2009/06/07

そのことを

中心になるそのものズバリを見せることなく、受けとる人の中で想起されることでふわっと浮かびあがったら、それは本当に素敵だと思う。
高木正勝のインタビューをよんで。

感謝してます。
頑張ってください。
大変だね。
応援してるよ。
信じてます。
不快だなあ。
あなたの意見に同意しかねます。
悲しい。
うれしい。
好き。

そのようなこと。

別の話。
一晩中友人と飲みながら、死に向かう人に対して自分だったらどうしたいか、という議論をして疲れ果てて、自分の主張なんてすべきじゃない、伝えることと主張はちがう、と思った。

主張の癖はぬけづらい。教育されているため、そして自分へのプライドがあるため。
意見がかみあわない時、自分の話を頭ごなしに否定された時、相手に対して「人を見下す人」だ、と批判するには人を見下す人を見下す自分になるということだ。それでは問題が別のものになってしまう。かといって、相手の主張は明らかにずれているのだからそれをどう伝えたらいいのか、ということ。弁のたつ人ならきちんと理路整然と伝えられるのだろうけど、そうでないなら別の方法を考えるべき。