「もういいよ」みたいなことを言っているようなときもある。おばあちゃんの世界を想像する。

1日目の夜はほとんど寝なかったようだ。私はおばちゃんが作ってくれた病室のベッドと壁の狭い幅にあわせたふかふかの布団で熟睡してしまった。

2日目は朝から身体の手入れをして、午前中からマッサージを開始した。昨夜一生懸命やったつもりのマッサージは全然効果がなくてほぼ元通りになっていた。なので、今回はやり方を変えてみた。マッサージというよりは振動を足に与える。指先をぎゅっとにぎって、横に、縦にぶるぶるさせる。フェルデンクライスで親指を前後に動かすと身体全体が緩むという方法を参考にしてみた。足先の力を抜いてもらって、骨からほぐして、それから筋肉も使うしストレッチにもなると推測。これがよかった。パンパンに水がたまってしまった状態はぶよぶよだけれど詰まった堅さがあって、この堅さを柔らかくして、動く水にする。動く水になってから徐々に足首、ふくらはぎ、膝うらまでもっていく。一つの足に2時間以上かける。この方法でやってみたら24時間たっても水の溜まりは足首部にわずかで押さえられた。

おばあちゃんは目を手が自由になると点滴の管を外そうとするので、一人の時、夜の時はミトンのような手袋をする。
けど、一緒にいるときは外してあげることにしてる。マッサージしてる間も隙あらば手を首の方へ持っていくので、私はわらって、おばあ〜〜〜ちゃ〜〜ん、といって手を押さえて握る。それも観察してたら、はずそうとしてる訳ではなくて、かゆいところを掻きたいのかもしれないと思えて来た。「掻いてもいいけど、この管はぬかないでね」とおばあちゃんに言った。おばあちゃんはだって、ほんとはいろいろわかってるから。お願いしたら聞いてくれると思う。

お口の掃除をしてた時、お口あけてっていうのを私が自分の口を大きく開けてみせて示したら、おばあちゃん、手を私の口の方に持って来たから、ふざけてパクって咬もうとした。そしたらぱっと手をひっこめる。私はうれしくなって、アーン、パクッ、の遊びをなんどか繰り返した。なんだか元気じゃない。

2日目の夜のことだ。
一日中病室にいるとこちらの身体もなまってくるので、夕食のお弁当を外に持っていって食べようと思って、おばあちゃんに「お散歩言ってくるね」と声をかけて出かけた。
海が見たいなーと思って、港方面へ歩く。
すぐに海にでたけど、そこは漁船の停泊地で、初めてそんなところをまじかにみたのと、夜だったのもあってものすごい迫力というか、今使われている漁船の醸し出す感じが恐ろしくてここではお弁当は無理だ!と思った。海の中にコンテナ?みたいな丸い何か化学的なものを貯蔵しているような建造物があって、波は静かで、月が高いところにすこしだけおぼろげてみえた。そこを去るために歩く道も倉庫の間の道で、真っ暗で、すごく怖かった。商店街を曲がるといつもの道なんだけど、これは散歩だから知らない道を行こうと思って一つ先を曲がった。すると、道が斜めだったのか、なかなか病院に出そうな道にでない。不安だけど、楽しくもあった。10分やそこらでこんなどきどきするって東京ではないなあ。ふと気づくと左手にかわいい教会があった。両津教会とかいてある。明治12年に建てられ、16年に焼失、20年に再建されたと書いてあった。とてもかわいい教会。
教会をすぎるとやがて見た道に出た。こっからはわかると思ったけどショートカットしようとしたのがいけなかった。真っ暗な道、片側が森、向こうからおじさんがあるいてくる。こわい、、ほ、なんでもなかった、ゴミ捨ての女の人がいる、なんかこわい、やこれもなんともなかった、、というのを繰り返し、どうもこの道は違う、病院から遠ざかってるぞ、と判断して引き返す。

そんなこんなして病院までもどったのは19:30をすぎていた。でたのは18:50だから結構なお散歩をした。いそいでおべんとを食べて、病室に戻った。

ただいま!といったらふわあっとわらった。
おばあちゃんに顔を近づけると私のネックレスを掴もうとした。元気だとおもった。

ひととおり、身の回りを片付けてからおばあちゃんの手袋をはずしてあげようとした。
はずして持った手は熱かった。そして、その瞬間だった。私の手がとても冷たかったらしく、とても嫌な顔をして手を払いのけた。私の手を払いのけてすぐ、ふとんんお端をがしっと握り、上へひっぱりあげる仕草をした。そんなこと初めてだったので、私はびっくりした、手がぶるぶる震えている。怒ったのか?何かが急におばあちゃんの中でかわった、必死の形相という感じだった。震えてるし、布団を引き上げたのだし、寒いのだ、と判断してみよう。そう思って、布団をきちんとかけてあげて、手を布団の上から握った。ちょうどすぐに看護婦さんの来る時間だった。手が震え、息が荒くなった。
うちの母がつくった看病のひまつぶしにつけるひまつぶしの日記というのがある。入れ替わり立ち代わり看病した人がその日の様子を綴っている。そのノートを読むとおばあちゃんの状態変化がわかる。以前の記述で、手が震えていると熱がでると書いてあったのを思い出した。

しばらくすると看護婦さんがきたので、震えてるんです、というと熱がでるのかもね、とやはり言われた。その時は検温しなかった。まだ、熱がすごくあがってるわけではなかった。痰を吸引してくれた。その看護婦さんは吸引がとても上手だった。
吸引したら息が楽になったのか、すこしうつらうつらし始めた。
看護婦さんは11時頃またきますから、と言ってでていった。

熱がでるにしろ、むくみは回避!とおもって足をもみもみゆらゆらして、五本指ソックスを履かせた。自分用に持っていってたけど、熱がでるなら五本指貸さねばきはいいのではないかと思った。マッサージしてるとき、膝のうらをさわるととてもとても熱かった。

11時すぎた頃、また息が苦しそうになって、おでこを触るとあつい。
看護婦さんよんでこよか?と聞いてみる。
看護婦さんは見回りを端からやっていて、もうすぐこちらにくるみたいだった。
呼びにいって、やっぱり呼ばずに戻って、でもやっぱり戻ったら呼びにいかなきゃと思って部屋をでたらちょうど看護婦さんがいた。
熱が40℃あった。
熱冷ましの注射、アイスノン、痰の吸引。
それから三日でてなかった便もたくさんでた。
でも、看護婦さんは冷静でおばあちゃんに優しいので私は安心できた。アイスノンは40℃もでたら三カ所くらいひやすんだけど、手足があつくないから冷やしすぎもてえそ(つらい)だろうからね、一カ所だけにしとくね、といい、ふとんは一枚に、先ほどの靴下も脱がしたほうがいいといわれてぬがすことにした。
熱が放出される準備。多分、汗をかいて、とかじゃないんだ。

1:30 頃、38.8℃。
5:30に36.4℃、

9時過ぎは35.8℃までさがって下がり過ぎ。
血圧も80/40、心配になる。けど、看護婦さんは意識もしっかしりてるし、薬の影響は血圧とかにあるから大丈夫といってくれた。
私も大丈夫な気がした。顔が全然ちがう。熱が出てる時のおばあちゃんは昔びっくり人間みたいな番組でテレビにでてた「くしゃおじさん」みたく、上下がくしゃっとちぢまっていた。今、元通りというか、すっかり上下に伸びていて、口元など、いつももぐもぐしているのにそれもなくて力が抜けきっている、いい意味で。呼吸もずいぶん楽そうだ。肌にもつやが戻った。

昨夜はとにかく熱を戦って疲れたのか、この午前中はずっとずっと熟睡していた。熟睡とそうでないうつらうつらの眠りの違いは、うつらうつらの時はマッサージを気持ち良さそうに受けてくれるけど、熟睡中は反射で足に触る手を離そうとする。そういえば、熱が出てる時の足首や足指はギュっと堅く結ばれて揺らしても力が抜けなかった。今はゆるゆるしてる。

12:40の船にのるので、12:00におじちゃんが迎えに来てくれた。

今回も、眠っている顔をみて、病室を後にした。
帰る前、おじちゃんをまっている最中、一瞬目をさまして、すっごいビッグスマイルをくれた。(ありがとうおばあちゃん)
すぐにまた熟睡の中に戻っていった。

2011/10/02

おばあちゃん3

9月の三連休にいったときのことを書いておこうと思う。

高栄養の点滴に変えたのがよかったらしく、酸素、体温、血圧ともに良好。むくみもだいぶ引いていた。呼吸もくるしそうではない。夜中、眠れずにベッドの柵に手をかけておき上がりたいような、上半身を浮かすようなそぶりをみせる。はらはらしたけど、私は眠った。
おそらく、体位変換、おむつ交換をしてもらえなかったために不快なのではないかと思った。ごめん、おばあちゃん、私にはできない、し、看護婦さんが来た時にはおばあちゃん眠ってたから看護婦さんはおこしちゃいけないと思って多分おむつ交換しなかったんだと思う。こういうの、何が一番かわからない。
それで、私は罪悪感とともに眠った。

朝、6時くらいに来てくれた看護婦さんがおむつ交換と体位変換をしてくれた。気持ちよくなったのか、それから寝始めた。
病室は東側に窓があり、海から登る朝日がいつでもきれいだ。
私も二度寝にはいった。
8時前にやっと起きて、おばあちゃんの様子をみたり、着替えたりする。
9時に看護婦さんがやってきて顔を拭いたり痰をとったりしてくれる。
看護婦さんがいったあとが、朝のエステタイム。暖かいタオルで顔をおおったり、首筋を暖めたり、気持ちいいと思うからやるんだけど、おばあちゃんは意外と嫌な顔する。眉間に皺をよせる。いやなのかなあ。あと、手足を暖めてマッサージをする。
それでだいたい11時くらいになる。

おばちゃんから電話がかかってきた。
夜ごはんにつれていけないから昼ごはんに外食しようという。かなちゃんの好きそうな店だよ、ママもこないだ連れてったら気に入ってたよ。と。

妙生庵という民家を改造したとてもすてきなカレーやさんだった。スロースード、エコ、ベジタリアン、というキーワードの似合いそうな。豆のカレーと、ナッツのぎっしり詰まったケーキとコーヒーをいただいた。
稲刈り中の田んぼの見える二階の席だった。正月館(うちの屋号)の稲刈りは先週、台風の前日に終わったという。台風の前と後では収穫量が大分違うから本当によかったねと話した。

13時半くらいには病院へ戻って、またベッドに登って足マッサージなどした。おばあちゃんは起きたり眠ったり。
二日目だったので身体がなまってしまって、お散歩にいきたいな、おばあちゃんが眠ったらいこうかなって様子をうかがっててもなかなか眠らないので、
「おばあちゃん、私、お散歩にいってきていい?このマッサージおわったら行って来てもいい?」ときいたら、うなずいた(ように見えた)。その後マッサージしてると「早くいけっちゃ」といったのか?わからないけどそう聞こえたので、「じゃあ行ってくるね、すぐ戻るからね」といってでた。病院の横に鳥居があってその神社がずっと気になってたのだ。神社は草ぼうぼうで静かだった。ご挨拶して、ストレッチして、となりの公園にあるブランコでしばらくあそんだ。五時半に戻った。

それからまた手を握ったりおばあちゃんの顔の側で歌を歌ったりしてみた。大声じゃなくてもきっと聞こえるとおもって小さい声でうたったけど、どうだったかなあ。
だいたいおばあちゃんも私も共通してしってる歌なんてあるのかわからない。私の持ち歌(童謡)はおばあちゃん、知ってるのだろうか?わからないけれども、海にまつわる歌、ヤシの実とか海はひろいなとか、思いつくままに歌った。おばあちゃんは特に反応しなかった。上を向いて歩こうを歌いだしたら、私は涙がでてきてしまった。おばあちゃんを思ってか、自分を思ってか、あの歌は涙を誘う音階だからか。
それから、おばあちゃん、ありがとね、だいすきだよ、といった。
多分、聞いてくれたと思う。

夜になってカーテンの隙間から星がきれいに見えたので23時頃、おばあちゃんが一瞬ねむった隙に外へでた。満天の星空だった。流れ星、ちいさいの2つと、中くらいの3つ見た。天の川がかかっていた。くらい道ばたに体育すわりして、両側から虫の音にはさまれて見上げた。

その夜もおばあちゃんはあまり眠れなかった。
同じように、朝になって眠り始めた。
11時半におじちゃんが迎えにくるまでさすったりマッサージしながら、病室を掃除して(その夜は母がくることになっていた)清潔にして部屋をあとにした。

おばあちゃんの顔をずっとみてると、本当に美しくて、つぶったまぶたによった細い細い皺が本当に美しくて、私はこの美しさを覚えていたいと思った。細い面相筆じゃないとかけないような皺。顔の皮膚がうすくてつやつやで、細部まできれい。この人はきっとしあわせだったと思える。
ほとんどしゃべることも声をだすこともできないけれども、ときたまうれしそうに笑う時の顔が、昔と全くかわらない。びっくりしたように目を一度みひらき、口もとが笑う。