2009/01/06

あまりにもきらきらとした

今日は上司に退職を決意した旨を伝えた。迷ったけど、まず朝出勤前にメールで伝えた。新年のばたばたでタイミングを逃すこと必至だったから。「午後に時間をとって外で話しましょう」とメールが返ってきた。

そして午後。

私はこの人と何度話しても感心する。彼女は49歳、独身。本当に目がきらきらしていて、顔が一つもゆがんでいなくて、卑屈さも、虚栄も、ない。
いやな顔一つせず、「これから2,3年は厳しい状態が続くと思うし、あまり面白くない仕事が中心になると思う。それなのにやりたいことがあって、これからいろんなことを吸収できる若い人を引き止めることなんてできない。」「私もそんな話を聞くと刺激をうけちゃうな。」といってくれる。一緒に社長の陰口をたたくというのではなく、私が思う彼のおかしいところに同意し、でも昔はきらりと光るものがあったの、今は自分とは反対の意見をいってくれるからそれを自分への注意をして受け止めると自分の考えの足りないところが見えてきたりするの、と話してくれる。屈託がないというのはこういうことをいうのだろうか。

彼女のお母さんが50歳から日舞を始めてお師匠さんといろいろトラブルがありつつも今は仲間と新しい流派を作って人に教えたりしていること、だから自分もいずれ独立をと思っているが親に心配を掛けたくないがために独立にふみきれないこと、今の仕事の責任を放棄して独立するのが難しいから外部要因でそういう機会がきたらいいなと思っていること、この不景気はチャンスであること、。

私がもしもいつか部下のような人をもつことになって、その人が仕事を退職したい、と言ってきたときに、このような対応ができるだろうか。上からの目線もなく、慰めるでもなく、ただ、受け入れてくれる。さりげなく私を応援し、かつ自分の夢を語ってくれる。

この人の仕事を見られたことだけでもこの就職は確かに私の糧となった。考え方の全くあわない社長に罵倒されただけではなかった。
これからも、ことあるごとに考えるだろう。彼女ならどう考え、どう動くか、と。
まじめさ、好奇心、ユーモア、おちゃめさ、負けず嫌い、義理堅さ。
以前だったら地上げ、という言葉ではぜったいにたどり着けない仕事があるのだと知ることができた。
そして、仕事は自分でつくる、工夫して掛け合って、心をこめてものにする、という方法を知ることができた。

私なんかまだまだだ。
これからだ。
がんばろうって思えた。