2009/12/20

寒波


大陸は澄み切っている。
海の上に水蒸気がたまって流れる。

2009/12/13

遠くの定まった一点について

友人は私にとってはとても大切で、私は本当のところ、恋愛というものがそれと比べてどうなのかというのがよくわからない。
いや、友人だから大切、恋人だから大切、家族だから大切、という線引きの意味はよくわからないと言った方がいいかもしれない。つきあうとか結婚とかそういうものにすっと入り込めないのはわからないという気持ちが強いからなんだけど、そして、人と話すとそれがあまりにも自然に行われてることに不安になるのだけれど、きっとそれはどちらでもいい事で、その人たちにとっても私にとっても同じに言えるのは、人が他人と関係を持つということはなんて尊いことだろうか、ということだ。

先ほど友人のブログを読んで、私は、書いてある内容に近いことを彼女とメールをかわしたのにもかかわらず、涙が流れてしまった。
言葉について、そして、遠くの友人について。

今年の五月に私は里親というものになった。
チベットの少年ロサン・ティンズィン君。
中学校に通うためのお金を振り込んで、一度だけ手紙を書いた。日食が見られるね、という話と、日食眼鏡を送った。言葉は中国語のできる友人に訳してもらった。
10月に、彼の写真と、里親活動のNPO団体からの手紙がきた。ロサンくんは写真を撮ったあとすぐに、カミナリに打たれて亡くなったという。

知らせを受けた時から今まで、彼が生きている事と、亡くなってしまったこと、その違いについて私はあまりうまくイメージすることができなかった。
ただ、チベットという名の知っているようで知らない、風景も位置も正確に思い浮かべる事もできない抽象的な距離の遠くの向こうに、自分が関わりをもった一点がある。それが、場所も時間も、カミナリという空と地上の間に電気が走るイベントによって固定されたような、そんな一点のイメージだけがある。そしてその抽象的な一点に私はロサンくんの死という名前をつけているかもしれない。

なぜ涙がでたのかは本当にわからない。
悲しい、というのでもない。
けれど、彼女の言葉が時空を超えて、遠くの誰かに届くことをとリアルに思った瞬間、私が彼に向けて差し出した、ものすごく曖昧で自分でもなにをしたかったのかわからないことも届いたと思ってもいいのかもしれない、と思った。

2009/12/12

現象

今日もまったくはじめて見る雲と太陽の光だった。ぼやけて太陽が二つあるような潤んだ空とくっきりした空が全体では融合していた。
あの、空と雲と太陽のすばらしい映像をみるといつでも思う。

太陽はいつも通り動いてるだけ。雲もいつも通りうごいているだけ。なのに、私たちはそこに平凡も特別も見いだしてしまう。日食もそうだ。

私はそのことが本当に不思議な感じがして、そういうような、いつも通りの動きがこころを動かしたり動かさなかったりするという当たり前の仕組みみたいなものをなんか、やってみたいなあと思うのだ。

2009/12/10

歯を大切に

今日は歯医者だった。
この間、梅のおやつを姉にもらって食べていたら奥歯のつめものがとれて、しかもとれたところは虫歯っぽくてあわてて歯医者にいった。それで虫歯の治療と新しいつめものをつくってもらったのを今日、入れた。

今日は入れるのと、歯のお掃除をした。
「これ、新しい機械だから馬力がありすぎて結構ひびくし痛いのよ、ちょっとずつやるけどどうしてもいたかったら左手をあげてね」といわれた。おお〜ぅ、とうなるくらいの高音が響いた。なんでこんな高音がでるのだろう。歯医者の痛みは「ムーたち」にでてくる方法で身体の別の場所に移動させる練習をするチャンス!と私は本気で思っているので、今日もそれを試みた。けど、すっごくいたかった。。

歯医者さんは美人でやさしい。いくつくらいだろう、40代かなあ?
女の人はえらいのよ、男の人なんてホントに恐がりで小心者よ〜、女の人は頑張り過ぎ。
とか、
若い人は大変よねー、老人は元気だもの。優先席とかいって、若者優先席を作るべきだと思うのよ〜
とか、にっこりしていう。
マスクをしているから目しか見えないんだけど、私の行く夕方でも疲れなんてぜんぜん見えてなくて、アイメイクが綺麗でいつも見ちゃう。

私はちょっとしそーのーろーぎみで、もっとちゃんと手入れしておくべきだったんだけど怠け者で歯医者にはいかず、歯磨きもここ一年自分の中ではがんばったけどあまりよくならなかった。
けど、今日歯医者さんが「お世辞じゃなくって本当に歯並びもきれいだし、歯槽膿漏ってあるところまで進んじゃうとそれ以上よくならないっていうラインがあるけどあなたのはお手入れしてけばぐっともちなおす程度のものだし、とにかく日常のお手入れをきちんとして、年に何度かは歯医者にきてってやってれば一生自分の歯でご飯を食べられるから。」と言ってくれた。

先週からフロスを使い始めて、ああ、ようやく一人前、ランチ後に歯磨きするOLにもやっとこさ、なれた。
OLの習慣も捨てたもんじゃないなっていうか、やっぱり見習うべきことだった。ちゃんと続けられるかな。

2009/12/07

ぴりり

甘すぎるかぼちゃのスープができてしまった。いかんせん甘い。チーズを入れてみる。濃くなるだけ。

んー、カレーかな、と思う。
探してみる。

手がカレーに届く前にぴいばちが目に入る。
これこれ。ぴったし。

ぴいばちは沖縄で買った香辛料。いろんな呼び名があるみたいだけど、わたしはぴいばちとよばせてもらってます。

2009/11/26

インカのめざめ

何を思ったか、成り行きで凝った一皿を。

大家さんからもらったねっちりおいしいインカのめざめと、失敗分離したマヨネーズを別のソースに仕立て(タマネギ、にんにく、りんごをすりおろして加えた)て和え、インゲンのオイル漬けを刻んでまぜたらオイリーなポテトサラダになったのでそうだ、焼いてみよう!とおもいつきオーブンへ。

ベルギービール屋さんとかで出てきそうな味になりました。

でもビールがないので赤ワインです、今日は。この間飲んだ巨大ヒューガルデンとか、あいそうだよ〜♪


2009/11/12

今。

私には執着すべきテーマも、考えるべき問題も、ない。なくなってしまった。手の中からするりと、消えた。はじめからなかったかのようだ。どんな問題意識も、嘘に思えてくる。それでも、何かやりたいという気持ちをかすかに感じている。何がやりたいのかはわからない。見えない。

そうはいっても私はよこしまだ。ずるいとこがある。スマートでいたいと思っている。私の大切な人たち全てに良いように思ってもらいたいという考えがある。
ほめてほしいと思っている。

そこから一回でれたらいい。
はずかしくてもダメダメでも、そのよくわからないものを無理にでもやってみて思い知ったらいいんじゃないかと推測している。そしたらあっぱれ、すっきりするんじゃないかと。自分がやらないことを自分でやらないと。オオエルの格好だって、女っぽさだって、自分のやらないことだったけどやってみたらそれなりに血肉になった。いや、もともと血や肉だったものを初めて自分の中にそれと認めた、というか。恥ずかしくてもほめられなくても稚拙と言われてもいいから、この何なのかよくわからない欲求をどうにか出してみてはいかがか、と今、思う。

2009/10/28

32-33

32歳、最後の食事をたった今とったところ。
母がつくったカボチャスープだった。
土曜に作ったものだから本当は捨てようと思ってた。結局食べられなかったな、と。
けどさっきお腹が減って来て、おかしをたべようと思ったけどちがうなって思って、冷蔵庫からタッパーの蓋をあけて、鍋に移してミルクを少し足して火をつけた。
ほんのりやばいかな、という気配があるもののなんの、火を通せば大丈夫、だめなら残してもいいんだし。
沸騰させてあつあつのとこ、結局全部たいらげた。
甘いスープ。
どうやってつくったんだか、私の方がぜったいにおいしく作れるし、洗練されてないけど、やっぱり私はこういうのを愛情と呼ぶとしんじてるところがある。
母が愛情を込めている、という意味ではない。
私からみたら適当だし粗雑だなあと思うし、なんでそんな風にしちゃうんだろうと批判めいた目でみてしまうやり方も母にとってそれは普通で、どちらかと言えば丁寧にやってて、よくできたでしょう、みんなさあ食べるわよ!という勢いのもの。当たり前のこと。この中になぜか愛情がある。うれしくないのに、勝手に心があたたまっちゃう。まったく。おばあちゃんのコロッケも、おはぎも愛情。愛情はおいしいとは限らない。おいしくなくても嫌いと言って残してしまえない私の気持ちはその中の愛情に対しての礼儀、、、なのかなあ。愛情は才能に左右されない。うつくしくもないかもしれない。うちの母は繊細じゃないし、味のセンスもいまいちかもしれないけど、おいしいおふくろの味をつくるどこぞのお母様とやってることはちがわない。さて、この愛情は母の側にあるのか、私の側にあるのか。
と、考えて、間にあるもののような気がして来た。私も母も「わたしの愛情」というものは所有していなくて、私と母の間にあるのが愛情、なのかもしれない。これは今の今、思いついたこと。全然わからないけれど。別のもっとふさわしい言葉があるかもしれないな。

さて、書いてるうちに0時を回ったので、32週目無事終了です。33週目に突入です。

なにも思い浮かばない、いままでになくほうけている。
そうだ、日本に最初に英語が入って来たときに、loveは愛じゃなくって大切、って訳されたっていうのを最近どこかで読んだ。

大切、のあたらしい意味とか方法がわかる一年が、はじまりますように。こころから。私さんの為に。

2009/09/30

ゆめのくに

2009/09/27

つくってもらったもの

友人がつくってくれたサラダのレシピを忘れないように書いておく。大切にしよう。

以下、食材を下ごしらえするごとに和えてゆく。

・トマトを湯向きして一口大に切る。
・クレソンを一口大に切る(茎も)。
・なすを丸のまま網で焼いて火が通ったら皮を剥き、一口大に切る。
・ニンニクを2ミリくらいに切って油で揚げる。
・ニンニクを取り出したフライパン(油が入っている)を熱して、お酢をジャッと入れる。ジャーっと言ってものすごく飛び跳ねるけれどひるまない。酢のすっぱさをここで飛ばしてしまう。そこに醤油、砂糖、塩を入れる。砂糖は結構入れてよい。このタレに牛肉の薄切りを一枚一枚いれてしゃぶしゃぶのようにさっと火をとして上記のまぜあわさったサラダの上にのっけていく。レアがよい。すき焼きの割り下でしゃぶしゃぶするイメージ。
・最後に、のこったタレをサラダ全体にまわしかける。

出来上がり。

彼岸すぎ



2009/09/26

あかいおちゃ

2009/09/25

見えざるもの。

よく、無意識を耕す、というけれど、それと関係しているかわからないけれど、
昨日よんだGINGERの佐藤優のページに、中世哲学の見えるものと見えざるものについて書いてあった。例えば、信頼というものは見えざるものである。佐藤優は犬と飼い主の関係を書いたが、どのような関係においても信頼という見えざるものは両者の心の中だけで勝手に形成されるものではなく、見えるもの(例えば言葉、行為)を通して形成されるのだろう、と思った。見えるものを使って見えざるものをたがやし、形をととのえてゆく。
私は見えるものをそのようにして使っていきたい。しかし、その欲求が強すぎるのだ。
人にもそれを求めてしまうけれど、人はいろいろで、時期や状況によってフェーズも違う。だから見えざるものが快適なベッドではなくなってしまったら、しばらくはその見えざるものを見なければいい。

見えざるものを凝視してはいけない。それは見えないのだから。

2009/09/20

旅から帰ってきたような

少しずつ離れていく感じ、少しずつ自分だけの生活に戻っていく感じ。
何かに似ていると思った。

例えば、海外旅行から帰ってきたときの感じ。
海外でお世話になった人たち。食事して、お酒を飲んで、散歩に連れて行ってもらって、知らない国での不安に寄り添ってくれた人たち。私には遠くに大切なものができた。人も風景も時間の流れ方も。けれども再びふれあうことはしばらくはない。もしかしたら、一生のうちにもう一度くらいは会えるかも、でも約束はしていない。途切れたわけじゃないし手紙だってメールだってだせばいい。遠くでかすかに、お互いをおもいつつ、今目の前にあるのはここでの生活。それを旅先の生活を比べて不幸とか幸福とか呼ぶことはない。ここでの光があって、あちらでの光がある。

そんな感じ。

長い長い旅から帰ってきたようなそんな感じに、
似ている。

2009/09/18

2009/09/17

見上げた

2009/09/15

靉光

なつかしい顔に遭遇した。この自画像を見ると思い出す友人がいる。17,8の頃。

2009/09/13

マヨネーズ



こないだ、米沢亜衣さんの「イタリア料理の本」を見てマヨネーズをつくってみた。
オリーブオイルがよくなかったのか、なんとなく苦みばしったマヨネーズに。とはいえ特別なソースの味はした。もう一歩だったので、今日は二度目の挑戦。参考に高山なおみさんのレシピも見てみる。

おお!全然分量がちがう!!

高山さんのは卵黄4個に対しオイル600ccも。ビネガーもたんと入ってる。
米沢さんのは卵黄2個に対しオイル60cc、ビネガーもほんの少し。

ということは、分量をきっちり量らなくても、好みの量でいい感じを見つけて作っていけばいいってことではないか。
作り方は高山さんの方は卵黄と酢を始めに混ぜて後からオイルをたらしていく。米沢さんは卵黄とオイルをまず混ぜて、その後酢をいれる。

こないだうまくいったので、米沢さんのやり方でやってみることに。
オイルは量らずに、ビンから直接細く細く垂らす。だんだんもったりしてくる。
もっといれてもいいかな?もっとかな?とオイルを入れ続ける。
手は休めない。
オイルを入れたらゆるくなりそうだけれど、入れてもいれても、きちんともったり、しっかりしてくる。適当なところでオイルはおく。
次にビネガー。ちょっとすっぱめでいきたかったので米沢さんのレシピの3倍くらい?適当に入れてみる。ちょっとゆるくなりすぎたかも。でも味はおいしい。塩を少しだけ足す。

なんか、コツがつかめた。
これってすごく簡単ですてきなソースだ。
パーティーとかの時につくってみよう。フリッツの横に添えるのとか、絶対においしい。

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その他にも今日はたくさん料理した。
・インゲンのオイル漬け(塩を効かせすぎた。けど保存食だからまいっか。)
・インゲンサラダ
・ゆで卵(料理じゃない。。)
・千切りにんじんの梅酢酒炒り
・大豆とクリームチーズのディップ
・紅ショウガ(新ショウガを梅酢につけただけ。漬かるのをまつ。)

なんてゆーか全部定番ものだけど久しぶり。
これで今週は否が応にもお弁当生活開始!なのだ。毎日サンドイッチなのだ。
がんばるでー。

2009/09/12

秋の装い

昨日のこと。
立ち並ぶ小さな店々の中をお稽古へと急ぐ道すがらきれいな形のブーツが目の端に入り、3歩歩くも、おお〜っとあれはなんだ、と歩を戻したのが運のつきであった。
問屋の様ににずらりと、流行ではないがそこそこまあまあ的なブーツがところ狭しと並んだ中に私の目の端を捉えたそれの値段をみると、、

5000円。

とある。

・・・・。

・・え?

触ってみるととても柔らかい革である。形もごらんの通りきれいなんである。
5000円?何かの間違いかと思って別のブーツをみてみるとすべて5000円から7000円のようである。

その場ではいてみたらサイズもばっちり。もう少しヒールが高くてもいいけどこれくらいのも気楽にはけそう。。

こ、これは買うしかないではないか。お稽古の時間もあるので迷っている時間もない。再びここを通るのは一週間後だ。という訳でびっくりするほどの即決で購入と相成った。この間わずか5分足らず。

ほしいほしいと願っていたものではないのにも関わらずなんだか素敵なものを買うことになった時の気分ていうのはまた格別で。

写真後ろはこれまたビックリの
安価で満足購入のマルチカバーとポンチョ。ポンチョにこのブーツはあうに決まってる。

2009/09/06

姉が子供を授かったようです。
おめでとう。
こどもができて生まれてそだって生きていく、
誰にでもそこら中でおこっているのにも関わらず、近親の者に起こったその出来事に、きっと私はいろんなことを見せてもらって感動するんだろうな、と今からわくわくする。
にゅるりと生まれるあたらしい人間。まってるよ。

2009/08/30

伊豆へ

金曜の朝、栗が届く。
つやつやのぴかぴか。
緑色のいがにつつまれたものは部屋に飾らせてもらう。
送ってくれたおんぞうさんの顔がうかぶ。
お母さんなんて、写真で見せてもらっただけなのに、うかんじゃう。
ありがとう。

金曜の夜、ふくちゃんに会う。
ふくちゃんとは、一ヶ月前に10年ぶりに突然結婚式に招待されて、好奇心もあって参列させてもらってから、近いうちにごはんでも、ということに相成った。
久々のふくちゃんは変わらずにかっこいいのだった。率直なコメント、けど人を馬鹿にしたりおとしめたりしない一つ一つのことばに感銘を受けた。

土曜は伊豆高原へ。
全体的に正月の雰囲気なのは、親戚の集まりだから。
家族そろって旅行にいったのなんて、いつぶり?と話していて、
どうやら、小6あたり以来。信じられないけれど、たくさんの時間がすぎたのだ。
残された時間はどれくらいなのだろう。
尊いのに、どうしても流してしまうのが家族とともにいる時間なのだ。

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2009/08/25

太陽が

いっぱい

なんだね、これって!すごいな。(改めて気づいて感動)

小石川のサンドイッチ

会社時代に私をたいそう癒してくれたカフェに来てます。
ここのサンドイッチは最高!

オーダーシャツ

父への古希のお祝いに、コルテーゼというオーダーシャツのお仕立て券をプレゼントした。
それで、昨日、両親と連れ立って、コルテーゼ駒込店へ。

まず、布地を選ぶ。一枚のお仕立て券で2枚のシャツがつくれるので、2種類選ぶ。
私はお年を召した方というのはピンクが似合うとつねづね思っているので、父にもピンク系を勧める。父に似合い、かつ父にとっても斬新すぎて敬遠しない程度のワインレッドとピンクのストライプを一つ。
それに、母が選んだシャンブレーっぽいグレー。とても気安く着られそうなもの。

次に襟の形、袖ぐりの形、ポケットの形、背中のダーツの形、合わせの仕立ての形、ボタンの種類をそれぞれ決める。
襟はボタンダウン、袖とポケットはスクエアカット、ダーツなし、合わせは前なんたら仕立て(忘れてしまった;)。
ボタンはピンクの生地には上からみるとシンプルな白、横からみると赤いラインが入ったものを選び、グレーの生地にはダークグレーのもの。

その後、採寸へ。

母も作りたくなったらしく、一緒に生地を選ぶ。
母の方はピンクの生地でシャーリングが入ったかわいらしいデザインを一枚と、ダークブラウンの柔らかい生地に丸襟・折り返しカフス部分だけ裏生地を使ってもらうというデザインで注文。

両方とも出来上がりが楽しみ。

その後、おそばを食べて、ショッピングをして、お茶をして、
よく考えたら平日なのだけど、、まるで休日のように久しぶりに親と一緒に外で過ごして家族団らんをはかりました。休日だったらきっとお互い人ごみのストレスでやさしくできなかったろうなあ。。

夕方は美容室へ。
ここ何年か浮気せずこの担当の方なのだけれど、相変わらずの腕の良さで、髪を3分の1くらいにしてもらって(多いから笑)パーマかけつつ担当の方のサーフィン話を聞いたりして、あとは最近よんでなかったファッション雑誌を読んで。

昼間の焦げつきそうな暑さから一転、スコールのあとひんやりした空気、そしてよるにはまるで秋の風でした。

2009/08/21

油壺











2009/08/12

か、か、

かいしゃやろうって思った、今。

2009/08/09

ともこちゃん

ともこちゃんが、京都の帰りにうちによったので、
家を片付けて、すごく久しぶりに料理をした。

ビールをのんで、扇風機にあたって、そのまま畳でごろりとねむった。
朝おきてごろごろしてたら梨をむいてくれた。
梨をむいてくれたときに、「野菜とか果物って見てるだけで幸せになるよねー。わたしがカービングやってるのって、皮と身の間フェチっていうのがあると思う。梨も皮と身の間の緑がすき、ほら、ここ。」と言って見せにきてくれた。(ともこちゃんはベジタブル(フルーツ)カービングという技術を持っている)
そのあと、かなでチャンちきゅうりある?わたしきゅうりかってくる、といって出て行った。
わたしはじゃあ仕事をしよう、と思って集中して作業してる間に
ともこちゃんはきゅうりだけでなくいろんな野菜やらパンやらを買ってきて
あっという間にラタトゥイユをつくってくれた。
塩バターのしみこんだフランスパンと京都みやげのすごーくとろんとしたわらびもちと昨日ののこりのニンジンサラダとインゲンサラダを一緒にたべた。

ともこちゃんから聞いたラタトゥイユの作り方。
今日の具材は
なす、ピーマン、パプリカ、トマト、インゲンにんにく、ローリエ(今日はタイムだったけど)
作り方は、材料を同じ大きさに切って、一種類ずつオリーブ油でさっといため(火を通しすぎないように。インゲンだけはクッタリめに。)塩で味をつけたら、ひとつの鍋にどんどん入れていく。
トマトだけは半分にわけて、半分はそのまま炒めず鍋へ、もう半分は火にかけて半量に煮詰めてから鍋へ。
火の通った野菜が全部ひとつの鍋に入ったらその鍋を火にかけて10分くらい煮込んだらできあがり。

ラタトゥイユは、和食の煮しめみたいなもののようですね。
材料を別々に炒めるというところがポイントっていってた。
長尾智子のレシピだそうです、トマトを煮詰めるところはともこちゃんのオリジナル。

2009/08/07

風の朝

南西の窓から南西の風が柔らかいまっすぐさではいってきて肌をなでたその気持ちよさで目が覚めた。
なんて幸せなんでしょう。
ここのところの無風で寝苦しい夜から一転、です。

すばらしいこととはすなわち、すべてを伝えられないのにもかかわらず、こうして書いたり、誰かにメールしてしまったりする、外にあふれてしまう断片があるということなのかもしれない。断片が正しく記述されているかどうかといとそこはあまり見ない方がいい。
ツイッターというのはそういう会話が成り立つところなのかもしれないと、中にいる人たちをみて思いました。

2009/08/06

64年前のこと。

ただ思いを馳せること、それだけしか、今年はできないみたいだ。
伝えたかった大切なことがかなわぬまま、今ここで断ち切られたならば、そんな悲しいことはない。私が生きて、考えて、どうにかしたいと思うこと、工夫をこらすこと、ぼんやりと動けないでいることも含めて、時間を好きなようにつかうこと、
そんな風にできること自体が、幸福の正体なのかもしれない。
今はそうは思わなくても、いつかの時点でそう思うような、気がする。

2009/07/30

予測された

予測された皆既日食問題。
→ やはり、そう、おもうよね。
だから、さ。
だから、さ。

予測されない皆既日食問題をつくりたかったのさ。

2009/07/29

その中にいた

99年の8月、私はブラウン管の前で次々にうつる"中"をみていた。
インド、トルコ、フランス。。

09年の7月、私はその中にいた。
それで、中を外からはみることはなかった。

カメラの穴は中にあるのに外へとつながっていて、人々はその穴から中をのぞいていた。

2009/07/12



昨日八百屋さんでかった桃。早いかなと思ったけどすごくあまい。
今年はどうも果物がはやい気がする。
桃って八月のイメージ。おばあちゃんち。

さっき、旭橋駅からすぐのホテルを予約した。

2009/06/28

空気の流れ着いた場所


梅干用の梅を購入した。
今年は早かったみたいで6月の終わりですっかりはけていて、デパートにも八百屋にもスーパーにもなかったので焦ったが、駅前のなんでも屋さんにあった。
こつぶだけれど、それもいい。大粒は食べるのに気合がいる。

買って、キッチンの床に置いた。
朝、おきて風呂場へ行くと、梅の香りがふわあとした。キッチンではしないのに。
風呂場のドアの下部にある隙間からにおいがそちらに流れたようだ。
空気はあちらに流れていたのか。

6年すんで、ひとつ、あたらしくこの部屋のことを知った。

2009/06/27

クレマチス


2ヶ月限りの派遣先会社の目の前のお宅。

2009/06/22

懺悔/この自由な世界で

この間の金曜日、新文芸坐にて。

「懺悔」は20年以上前のグルジアの作品。独裁者と市民のお話なんだけど、なんというかほのぼの?っていうか、イメージのコラージュがなかなか味わい深かった。
ゴダールとタルコフスキーとフェリー二を思い出してしまうような、不思議感満載で面白かった。光が明るい。ケーキが素敵だった。

一方の「この自由な世界で」は非常に重くって気持ちが悪くなってしまった。自分の状況と重ねたから?どうしようもなさに救いがないことが明らかだから?人材派遣=現代の奴隷制なんだな、と理解した。私はみずから奴隷になってしまったのだろうか?人々は他人からの搾取なしではもう生きていけないのかなあ。奴隷から這い上がるには他の奴隷の上に立つしかないのか。やるせない気持ちになった。

2009/06/21

梅 2009 ①



いつも行く八百屋で1kg500円の青梅を2kg購入。
梅シロップと梅黒糖シロップにする。

■梅シロップ
材料:梅、梅と同量の氷砂糖/酢(1kgあたり100~200cc。適当)
梅を洗って水気を拭き、へたを楊枝でとる。
梅、氷砂糖、梅、氷砂糖、・・・と容器に入れて最後に酢をまわしかける。
毎日振る。2~3週間置く。

<一日置いたもの>

■梅黒糖シロップ
材料:梅、梅と同量の黒砂糖(粉状のもの)
梅を洗って水気を拭き、へたを楊枝でとる。
ビニール袋に入れて一晩冷凍庫へ。凍らせて組織を破壊するとエキスがでやすくなるらしいです。
梅、黒砂糖、梅、黒砂糖、・・・と容器に入れる。
毎日振る。2~3週間置く。

<冷凍庫から出して黒砂糖と重ねたところ>

梅干しは来週か再来週かな。お店の様子を見つつ。

2009/06/19

今日(正確には昨日)はできごとから1年がたった日だった。
何もできないけれど、心の中で想った。
悲しいでもなく、つらいでもなく、想った。
一年前と今でも感触はかわらなくて、それは人の生が出来事になった瞬間だったんじゃないかな、と思うけれど、正しい描写じゃないな。なんといえばいいんだろう。


そんな今日。大学時代の友人が名古屋から出張できていて、帰る前に品川で食事をした。
さっと手帳のあいだから取り出されたのはエコー写真だった。8ミリの大きさの人の写真。
なんだかとにかく感動してうれしくてうれしくてたまらなかった。3人でそれぞれの思いがありつつ、心の底からおめでたいね、っていうのを共有した。共有できたのもうれしくてたまらなかった。私は来年の今日、またできごとを思い出すけれど、それには今日のことも一緒に思い出すことができる。彼女の死と、彼女の中の新しい生命。よくできた話すぎるけれど私はすくわれた。ほっとした。肩の力が本当にぬけた。


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年長の人というのは、それだけで偉いという風に考えている。
どんなに賢い人だって、経験による感触は時間の中でしか得られない。時間によるものごとの変容も。長く生きてるだけでどの人にも分け隔てなくいろんなことが起こり、それに対処しなけらばならない。知恵というのは対処したり、やりすごしたり、ということでしかつけられないんじゃないかと思う。

だから、ずっと年上の人と対等にしゃべっているつもりでも、やっぱりその人の言葉の背後にある経験に自分は達していないんだと思う。わかってくれない、と思うこともあるけどそれは間違ってて、わかってないのはこちらだ。知らないから知らないなりの理想しか見えずかたくなだったりもする。

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人を所有することはできない。

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プロフェッショナルと爆笑学問の間の番組で、永平寺の老師がでてた。
「死ぬのが恐くなくなるのが悟りではなく、平気で生きるのが悟りなんだ」と言っていた。
なんだか、すごいな。

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温度をじっくり感じる間もなくあせって今を未来の為に使ってしまうのは本当にもったいない。感覚の貯金はできないから、未来の為に使っているように見えるのは錯覚でなんにも感じてないのと一緒。

2009/06/07

そのことを

中心になるそのものズバリを見せることなく、受けとる人の中で想起されることでふわっと浮かびあがったら、それは本当に素敵だと思う。
高木正勝のインタビューをよんで。

感謝してます。
頑張ってください。
大変だね。
応援してるよ。
信じてます。
不快だなあ。
あなたの意見に同意しかねます。
悲しい。
うれしい。
好き。

そのようなこと。

別の話。
一晩中友人と飲みながら、死に向かう人に対して自分だったらどうしたいか、という議論をして疲れ果てて、自分の主張なんてすべきじゃない、伝えることと主張はちがう、と思った。

主張の癖はぬけづらい。教育されているため、そして自分へのプライドがあるため。
意見がかみあわない時、自分の話を頭ごなしに否定された時、相手に対して「人を見下す人」だ、と批判するには人を見下す人を見下す自分になるということだ。それでは問題が別のものになってしまう。かといって、相手の主張は明らかにずれているのだからそれをどう伝えたらいいのか、ということ。弁のたつ人ならきちんと理路整然と伝えられるのだろうけど、そうでないなら別の方法を考えるべき。

2009/06/01

いやはや

あまりにもおいしいトマトソースをつくちまった。
普通のなにも工夫のない作りかただけど、メモとして。

タマネギは新玉を4〜5個。
薄切りにして、フライパンにタマネギの3分の1くらいの高さの水(ひたひたにはいかない)を入れて、蓋をして中と弱の間くらいの火で蒸し煮。そういえば、途中でニンニクをいれたのだった。たぶんはじめから入れるべき。タマネギから水分がでて、水が飛ぶまでに時間がかかる。くったくたになって水分もようやくとんできたなーっておもったらオリーブオイルをまわしかけ、さらに水分を飛ばしつつ炒める。このときはもう蓋はとって、火はかなり弱火。
さらにさらにかけて狐色になってきたらどこでやめるか、見極めが肝心。飴色目指してこげたらだいなし。たぶん飴色って思う直前でやめるのがいい。味見したらすっごい甘い。ジャムのよう。
さて。そこに、湯むきして角切りにしたトマト5個分くらいを入れる。ローリエとか、オレガノとかハーブも入れたりしみる。トマトがタマネギと一体化して、トマトのすっぱさとタマネギの甘さが一体化したら出来上がり。見た目でいうとトマトの水分がそれ以外のものと別れてない感じ。全体に一体感がある。で、味見。すっごい甘い。
このまんまでいいじゃん、って思うけど、大目につくってあるし、パスタソースなんだし、塩を思い切っていれる。ここでは塩っからくならない程度、でも遠慮はいらない。
味がきまったら、できあがり。

これをざっと濾して舌ざわりをよくしたら上等な感じになる。
今回はぶちぶち感(種の)もあじわいたかったからそのまま。

パスタをゆでて、ソースはソースであたためて、もりつけたら最後に香りのオリーブオイル。
幸せになります。

※鷹の爪があったら入れるべき。

2009/05/30

クオリア

頭に痛い帽子を被って(←何て名前か知らないので)4人の顔を思い浮かべる実験をした。
それで、そのうちの一人と実際に会って近くでみるとやっぱり違う。

思い浮かべた方がクオリアなんじゃなくって、
実際に見た情報−思い浮かべた情報
がクオリアだと思うんだ、僕の考えでは。
と言う。
実際のものが持つ、記憶やイメージでは補えないもの、そのものからの情報量。
うん。
そうか。

一方私は、ドラえもんを思い浮かべるのはできるのに、紙に描いてみてっていわれると描けないから、思い浮かべたものがクオリアなんじゃないかなってとっさに思うのだけれど。
でも、本物と思い浮かべとの差分、っていう考えもなんか、好きではある。

ディスプレイ

ウェブサイトを地球の表面と同じ大きさにすることって、可能かなあ。
今、ここの画面からスクロールして。画像だと重いけど、広さなら単純にいけるのかもしれない。それに意味があるかどうかは別としてもさ。

2009/05/17

マイライフアズアドッグ

「パパはどこ?」
「知らない。赤道のどこかだ。」
「何してるの?」
「バナナの出荷だ」
「子供はほったらかし?父親だって責任あるのよ」
「だれかがバナナを出荷しなきゃ困るだろ?」
「他の人は?」
「パパ以外にいないんだよ」
-

イングマルはいくつかな。小2くらい?
ママは写真家で病気。イングマルはママと飼い犬のシッカンが好き。
ママもシッカンもいなくなって悲しい。すごくかなしい。けどイングマルは悲しみを誰かにを向けたり甘えたり不幸がったりしないんだ。自分で考えるんだ。距離をおくことが大事だって。瞬間瞬間があたらしいんだ。

それにしても私は運がいい。大切な映画をここっていうタイミングで私に勧めてくれる友人がいるんだから。映画をみたら、映画の中の世界とその友人の存在の仕方と運がいい私はつながってるように感じることができたんだから。私は運がいい。映画の時間がすぎてもわすれられない感じがある。あたたかくて明るいもの。

「神々の山嶺」で最後、羽生はもろいイエローバンドからの直登を決行する。

「あそこは直登のルートこそが美しい それがこのおれのルートだ」

 エヴェレストの頂上直下のウォールのことはおれも知っている
 ずくずくの岩だ
 ハーケンが役に立たない
 細かい浮き石だらけの岩壁てをかければぼろぼろと表皮が剥けるように岩が落ちる

 南西壁のルートは頂上直下ウォールは避けてノーマルルートへ出て
 登頂しても
よいと認知されている
 そこがあまりにも危険だからだ

「必ず死ぬとわかっていることだけはしない」
「わざと落ちる それだけはできないんだ」

「神々の山嶺5」作/夢枕獏 画/谷口ジロー 集英社

2009/05/13

スラムドッグミリオネラ

本当のことが知りたくて、ドキュメンタリーばかりを観ていた時期があった。大学のころ。
テレビでみるドキュメンタリーやニュースからは知り得ない、つまり、メジャーメディアでは存在できない現実の切り取りがオフシアターで上映されるドキュメンタリーにはあった。
フォリピンのキドラッド・タヒミック監督の「虹のアルバム」や「僕は怒れる黄色」、10時間耐久の「shore」、天安門首謀者のインタビュー「天安門」・・・。
「天安門」の中のインタビューで首謀者の今はNYに住んでいる女性が、「暴動になることはわかっていた。」と答えてたこと。政治的大義はもちろんあったろうが、実際に状況があのようになったのはもっと個人的なこと、ほんのまだ若者の少人数の人間関係からくるささいなことによって引き起こされたのだ、と理解した。実際の天安門事件当時まだ小学生でことの真相なんてもちろんしらなかったし、今も不勉強なのでよくしらない。けれど、そんな小学生の私にまで届いた新聞の一面をにぎわす感じ、世間が注目せずにはいられなかった感じ、あの時にそのまんなかにいた人が今はNYにいて、そのように語ることと、あの時自宅のキッチンで新聞とテーブルと思春期の始まりみたいなところにいた私と、両者を別の時空からみてまるでつながったように感じれること、そういうのがなんというか、むずがゆく興奮した。

それからしばらくしたある時、2002年くらいだったかな。突然、ドキュメンタリーはもういいや、と思った。何をみてた時だったかな。タイトルやストーリーは覚えてないけれど、ドキュメンタリーの言葉に心をうたれなくなった。
反比例して、つくりもののお話のリアルさをどんどん享受できるようになった。

「スラムドッグミリオネラ」はインドのスラムで育った男の子がミリオネラになる話だけれど、インドのスラムのドキュメンタリーをみるよりもずっとリアル感を生成される。

なぜなんだろう。
ヒントは最近よんだ佐藤優と手島龍一の対談本にのってた言葉(最近ずっとひっかかってる)にあるんじゃないかと思う。謀略、情報操作のやりかたの一つとして、相手方にヒントを上手に与え、相手自身に物語を作らせる。人は自分の作った物語は信じやすいし、大事にする。そこを利用して情報を操作する。
もう一つのヒントは、webマガジンにあったYOUのインタビュー。「自分のことは自分ではあまり話しません。人に話してもらうとだいたいちょっといい風に言ってくれれるし、その方が気持ちいいから」ということ。二つは違うレベルの話なのだけれど、私にはなにかつながっている。

ライフログを記録できる世の中になったとして、その記録は本当に私そのものであるか、と言えば、否、なのである。
私たちの生は客観的記録ではない。数量でも計量でもない。
私たちの生はドキュメンタリー的というよりもむしろ、夢のエンターテイメント的なのだと思う。だから、映画がリアルなんだと思う。



ずいぶんと乱暴なまとめだけど(続きをかきたいんだけど)、今日はこんな風にしかかけない。今この瞬間能力が全然たりない。こんなこと、私だけが考えてることではなくて、いろんな人がいろんな分野でちゃんとした言葉で考えているはずだけど、その人たちに「そんなんだよね」と共有してもらえるような、また、うっすらと感じてる人に「こうじゃない?そんな気するよね?」と話せるような言葉が獲得できてない。

でも、書いちゃいたい。
そんな、今夜。

2009/05/11

カブのホワイトソース

バターを落としたお湯でカブを煮る。
やわらかくなったらミキシング。
作りおいてあったベシャメルソースの種、大さじ2くらいあったかな、
それを加えてゆっくりなじませる。
塩で調味する。
パスタを塩きつめでゆでる。
皿にあけて、香り役のオリーブオイルを少したらす。
その上からカブのソースを濾しながらかける。
胡椒を引く。

ありがとうのおいしさ。
冷えた白ワイン、かな。

2009/04/22

タケノコいっぽんちょーだいな

ま〜だ〜め〜が〜で〜ないよ


っていう遊び、あったよね?

今日は取手から昨日とったばかりのそれはそれはきれいなタケノコさんがうちに届きました。
毛がが生えた海老茶色の皮がつやつや、さきっちょの緑の芽は若々しくも力強くてこれぞ春色って感じの組み合わせ。渋くてつよくて柔らか。

同封してもらった糠でゆでて、さまして、夜にはいただく段取り。たくさんだからゆっくりいただくけど、まずは今夜。
はらへりなのでクリーム煮に決定。
タマネギのみじん切り、ベーコン、タケノコを炒めたら、生クリーム、ショートパスタに胡椒をごりごり、仕上げは生のオレガノをちぎって。ああ。。しあわせの味です。

2009/04/11

メモ

ボンガンドとバカピグミーの発話形式についての話を聞いた。

近代がない、と発言した人がいた。
乱暴なくくりではあるけれど、私たちのすむ世界との対比をしているのだから
言葉の好みの問題だったろう。
さて、私たちの世界はいったいなんなのか。
-
分化、分節化した、ということ。
なぜ、アートや表現があるのか。なぜ?
サラリーマンをやっていると、映画はエンターテイメントハリウッドどたばたが欲しくなる。
スイーツ(笑)もちょっとそれににている。
-
問いを発する人と問いを発せられる人(問いを受ける人)はもともと同一だった。
分化して、分かれた。
聞き手の膜が私たちの方が薄い。発話に対して無視することができない。
彼らは人の発話に対しての無視ができる。信用、ということも、真実、ということもない。
発話の価値が違う。
-
私たちは分化したから、問いかけと答えを対で考えている。対には他者が必要だ。
問う人・問われる人、感じる人・感じない人、感じることを教える人・感じることを教えてもらう人。巫女のような人と巫女にお伺いをたてる人
アートを作る人とアートを見る人。
アートをやらない人がいるから、アートがある。
分化の末の必然として、私たちの世界全体のありよう(先生は共に在る感覚といった)
が形成されたからこそ、芸術、というものが今このように存在する。

洞窟画がなぜかかれたのか、というような芸術の起源とはまた別の話。
個の能力差を社会がどう位置づけていったのか、ということ。

そういうこと、の考えの片鱗のようなものを見たような日。
-
このメモは備忘の為。
これもまたかなり乱暴な。

2009/04/01

無償ということ

相手の為だけを思って何かをすることは
相手に負担をかける。

相手の為に何かする場合、自分の為にもなるんだよ、という名目を勘定にいれてやると
相手は負担がなくなる。
相手の為というのを快く受けとってもらえる。

いままでこの仕組みを知らずに、
相手の為は単純に相手の為、であり、自分どうこうは含めないのが当たり前だった。
別に自分を押さえたり無理するという気持ちもなかった。

けど、なにかしてもらった時にその分のなにかを返せないことに人は耐えられない。
ただでやってもらったら人は心苦しく思うこともあるらしい。複雑な生き物だ。
だから、見返りの分まで考えてあげるのが人にやさしい。

おそらく無償が成り立つ、ということが私の一つの理想的ななにかであるのだが、しかし、それはもう少しつめて考えられるべきことなのだ。

2009/03/25

ゼラチンシルバーLOVE

ゼラチンシルバーLOVEの中で、永瀬正敏が食べていたあまりおいしくなさそうなミートソースが食べたくなって、帰りにスーパーで105円のカゴメミートソースのカンズメを買って帰る。

トマトとニンニク、バターを足したところで大して味は変わらないし、ミートのかけらがみつからないけどミート味のスパゲッティ。あつあつって所だけポイント。ナポリタンぽい。

映画は久々に眠ってしまいそうだった。
本やによって、多和田葉子の新刊と三砂ちづるの本と買う。多和田さんはよみたかったもの、でも今すぐよまないかもしれないもの、で、三砂さんは帰りの電車の中でにやにや(にっこり?きもい・・)しながら読みはじめました。

2009/03/17

俺があいつであいつがおれで

メモ:
よくある男女入れ替わり物語について。
筑波のロボットについて。
恩蔵さんの化粧研究について。
バーチャルリアリティ訓練後の自己像について。

2009/03/15

おいしかった。

2009/03/10

寿司

今日バイト先で友人にきいた話。

シベリア抑留中のひもじい日本人がどうやって生き抜いたか。
寿司職人だった人がいて、その人が「今日はなにを握るかい?」「俺、中トロ!」「俺は鯛!」
とかいって、架空の寿司を食べて満足して、楽しんだ人たちは生き残ったんだって。

つらい現実を
「なんでこんことになっちまったんだ?」「ここから抜け出すにはどうしたいいんだ?」
と考えるんじゃなくって、
「寿司といえば、そうだなあ、この季節なら新子か?」
なんて空想して、にやにやしている人が生き残れる。

その場が楽しいこと、そうなるための工夫、生きるために最も必要なもん。

2009/03/09

ころされること

ころされたことに気づかないと成仏できない。
それが実感として理解できたのが、昨日。そういうことってきっとある。

中に立つ、参加する

WBCの初戦を観に行ったのでその後のテレビ中継も今までと見る目が変わってしまった。
その中に立つといろいろ違う。
実況がない、解説がない、あたりまえだけど画面に縛られないからどこを見るのも自由。そして、応援の波の始まり方が見える。テレビでは単なる歓声なのにその一粒一粒が聞こえる。
サッカーよりももっとずっとそれらが新鮮だった。

アメリカも野球は人気スポーツだけれどきっと応援の感じなんて全然ちがうんだろうなと思った。けど、日本は日本で野球がとっても民族的に相性いいんだろうな。

野球だけじゃなくって、その中に立つこと、参加することでメディアの層が一段階素材に近くなる。メディアはパッケージであって、それはそれでとても心地よいものだけどパッケージされない部分はその中に立つことでもう少しだけ見える範囲が広がる。

人生の中でパッケージされたもの以外を見られる分野なんてすごく限られているだろうけれど、自分の見てるものはパッケージであること、そのパッケージをつくっている人たちの情熱を敬うこと、パッケージされない生ものがあること、に思いを馳せることで楽しみも3倍くらいになるよね。

2009/03/05

背骨は無駄につかうな。

叔母は東京でヨガの先生をしている上に、最近は卓球にはまって週5日は卓球をしているらしい。65歳で体脂肪率15%、さすが、ツワモノぞろいの我が親戚軍団のおひとりである。
このあいだ高知に入院する叔父の見舞で叔母に会った時、前屈がうまくできない旨を相談した。
私の動きを見てもらって改善方法のポイントはふたつ。

背骨の使い方と膝裏の伸び。

背骨は前にバレエを長年やっていたという恩蔵さんからも指摘された通り、胸を張りすぎている。腹部も前にですぎている。
それによってもともとS字である背骨が腹側により多くつかわれることになるため、お尻(骨盤)の部分の背骨がちぢんでしまう。背骨をどの部位にどのくらい配分するかで肉のつき方や体の形まで変わるらしい。腹部の前傾をなくせば腹部の湾曲の為に割いていた背骨を骨盤部分に使えるから骨盤が稼動しやすくなり前屈の為の余裕が腰にできる。今までの姿勢では背骨を無駄に使っていたのだ。

膝が伸びきらないのは半分は遺伝だそう。バレリーナがバーの上に片脚をのせてのばすみたいな動作を日頃からやっていけば伸びていくそうだ。

この背骨と膝裏の伸びによって憧れのぺたんこ二つ折り前屈が私でもできるようになる、と言われたのでがんばってみよう。

2009/03/04

雪の日

ふるふるという存在があって、つまり、うつろっているのだ、と思う。
おそらくずっと、うつろい続ける。それは広域を移動するイメージではなく、
なんていうんだろう、表面がゆるいジェル状のものでできていて、それがふるふると揺れる感じだ。ふるふると揺れるが同じところにとどまっている。とどまって見たいものがあるのだと、いう。ゆれているからいつでも違うように見えるけれど、実は同じものをふるわせているだけだった。どうしてもその同じふるふるを通して覗き見、手に入れ、支配し、俯瞰し、制覇したいものがあるのだと、その野望はふるふるの柔らかさに似合わず豪傑な感じのするものだった。ふるふるはがんとして動かないのだった。なぜならばふるふるの内部はいつでもはげしい対流がおこっているから、動く必要はないのだ。ふるふるの対流を恐れて近づかなかったある人が、ある日ふるふるに触ってみたらふるふるだけに粘着するのだった。それでふるふるがふるふるゆれるとき、ある人のこころもふるふる同調してしまうのだった。粘着、と簡単にいうけれど、それは不可逆的なものであり、くっつく-離れるを繰り返せるたぐいの粘着ではなかった。くっつく=獲得するということなのだった。あるいは知ったものを知らない状態には戻せないということ。知るは知らないを捨てるということだった。ある人はふるふるを無視することはもうこれ以降できなくなった。ふるふるゆれる様はある人をゆれさせる。ある人はゆられながら、ふるふるを恐れたかつての日々をすっかり忘れ、いちいちのゆれを初めての体験だ!だ、と関心した。しかしある人はよろこんでもかなしんでもいなかった。そして特に不快でもなかった。見るとほかにもたくさんのある人がふるふるにくっつき、ゆれに同調し、目を閉じて笑っていた。

2009/03/02

備忘録

2月24日
ICCへ。カメラルシダ見れず。
いい展覧会だと思うけれど、もっとさらりとあったらすてき。
作品の覆いがなくなることですてきになるものってもっとたくさんある。
でも覆い=カテゴリー化、分類化によって世界は見やすく。大規模化への道、か。
夜はカナルカフェへ。小雨のふる川面に電飾がうつって旅行にきたみたいだねって良子さんと。
「あの女検定」のアイデア。あなたのそばのあの女について。

2月25日
見られなかったカメラルシダを見に、朝ICCへ。
水で満たされた球体、暗闇、波が光に。見えているもののスケール、私は何を見ていたのか。
その後、和光市へバイト。うちのテレビは主電源を切ってないと突然つくことがあるのだが、その原因について3名のカガクシャ様たちが議論した結果、リモコンの誤動作という結論に。霊でも斧をもったおじさんでもない、です。
一度帰宅してもろもろ準備し、新宿へ。21:30発高知行きバスに乗り込む。

2月26日
8:00高知駅着。寺田寅彦、高知城、木曜市
→特急で中村へ。
→バスで清水バスセンター下車
→プラザパルの本屋で立ち読みしているとこを、叔父に見つけられる。
→お散歩
→食事

2月27日
朝食→叔母とおしゃべり→鹿島神社お参り→ポミエのサンドイッチ→昼食→問診→サンドバス10分2500円→ともこちゃん迎えに→散歩→夕食

2月28日
朝ヨガ→朝食→サンドバス→鹿島神社の御神輿にくぐってもらう→ポミエの帽子パン→昼食→タクシーで足摺岬へ→戻ってお祭りのクライマックス→旅館でみんなでおやつを食べる→外食→おしゃべり

3月1日
朝ヨガ→朝食→9:40発のバスで中村へ→レンタサイクルで佐田沈下橋へ→農協でお昼かって→電車で昼食→高知着→日曜市→土佐ジロー卵焼き、窪川牛スジおでん、ビール→喫茶店ではがき書いたり→20:00発のバス

3月2日
7:00新宿西口着

2009/02/24

腹が減るからふりかえるな

オランダからきたみゆきさんの友人エレーナ夫婦と池上さんの研究室の方々がICCにいくというので途中から合流するね、と約束するも、休館日でありました。。
渋谷でみんなで食事するというのでそちらへいく。
なんだか久しぶりにきもちよくよっぱらって正体なくしたみたい。。千鳥足じゃなかったけど記憶があいまい。良子さんに途中よっぱらってますね〜って何度もいわれたのセカンド自分は上からみてたんだけどな。

気づいたらセンター街のスニーカーとかうってる靴屋の上の大型テレビに、マリアさんがいた。みんなで見上げた。

ひさびさにたのしいよっぱらい。
真のよっぱらい。よっぱらいってたのしい。

今までだったらみんながそんなによってないのに一人で酔っぱらうことを反省したりしたけど、もうしないことに決めた。今日から。
腹が減るからふりかえるな。ってこと。

2009/02/22

222222

わあ、2月22日の2:22のデジタル時計と目があったよ!

2009/02/20

夜更けすぎに

yahoo!天気チームのブログで雪がふるというので6じごろ目覚めた時、外をみたらうーっすらつもっていた。
8時にはあたたかい雨が溶かしてしまったけれど、今年は多分これが最初で最後のふりつもった雪だったろう。

昨日は街中で初めて仕事のスカウトを受けた。
と、こうして書くと風俗?とか思われるかもしれないけど、
生命保険会社の本社勤務の女性を募集してるとかなんとか。
おなかがすいてたので適性検査を受けるという名目で見ず知らずのおばさまにコージーコーナーの海の幸ドリアをごちそうになる。
こういうこと、昔だったらできなかったな。

その後くらげのところで実験バイトして池袋でご飯たべて帰りました。

2009/02/18

その時歴史はうごいた

松平さん、むかしすごく好きだったんだよね、小学生くらいのころ。
ヨガから帰って久々にテレビでもつけたら今日は原水爆禁止世界大会の成り立ちについてやっていた。途中からだけど、杉並区の母親たちの署名運動から始まったとのこと。
昭和30年8月6日に第一回世界大会が実現。

私が母に連れられていったのは小6の夏だったと思う。だから、第34回世界大会だったのかな。
広島、似島、いろいろ回って、私はダイインするのがなんか好きだな、とか思うだけの不届きなこどもだったけれども、あのころ戦争と平和について考えるのは我が家にとっては当たり前のことだった。

そんなことを突然思い出させてくれた松平さん。(というかNHK)

とテレビを見ながら、早すぎる春キャベツでコールスローというか、千切りを塩揉みしてオリーブオイルと胡椒であえたもの、とスーパーのかにクリームコロッケを食べた。

2009/02/16

お菓子

週末に両親と東鷲宮の百観音温泉へ。
大自然の中でもなく、ただの田舎の住宅地、なんの情緒もない感じがなんとも埼玉って感じでなじみ深い。
それでも、お湯は潤沢でかけ流し、露天には青空が広がってさまざまな年代の女の人の体がおおらかにあった。15時くらい、けっこうな人数がいたけれど全然狭い感じがせず、かといってだだぴろい感じもしない、ちょうどいい距離感、これってすごく普通のつくりに見えるけど設計が成功しているってことなのかもしれない。岩の置き方一つで人の収まる場所がきまってるのかもしれない。
風呂にいる女の人はさまざまで女の話をしている。仕事、恋愛、家庭の内情。
泣いている人もふたりもいた。

私はそこで初めてのアカスリを体験。(母に出してもらった。。)
なんとも衝撃の激しさ。裸でどこをこすられるかわからないのってこわい。
45分がなんと長く感じられたことか。予想できないことと刺激がつよいことで時間の密度はたかまるのか?っていう仮説までたててしまったことだよ。

帰り、わたしは湘南新宿ラインで新宿まで一本で出るために両親と駅で電車をまつことになって、その日はバレンタインデーだったのにも関わらず前日にお金をなくした私は父にチョコレート一つ買えず、借りたお金を持って駅のキオスクでガルボとトッポを買い父にわたす。なさけない。けど、なんとなく駅のいすに座って親子三人駄菓子をたべるのは楽しかった。そんなチョコをおいしいって食べる両親をみて、いかにも、この人たちがわたしの両親なんだな〜とつくづく思った。その時間はわたしにとってはなんだかちょっと幸せな感じがした。やるせなく、けどあたたかい感じ。
チョコをたべてたら母がしょっぱいものが食べたいというのでじゃがりこを追加で買ってジャガリコジャガリコって食べた。両親ともに、おいしいわね〜、くふうしてるわね〜、これたいしたジャガイモの量つかってないのにね〜、とあいかわらずヤギ家的な会話。

新宿に移動。
おんぞうさんとご飯をたべる。
なんだかとってもたのしかった。
おんぞうさんの新しい研究について、わたしも夢をみる。
そしてあまり人に軽々しく確認できない危機の時の自由意志について、なんと見解が同じだったことに感動する。
そしてそして、おんぞうさんは、わたしの作品が存在の仕方にかかわるものだと、まるで私がここ数日考えてたことをしってたかのように、いった。

わたしはもっとオープンに平らになにもない感じになりたいのだった、そういえば、いつでも。と、これはたった今おもったこと。

2009/02/14

風の谷がまた。
春一番っていい響き。

今夜は家の中に外のにおいが混じる。

Bridge the Gap?
っていうけどさ、橋の下は実は川が流れてなくってさ、歩いてわたれたりして。橋がかからなくてもあるいてさ。
記憶、物語性、似てる、近い、みんな同じこと考えてる。っていうけれど、みんなっていうときのみんなって、すべての人だよ、選ばれたみんなではなく。
近いといえば近くなるし、関係ないと思えば関係ないのだ、言葉で表現されるもののキケン。
それは本当に似てるのか、近いのか、みんななのか、記憶って何をさす?
あ、でもそれはどうでもいいのか。近いと思いたいのであればなんでも。

2009/02/10

ぴあ

ぴあを久方ぶりに買った。何年ぶり?大学生のころはよく買っていたなあ。
高校生のころはぴあの紙質が油抜き(油絵科の受験生が絵を早く仕上げるため、油絵の具を紙などに塗り、油をぬいて乾きを早めること。)に最適だって、先生が推奨してたなあ。

予備校のころからの友人から今日電話があり、1月末で仕事をやめたとのこと。
新しい仕事は一大決心の末、映画の背景の絵を描く仕事についたという。
年収は今までの半分以下だそう。
それでも、よかったと思う。絵を描くことにこころを残してわすれられなくて死んだように生きる彼女をみるのはつらかった。ずっと。

2009/02/09

詩人について

表現をする人は、万人に語りかけているように見せて、たったひとりの届く人へと言葉を運ぶことができるのだ、その方法を持っている人が表現をする人、ということなのかもしれない。

エル・スール

南へ

1957年秋、南へ。
物語の語られ方。

2009/02/08

ニンジンとジャガイモ

ニンジンとクミンのペースト
ジャガイモとキャラウェイのペースト
をつくった。
ニンジンの方はオイルの乳化作用に感激。
アルルでライ麦と全粒粉でできたパンにのせてたべたら
なんとおいしいことか。

2009/02/07

マリア

マリアさんのこと
思い出した。

マリアさん
最後は
少しだけ、
楽しい気分になった?
その瞬間のあなたが幸せであったことを思い浮かべて。

2009/02/05

ロッタリー2

■□■申込結果のご案内■□■
この度は本ツアーへご応募をいただき、厚く御礼申し上げます。

今回は多数の応募があり、抽選となりました。
厳正なる抽選の結果、
誠に残念ながら今回は当選されませんでしたのでご通知申し上げます。

今後第3期の募集、奄美大島観測ツアー、中国・上海観測ツアーも発売を
予定しておりますので、再度ご検討くださいますよう、お願い申し上げます。
抽選内容に関するご質問にはお答え出来ません。何卒ご容赦ください。

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ざんねんむねん

ミツバチのささやき

この手の映画はぜったいにビデオじゃDVDでみたくない。でもなかなか映画館で観られるチャンスもない。
だからようやく気分と時間と映画が同じ時にめぐりあわせた日。

いい映画だった。好きな映画。一つの旅をしたような、そんな気分。
大切な風景をみたような。
見せ方、演出、映像、俳優、よくできていて、丁寧ですてきだった。
フランケンシュタインが本当にでてくるのは、ありなのか?
あれは出てこなそうな展開なのにもかかわらずでてきちゃうのがいいよ。
だってちょっとよけいっぽいあの質感。

制作は73年で日本公開は85年。
1940年のカスティリーヤ地方のある村のお話。
時間。

エルスールは来週だから見に行ってみよう。
マルメロの陽光がどうしてもみたいけどこれは映画館でやってるの、観たことないなあ。アントニオロペス、10代のころすきだった画家。

ロシュフォールの恋人たち

某ゲーム会社でイラストレーターをしてた時、隣の席のデザイナーさんがこの映画のサントラを貸してくれてイヤホンからヘビロテでのりのりで絵を描いていました。ルグランさいこーとかって。
だから曲は全部覚えていて、今回初めて本家の映画を観て、やっと映像が付与されたという感じ。

デジタルリマスター版ということで、色があざやか、ポップですべてがかわいい。
ドヌーブはお人形のよう。
ミュージカル映画なので突然歌ったり踊ったりするんだけどそこに違和感のない全体的に現実離れしたような世界。フランスだからそうみえるのかな。なんていうか、観てると自然にわらいがこみ上げてくる。

フランス語だから何もわからず聴いてたけど訳を初めて知って、
「バラバラ殺人があったんだって、昨日赤毛のダンサーがころされたって、まあ怖い」とか
「男はなんですぐ寝たいっていうの?結婚してといってくれないの?」「それのどこが悪いんだ、キスさせておくれよ」とか
「ぼくの名前がダムなんてへんな名前だから彼女はいらだってメキシコ人と結婚してしまったのさ、ああ、10年間、ずっとわすれられない」「彼の名前がへんな名前で私はそれに耐えられなかった、マダム・ダムなんて絶対にイヤ!」とか
そんなんばっかで、笑えた。わたしはそんな可笑しな歌詞のフランス語をきいてたんだ…。

なんていうか、世界全体が経済成長期の頂点を極める前の、成功を目指す明るい感じが全体にみなぎっていて、こういう時代が確かにあったんだな、と思った。それに対して今がどうあるのか、時代の大きな流れみたいなのを俯瞰したような気分になった。

2009/02/04

うそ

10代の頃、予備校の友人である村瀬さんがどういういきさつでか、私に送ってくれた詩を時々思い出す。

ぼくはきっとうそをつくだろう
おかあさんはうそをつくなというけど
おかあさんもうそをついたことがあって
うそはくるしいとしっているから
そういうんだとおもう
いっていることはうそでも
うそをつくきもちはほんとうなんだ
うそでしかいえないほんとうのことがある
いぬだってもしくちがきけたら
うそをつくんじゃないかしら
うそをついてもうそがばれても
ぼくはあやまらない
あやまってすむようなうそはつかない
だれもしらなくてもじぶんはしっているから
ぼくはうそといっしょにいきていく
どうしてもうそがつけなくなるまで
いつもほんとうにあこがれながら
ぼくはなんどでもうそをつくだろう

 『はだか 谷川俊太郎詩集』筑摩書房1988


まほう

世代差
性差
属している集団の文化の差

そういう差においてまほうは効力をもつのだと思う。

キャラメル

ユーロスペースにてキャラメルを観る。
レバノンの若い女性監督の映画。

イスラム教と思ってたらマリア様にお祈りしてた。アラビア語?フランス語?レバノンの文化的ベースがどんなものなのか、私の想像の範囲を超えてる。
でも、西洋が入っていることは確かで、このカントクのまなざしは境界を見つめつつ西洋的だ。

話の構造が素朴だから物足りないと言えてしまう観点ではなく、中東の女性でしか得られない視線というものはどこに表れてるんだろうって思った。
かつてマフマルバフやジャリリやキアロスタミの映画が入って来た時に私たちが見せてもらったのは西洋ではない物事のありようや物事を見通すやり方だったような気がする。小津映画もそんな感じがある。この映画からは特別そんな感じは受けない。
ここはベイルート。都会の女子のかわいさとかけなげさとか強さとかがストーリーの軸にあって、それは世界共通の質感をもつかのように親しみ深い。それでも映画は細部に地域性をもっていて日本の片隅にいるわたしからみたら人間の豪快さやいい加減さ、部屋の乱雑さや景色の抜け感にほれぼれしたり。

そういえば去年みたやはり若いイラン人女性監督のアニメペルセポリスも本当に秀逸だった。

2009/02/02

ザ・マジックアワー

昨日は公演の打ち上げ。今回もたくさんの素敵な人と友達になった。たくさんワインをのんでおしゃべりも楽しい。でも、どことなくここにはいない浮遊感があり。

映画をどうしても欲していて、まずは今日の仕事帰りに三谷幸喜の「ザ・マジックアワー」を早稲田松竹で。
愛を感じる映画だった。おもしろかった。ラスト最高。(なんてつまらない感想しかいえないんだろう)
マジックアワーって夕暮れの一瞬の時間のことをいうんだって。大好きな時間。4月の7時ぐらいの空、桜が一番きれいな時間。オレンジと紫と藍の時間。

すべてが終わったようで、不安。でもたくさん眠れるし、食欲もあるし、笑っていられるし、ビールもおいしい。
笑う角には福がくるんだっていうから。

2009/02/01

ショッピング

一念発起してヨガにいく。
ヨガで元気になって、バーゲン最終にすべりこみセーフ。その気もなかったのに散財した。

新宿に好きな店があって、秋口以来久々に行くと、なんと2月で店をたたむという。
個人のお店かと思いきや、大きな会社の資本によるお店だったらしく、当初小さかった会社が大きくなったおかげでコンサルタントがつき、よくわからない会議やトータルコーディネートの提案など店舗以外での意味のわからない仕事がどんどん増えてストレスで子宮系の病気、帯状疱疹など体にきてしまったんだそう。それでやめようとおもったって。
関西弁ののんびりした口調でわたしは彼女の接客は好きだった。もう一人の男の子もとても感じのいい接客で本当に服やおしゃれを愛してる人たちだった。わたしもこないだ仕事やめたんだ、なんか時間のむだだと思って、といったら「そうだよねー、人生楽しくなきゃね。いい人生にしたいよね」といってくれた。今の私にはすごくありがたかった。彼女は「今後は喫茶店でバイトしてみたいと思ってるんだー」って笑顔でいった。
いつかまたどこかで会えたらいいけど、彼女も彼も、きっともう会えないのだろう。

そういうのも背中をおして、その店できれいなうすむらさき色のダウンジャケットとブラジルからきた濃いパープルのエナメルのパンプスを買った。
2年くらい前にこの店で同じブランドのミントグリーンのダウンベストを買ったのだけど、今度のは腕がついてるし、いっかって自分に言い訳。

それにしても買い物すると気持ちがもりあがる。それに会いたい人に最後のタイミングであえて、いいものも買えたとなるとますますだ。

いきおいづいて、セーターと、フープピアスを買った。23時に帰宅。ずいぶんと元気じゃんって自分に満足。
えせカルボナーラとビールで夕食をとって、
なかなかひさびさの休日らしい日におちついたきがする。よかった。

2009/01/31

自分の言葉でしゃべる

今日はみゆきちゃんとふじぽんと3人で夕食をとった。
ふじぽんはとっても忙しいが、11月、12月のうつうつとした時期をこえ、今は張りつめて張りつめて、それでものりこえなきゃいけない山を会社全体でのぼっていることを自覚して働き続けてる。日曜からアメリカへ出張だという。

今日、ふじぽんが、この間の作品の感想をみゆきちゃんに伝えていたことで、とても心に響いた言葉。
「自分の言葉でしゃべるのは本当にむずかしい。けど、それをスタートの時点でやっているかやっていないかというのは大きな違いだ。たとえそれがうまくいってもいかなくても、人に借りてきた方法、知った方法でなく、自分の言葉でしゃべることがどれだけ価値があるのかっていうのを思った。」というようなことを言った。
「わかってしまったらできないことなのかもしれない。見ている人も知らない方法だから、いいとか悪いとか判断できるものではないしね。」

ここでいう自分の言葉、というのは自分で考えた作品の見せ方、ということだ。
彼女の口からでてくる言葉や彼女の書くテキストのことではない。
彼女の頭の中のものを彼女だけのタイミングで、彼女だけのシリアスさと軽薄さと必然によって、彼女だけの方法を行きつさがりつ探し出して人前に提出すること。

私はふじぽんの言葉を聞いて、なんて素晴らしいことをいうのだろうこの人は、と思った。
その通りだと思った。
身体性がなんたらとか、時間感覚とか、インタビューの言葉使いとか、作者性とか、いろいろな方向から取り上げ、語り、批評することは可能だけれど、このふじぽんの言葉以上に私を納得させるものはなかった。

みゆきちゃんがどんな人であろうかなんて私が知れる範囲なんて少ししかないけれど、確かなのは彼女は独自の方法でしゃべろうとしている人なのだということ。
私はそれに手を貸して、彼女独自の方法がなるたけそのままの形で人に伝わるように、彼女と人々の溝をうめていく。
自分の作業はそういうことだった、と思う。

彼女はいつでも全力を尽くしているし、今後もきっと続けていくだろう。
作品の中で彼女は生きている。
世の中に出て行くにはきっとクリアすべき問題がまだまだあるだろうけれど、大切なのは自分の言葉でしゃべること。たとえそれが100%の観客に理解されたり、興行的に成功をおさめたりということが付随しないとしても、しゃべられた言葉は確かにあった。

2009/01/21

今日のこと。

いったり、きたり。
最悪のことを考えるのはもしかしたら癖、なのかもしれない。
癖はいとおしく自分になじむものだけれど、てばなしてみたら違う人生がはじまるのかも。

朝は最悪、今はビールをのんきにのんでる。最近は一番搾りのおいしさに目から鱗。

会社を退職した。
オバマ就任式を見逃した。→見逃してなかった。けどねむい。。

こんな日々がくるなんて、
人生ってなんて想像よりもすごいんだろう。だから、わたしのへたな、妄想なんてきっと人生に超えてもらえる。そういう風に思ってみる癖をつける。

がんばっていきてく。

2009/01/06

あまりにもきらきらとした

今日は上司に退職を決意した旨を伝えた。迷ったけど、まず朝出勤前にメールで伝えた。新年のばたばたでタイミングを逃すこと必至だったから。「午後に時間をとって外で話しましょう」とメールが返ってきた。

そして午後。

私はこの人と何度話しても感心する。彼女は49歳、独身。本当に目がきらきらしていて、顔が一つもゆがんでいなくて、卑屈さも、虚栄も、ない。
いやな顔一つせず、「これから2,3年は厳しい状態が続くと思うし、あまり面白くない仕事が中心になると思う。それなのにやりたいことがあって、これからいろんなことを吸収できる若い人を引き止めることなんてできない。」「私もそんな話を聞くと刺激をうけちゃうな。」といってくれる。一緒に社長の陰口をたたくというのではなく、私が思う彼のおかしいところに同意し、でも昔はきらりと光るものがあったの、今は自分とは反対の意見をいってくれるからそれを自分への注意をして受け止めると自分の考えの足りないところが見えてきたりするの、と話してくれる。屈託がないというのはこういうことをいうのだろうか。

彼女のお母さんが50歳から日舞を始めてお師匠さんといろいろトラブルがありつつも今は仲間と新しい流派を作って人に教えたりしていること、だから自分もいずれ独立をと思っているが親に心配を掛けたくないがために独立にふみきれないこと、今の仕事の責任を放棄して独立するのが難しいから外部要因でそういう機会がきたらいいなと思っていること、この不景気はチャンスであること、。

私がもしもいつか部下のような人をもつことになって、その人が仕事を退職したい、と言ってきたときに、このような対応ができるだろうか。上からの目線もなく、慰めるでもなく、ただ、受け入れてくれる。さりげなく私を応援し、かつ自分の夢を語ってくれる。

この人の仕事を見られたことだけでもこの就職は確かに私の糧となった。考え方の全くあわない社長に罵倒されただけではなかった。
これからも、ことあるごとに考えるだろう。彼女ならどう考え、どう動くか、と。
まじめさ、好奇心、ユーモア、おちゃめさ、負けず嫌い、義理堅さ。
以前だったら地上げ、という言葉ではぜったいにたどり着けない仕事があるのだと知ることができた。
そして、仕事は自分でつくる、工夫して掛け合って、心をこめてものにする、という方法を知ることができた。

私なんかまだまだだ。
これからだ。
がんばろうって思えた。

2009/01/05

食材のゆくえ

お昼をおやつですまして、夕方にもおやつを食べて、なんだか暖かいものに飢えてしまったのでネギとカブとショウガを買って他にも梅酒やら柿ピーわさび味やら買い込んだんだけれども、家についたらとっても疲れて眠いし、これからどうしようか、迷ってるとこ。
めずらしく夜風呂にでも入って出たときの気分にゆだねようか。

仕事をやめる、と決めたのに、不景気すぎて次の仕事がきまらないかも不安だよ〜病にかかりそう。インフルエンザにかからないんだからこんな病気にかかっちゃだめ!と強くいいきかす。がんばれ!わたし!