2009/02/16

お菓子

週末に両親と東鷲宮の百観音温泉へ。
大自然の中でもなく、ただの田舎の住宅地、なんの情緒もない感じがなんとも埼玉って感じでなじみ深い。
それでも、お湯は潤沢でかけ流し、露天には青空が広がってさまざまな年代の女の人の体がおおらかにあった。15時くらい、けっこうな人数がいたけれど全然狭い感じがせず、かといってだだぴろい感じもしない、ちょうどいい距離感、これってすごく普通のつくりに見えるけど設計が成功しているってことなのかもしれない。岩の置き方一つで人の収まる場所がきまってるのかもしれない。
風呂にいる女の人はさまざまで女の話をしている。仕事、恋愛、家庭の内情。
泣いている人もふたりもいた。

私はそこで初めてのアカスリを体験。(母に出してもらった。。)
なんとも衝撃の激しさ。裸でどこをこすられるかわからないのってこわい。
45分がなんと長く感じられたことか。予想できないことと刺激がつよいことで時間の密度はたかまるのか?っていう仮説までたててしまったことだよ。

帰り、わたしは湘南新宿ラインで新宿まで一本で出るために両親と駅で電車をまつことになって、その日はバレンタインデーだったのにも関わらず前日にお金をなくした私は父にチョコレート一つ買えず、借りたお金を持って駅のキオスクでガルボとトッポを買い父にわたす。なさけない。けど、なんとなく駅のいすに座って親子三人駄菓子をたべるのは楽しかった。そんなチョコをおいしいって食べる両親をみて、いかにも、この人たちがわたしの両親なんだな〜とつくづく思った。その時間はわたしにとってはなんだかちょっと幸せな感じがした。やるせなく、けどあたたかい感じ。
チョコをたべてたら母がしょっぱいものが食べたいというのでじゃがりこを追加で買ってジャガリコジャガリコって食べた。両親ともに、おいしいわね〜、くふうしてるわね〜、これたいしたジャガイモの量つかってないのにね〜、とあいかわらずヤギ家的な会話。

新宿に移動。
おんぞうさんとご飯をたべる。
なんだかとってもたのしかった。
おんぞうさんの新しい研究について、わたしも夢をみる。
そしてあまり人に軽々しく確認できない危機の時の自由意志について、なんと見解が同じだったことに感動する。
そしてそして、おんぞうさんは、わたしの作品が存在の仕方にかかわるものだと、まるで私がここ数日考えてたことをしってたかのように、いった。

わたしはもっとオープンに平らになにもない感じになりたいのだった、そういえば、いつでも。と、これはたった今おもったこと。