2012/10/28

おじょうさん

鼻に花びらがくっつくくらい、抱きかかえるように香ってみる。
この花の香りをなんとたとえたらよいのだろうか。
わたしはこの香りを覚えていられるだろうか。

わたしのとても大切な人がわたしのとても尊敬する人のところまでてくてく歩いてわたしの為に花を選んでくださいと言いにいったのだそうだ。尊敬する人の尊敬する仕事ぶりによって選ばれつつまれて、大切な人によってわたしの元に運ばれてきたその花の姿に、とてもおそるおそるではあるが自分の姿を重ねてみようと思いついたのは、そうやって大切な人がわたしを思ってくれることで起きたことやもたらされたものを十分にあじわい受け取るにはわたし自身がわたし自身についてもっとよい風に思ってあげないとなのかもしれない、という考えがかすかに発生したのを発見したからだ。

うぬぼれではなくって、自分を誇りに思うということはとてもとてもむずかしくてわたしはいい歳してそれが全然できない。でも、人から自分に向けられた祝福をうけとるときにその祝福が存分に作用するためには自分自身による祝福もまた必要なのかもしれない。自分で自分のことを祝福されるべきものと思っていなかったら相手の投げてくれた祝福は存分には発揮されないのかもしれない。そしてそれはやっぱり受け取りということに関してずさんで失礼である。そのことにようやく気がついたのである。なにごともちょっとずつである。

こくもうすくもないきみどり色にブルーの入ったところをむらさきの入ったところのある、全体としは一つのまとまりのある色調で、そして一つで森のようにこんもりしている。かたまりには厚みがあってゆたかだ。しおれているところもあれば瑞々しいところもある。ドライのように見えるけど今は水分も含んでいる。ドライになってももしかしたら色は保たれるかもしれない。花びらはとてもうすくて、紙のようだけれども触るとひんやりしっとりしており、香るとさわやかに甘い。

どんな自分になりたいか、

くだらないかもしれないけれども今の時代の私たちは(もしかしたらいつの時代のわたしたちも)考えるし、あこがれの像を頭においてそのようにすてきになりたいなどと考えるものである。はずかしながらわたしだって少女漫画的にそのようにかんがえる。

そのあこがれの位置ににこの花の姿を置いてみようと思う。
そんな風になりたいな、と思う事を許可してみようと思う。