2009/09/25

見えざるもの。

よく、無意識を耕す、というけれど、それと関係しているかわからないけれど、
昨日よんだGINGERの佐藤優のページに、中世哲学の見えるものと見えざるものについて書いてあった。例えば、信頼というものは見えざるものである。佐藤優は犬と飼い主の関係を書いたが、どのような関係においても信頼という見えざるものは両者の心の中だけで勝手に形成されるものではなく、見えるもの(例えば言葉、行為)を通して形成されるのだろう、と思った。見えるものを使って見えざるものをたがやし、形をととのえてゆく。
私は見えるものをそのようにして使っていきたい。しかし、その欲求が強すぎるのだ。
人にもそれを求めてしまうけれど、人はいろいろで、時期や状況によってフェーズも違う。だから見えざるものが快適なベッドではなくなってしまったら、しばらくはその見えざるものを見なければいい。

見えざるものを凝視してはいけない。それは見えないのだから。