2015/09/10

2005年の梅

瓶のふたには「H17」と書いてある。実家の荷物置き場に無造作においた梅干しの瓶の中から見た目の良さそうなものを取り上げた。まあ、これでいいか、と。

ジップロックにうつす。梅酢がゼリー状になっている。調べるとどうもこれはペクチンの作用だとかなんだとか。うまくできた梅干しだから、きっと大丈夫。
一口かじるとなんともいえない甘みと酸味がある。練れた味。酸っぱいんだけど熟成しててまろやか。帰宅した母にもひとかじりさせてみた。母はジップロックに全部詰める私に向かって「それ全部もっていっちゃうの?」と訊いた。「うん、まだあるし」と何の気なしに答えたが、あとから気付いた、あれはきっと家用にもちょっととっておいてほしいなっていう気持ちだったのじゃないかな。H17の瓶からは全部つめてしまった。

とにかくその梅は闘病中の叔母の元へもっていかれた。
数年前、叔父の闘病中にだったか、梅干しをあげようか?と訊いた時、「塩分は?」「うちは塩分の薄いのしかたべられないの」とお断りされてから、梅干しの話は出さないようにしていた。うちの大切な娘にケチつけるところには嫁にはだせん、という気持ちだ。ところが先日叔母の食べていた梅干しがなくなって、買う段になったら気に入ったものが見つからず、私の何年ものかの梅干しが実家にあるというと、持って来てほしいとのこと。実は前回実家に帰ったとき、疲れていて「忘れたことにしよう、次回でいいや」と持ち帰らなかったのを、叔母が、「梅干しは?梅干しは?」と聞くので、仕方がない、もっていってやるか、という気になった。大切にしてくれるならお嫁にやってもいいか。

味は上々。さすが10年ものである。自画自賛。

実家から叔母の家に戻ってきて夜の分の里芋パスターを練って貼って、今日のお仕事は終わりという時分になって梅干しをだした。好みのはっきりしている叔母なのでもし嫌いだったらあげないでおこうと思ったが、どうやら気に入ってくれた。「これで玄米を食べるのが楽しみになっちゃう」。うれしかったし、誇らしかった。

帰り道、スーパーへの道すがら、思い出したのだが、あれは単に10年ものの梅なんではない。2005年の6月下旬〜7月上旬、あのとき私は人生で一番ぽわわわんとしていた。当時の幸福な気持ちを思い出した。それから、その後にあったいろいろを思い出した。「その10年」があの梅干しの中に入っている。私のかけがえのない10年が叔母の養生の為に使われることになろうとは。そんな特別な尊い梅干しだから、幸福の元に漬けられた梅干しだから、酸いも甘いも傍らで経験した梅干しだから、でも結果的には私は元気で幸福でこうして生きている、その始まりの時間を共にした梅干しだから、きっと叔母の身体にも効くんじゃないかなあ。非科学的だけどそう思う。