2011/09/04

おばあちゃん

おばあちゃんの足を揉んだ。
おばあちゃんの顔をマッサージして、頭をさわって、肩、腕、腰、足、を触って揺すってマッサージのまねごとかもしれないけれど、いろんなとこ触った。
おでことおでこをくっつけた。
胸に耳を当てて、心臓の音を聞いた。
手を揉んだ。

足も手も、末端からマッサージしていくと毛細血管から赤い色がでてきた。
太めの血管は末端から中心に圧を加えると、血液が流れる様が見れた。
クリームをぬって滑りを良くしたため、皮膚は湿ってうすいうすい透明の膜のようだった。

あしがむくんでゴム風船にふくれて鑞のような質感だったが、指先からすこしずつほぐしてあげると、暖かくなり、赤みを帯びた。骨に沿って水分を押し上げる。水分は手の全体に圧を抱えて上に押し上げると目に見えて皮膚の下を移動した。

夜にかけてまたむくみ、
朝がたからまた、マッサージをした。

5時過ぎだったか、
病室の窓の外の明るさで目覚めて、見ると、海から出たばかりのまんまるの太陽がそこにあった。びっくりした。
台風がまだ近くにいる為さまざまな雲があり、朝日に焼けていた。

おばあちゃん、すごいきれいだよ、みて、朝日!

というと、

少しわらった。

笑う表情も、かすかに出た声も、ずっと前から知ってるおばあちゃんのそれとかわらないものだった。かわいらしい声。

目をあわせておばあちゃんが少し目を開いて目配せ、みたいなのをした瞬間もあった。

かなでだよ、というと、少しわらったりした。

絶対に来週も会えると信じて過剰なお別れはしなかった。
でも帰って来て、風呂に入りながら、私は、おばあちゃんが息を引き取る瞬間を想像したら泣けてきた。思い出し泣きではなく、予想泣き。

覚悟するとかそういうのではない。
ただ、少しずつ現実になっていくのを、準備している。
おばちゃん、おじちゃんたちの介護の苦労、三人で頑張ってきて日々に感謝したいから、
なくなったらおばちゃんとおじちゃんとねぎらって旅行につれていってあげたいなとか、
そんなことすら考える。
でも、来週また会えると信じてる。

だって、おばあちゃん、いいにおいがして、まだ死ぬって感じじゃなかったもん。
身体もきれいにしてもらってて、大切にされてるなって思った。
みなさんが大切にしているところに少しだけわたしも混ぜてもらって、存分におばあちゃんに触れてうれしかった。
息の音も、皮膚の質感も、目の大きさも、目の見ている方向も、口の動きも、耳の形も、骨ばかりの腕か足の間接も、膝も、爪の先も、首の後ろも、唇の周りも、全部さわって、確かめた。

どこもいいにおいがして、あたたかくて、つやつやして、生きていた。
触ると脈動があった。
指先を揉むと反射で動いた。手を取ると指をこちらへ折り曲げたし、目やにをとろうとすると目をぎゅっとつむったし、マッサージ痛い時は眉間に皺がよった。


帰りがけ港への車中でにおばちゃんが
「どんなものにも魂があって、おばあちゃんの魂にはかなちゃんの気持ちが伝わったよ」といった。こちらに着いたよとさっき電話したらそのときも同じことをいった。

伝わったもの、こと、は、おばあちゃんが死んだらどうなるんだろう。そもそも生きてても死んでても、それははどうなってるんだろう。

せめて、それを考えようと思った。