2008/11/24

七夜待

少し前に河瀬直美の新作「七夜待」を見た。
河瀬直美の映画を見る前はいつでも少し身構える。
重いんじゃないか、どろっとしてるんじゃないか、女の人って感じがすごいして苦手かもしんない..等々。

確か、前にみたのは双子の神隠しのやつ。
一個前のやつは、みてない。
今回はハセキョーが好きなので、河瀬直美の撮ったハセキョーみたさに公開早々にいってきた。
ハセキョーはきれいであった。

そして、今回も思った。
この人の映画は見る前にあんなにも偏見をもって身構えるのに、見終わったあとはいつでもすっとした印象がのこる。絶対にある女の人らしさみたいなものをおさえておさえてコントロールして作品を丁寧につくっている、演出している。その力は見事で今回のものは神隠しのよりそれを強烈に感じた。
うまい、とうなる。

興味深かったのは作り方のせいもある。
出演者には状況と行動を記したメモだけがわたされるだけ。
タイ人、日本人、フランス人がそれぞれ言語の通じないまま、わからないまま、おそるおそるコミュニケーションをとる。その場の反応がそのまま、台詞である。
役者は役を演じるがそこに予定調和はひとつもない。その役自身はその場で生成される。感情も、台詞も。
ただ、手法にたよりきって放り出してしまってる訳ではい。手法は実験しつつも、彼女の作品として、彼女だけにしかつくれない作品としてある。手法に凝ってそれクリアに見せるのは男性的、手法は試しつつもちろんそれだけに満足できないのは女性的、、そんな風に単純に分けられる訳ではないけれど、手法だけで十分成り立ちそうなものに矛盾をあえて入れてしまったりするところが少なからず女性の作品にはあるように思う。というか、そういう作品を女性らしいと私たちは呼ぶのでは。

映画の宣伝にはストーリーとかキャッチフレーズがかかれているけれど、この映画には本当はそれは必要ないと思う。商業的に必要なだけ。30歳になった女性が自分をみつけるという映画ではないと思う。もちろんそれはひとつの要素としてなきにしもあらずだが、たとえそのようにキャッチフレーズ的にみたとしてもこの映画を見て何かそれ以外のものをたくさん私たちは感受するだろう。