2012/07/18

となりのおじさん

今朝、母からメールがきた。
実家のお隣のおじさんが7月16日に亡くなったのだという。
私はおじさんがだいすきだった。とはいえお隣の方だし、私が大学生になるころにはほとんどお会いすることもなかったので、だいすきだったというのは小学生のころの記憶だ。
私は千代の富士が好きだったのは、おじさんが少し千代の富士ににてたから、どちらを先にすきになったかはわからないけど、千代の富士を好きなようにおじさんもすきだった。(おじさんは太ってたわけではない。)
そのころプリンという名前の雑種の犬をお隣では飼っていて、うちの目の前にある用水路の土手もまだ舗装されておらず、プリンはいつもそこにいた。プリンのこともだいだいだいすきだった。プリンはやがて死んでしまって、それもその付近に毒餌がまかれたといううわさがたち、それ以降おとなりでは室内犬を飼い始めたのでわたしたちはお隣の犬との交流もなくなった。おじさんやおばさんとの交流もへっていって私たちは思春期を迎えておとなになり、お隣ではお孫さんが生まれていった。
おじさんは名のしれた動物園の園長だった。パンダの飼育をしてた。本も書いていた。いつだったか、昨年だったとおもうけれども、神保町の古書市でおじさんの書いた本をみつけて買おうか迷ったのだけど、断捨離中だったので買うのはやめてその場でよんだ。タツノオトシゴは受精後、オスが妊娠するような形になるということとか、キリンやカバの出産の話がかいてあった。パンダのあかちゃんでにぎわった事、おじさんの耳には入ってただろうか。
私がおじさんに最後にあったのは、もう、きっと何年も前。10年以上前かもしれない。人が生きてる事と、死ぬ事、その人の存在を知るのは、私の身体ではなくて頭なのだ。私はここのところ、おじさんの死とはべつに、おんぞうさんのいう「肉」問題を考えていた。「肉」の強さといったらなくて、私はそちらに引きずられるようにして生きている。こわいけど真実のような、なんというんだろう、それはいつでも「肉」を感じるということでもなく、でも少しでも「肉」を知るということが及ぼす影響。これって本当に無視できない。演劇やダンスの人たちの関わり方、身体のありかたが私とまったくちがうということも、そういう「肉」の秘密に関わる所がああるかもしれない。私は頭だけで考えがちなのだとそこでわかるのだ。「肉」をつかって考えることが私にもできるのだろうか。
そもそもここでいう「肉」が何をさすかを考えるとこからはじめないとならない。