海外に行ったからってなにになるわけではない。と、長いこと考えていたけれど、行くことにした。だまっていようとおもったけど、ついに人にそのことを伝え始めた。
私はいま東京で暮らしている。特別なことはなにもない、ただの暮らし。私はそれを愛しているといえる。
一人で日曜にゆっくりおきて、お風呂に入り、部屋からの景色は素晴らしく、とても心が穏やかになる。長いことこうして暮らしてきた。幸せだった。
だから、海外に行こうと思った。
海外でただ暮らすことをしたい。
何かになりたいわけではなくって、なにものかとして成功したいわけじゃなくって、刺激を得たいわけじゃなくって、暮らす場所を変えて暮らしてみたい。生きていかなきゃならないから、必要なものが変わるだろう。
がくちゃんが、こないだいってたこと、
アートを人生の犠牲にしてはいけないんだよ、人生があってそのなかにアートもあるの。
私は聞いたときなるほどとおもったし、がくちゃんらしいなとはおもったけど素直に素晴らしいなあ!とはおもわなかったんだ。同じ思いに至ったというのとは多分ちがうんだろうけど、わたしがこうしてただ暮らしたいという考えに自覚的になったら、この言葉が近寄ってきた気がする。
それから、友達がくれたオスカーの文章にあった、何かになりたいと願ってる人はもれなくそれになれるけど、そうでない人はその人自身になれるという言葉。
世の中のことをわかった、と思えなくてうろうろしているなりに、やってみよう。この世にたくさんいるいろんな人のうちのひとりだから、これで多分いいのだとおもう。
手放し難いのは窓からの風、風景、光の移り変わり、あれらはこの十年間わたしの財産だった。