2010/06/25

ゴールは入るものだったのだ

男ってすごい。
男のすがすがしいばかっぽさ、真剣にむかうところ、これが男らしさな気がする。
なんて楽しそうなんだ。

試合後、本田も中沢も遠藤も、自分の内側に向かって言葉も気持ちも集中してる感じの受け答えだった。
インタビュー中の視線の動き、人がものを集中してるときに斜め上をみてきょろきょろする感じがあった。
満足できないです、とか、別に大きく見せたり受けを狙ってる訳じゃないもん。
初めて知った場面での感情の動きを彼らはよく観察しているように見えて、それを見せてもらってるほうは見せてもらってるほうで初めてでうれしい。

今まで、フリーキックのシーンで、私は、私たちは、ゴールが入って欲しいと常に願ってはいたが、ゴールが入ると信じていたことはあっただろうか。もしくは、ゴールは入るものだと知っていただろうか。
今回、わたしは初めて「ゴールって入るものなんだ」って知った。そして、今まで願ってはいたけど、それは手にとどかないものを願うみたいな抽象的なものだったのかもしれない、と思った。入るってことを知らなかったから、どこかで入らないことが当然だった。本当の意味で入ることをイメージできないでいた。願いは同じでも本当に信じることができるのは今後なのかもしれない。信じるっていうことひとつとっても経験にはさまざまなものがあるんだっていうのがあのフリーキックが入ったときにわたしは知った。

ああ、それが知れたよ。それがうれしいよ。
サッカーの歴史が長い強豪国はそれを信じることができてたんだね。
そういうものだっていうこと。

歴史があった。
悔しい思い、ばかばかばかーってこともなんどもあった。
きーちゃんや城の解説を聞いていて、
この人たちがいて、今の選手がいるんだなって思った。
個人であるけれども、個人じゃなくつながってる部分。それは本当に目に見えないレベルでも。

みんなきれいな顔してた。